【アクセス2位】オンラインポルノで「セックス拒食症」になるのか?

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなってしまったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

アクセス2位は2021年9月9日公開の「若い男性がオンライン「ポルノ中毒」になることで陥る深刻な障害とは?」です(一部改変)。

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日本ではまだあまり知られていないようだが、欧米ではオンラインポルノのbinge watching(ドカ見)が社会問題になっている。Binge(ビンジ)は「限度を超えて熱中する(浮かれ騒ぐ)こと」の俗語で、若者たちがパーティで酩酊するのがbinge drinking(ドカ飲み)だ。ここからNetflixなどのシリーズものを一気に観ることをbinge watchingと呼ぶようになり、それがさらに「ポルノ漬け」に転用された。

一般にポルノの弊害というと、女性や子どもへの性暴力につながることが懸念されるが、ゲーリー・ウィルソンが『インターネットポルノ中毒 やめられない脳と中毒の科学』(山形浩生訳、DU BOOKS)で警告するのは、思春期以前からポルノ漬けになった(主に)若い男性が、ED(勃起不全)や女性との通常の性的関係に深刻な障害を抱えるようになることだ。

ウィルソンは病理学・解剖学・生理学の専門家で、YBOPというサイトで強迫的なポルノ利用について警鐘を鳴らしつづけたが、2021年5月に慢性疾患のため死去した。

膨大なポルノを浴び続けることで「セックス拒食症」に

オーストラリアの調査では、2008年には「ポルノを毎日見る」と回答したのは5.2%だったが、2011年になると思春期の13%がポルノを毎日のように見ていた。その6年後の2017年には、男性の39%と女性の4%が毎日あるいはしばしばスマートフォンでオンラインポルノを見ていた。この急激な上昇率(ポルノの普及)の背景に、高速インターネット(4G)の登場があることは明らかだろう。

この調査では、15~29歳の若い男性に限れば100%がポルノを見た経験があり、若い女性でも82%が見たことがあると報告している。はじめてポルノを見た年齢も下がりつづけ、男性の69%と女性の23%はポルノ初体験が13歳以下だった。

こうした事情はアメリカやイギリスでも同じで、すでに社会心理学者のフィリップ・ジンバルドーとニキータ・クーロンが『男子劣化社会』(高月園子訳、晶文社)で、中高時代を男子ばかりの寄宿舎で仲間たちと大量のポルノを見ながら過ごした男性が、愛情はあるのにもかかわらず恋人と性交渉ができない事例などを紹介している。少年期から膨大なポルノにさらされつづけたことで「セックス拒食症」とでも呼ぶ状態になり、ほんもののセックスと“ポルノの再演”の違いがわからなくなってしまうというのだ。

近年の脳科学では、複雑な道路や一方通行などの規則を記憶しているロンドンのタクシー運転手の海馬(記憶にかかわる脳の部位)が発達することがわかって、「一定の年齢になったら脳の成長は終わる」という常識が書き換えられた。この「脳の可塑性」は「いくつになっても学びつづけられる」というポジティブなニュースとして歓迎されたが、ウィルソンはこの可塑性がネガティブな方向にも作用すると指摘する。ポルノばかり見ていると、脳の部位に生理的・機能的な変化が起こる可能性があるのだ。

精神分析医のノーマン・ドイジは『脳は奇跡を起こす』(竹迫仁子訳、講談社インターナショナル)で次のように述べた。

コンピュータに向かってポルノを眺める男性たちは……脳地図の可塑的変化に必要なあらゆる条件を満たす、ポルノ訓練セッションへと誘惑されたのだった。いっしょに発火するニューロンは結節されてしまうので、こうした男性たちは画像を、脳の快楽中枢に接続する練習を大量に受け、しかも可塑的変化に必要な没頭するほどの関心を向けている。

(ネットポルノを見ながら自慰をすることで得るオルガズムの)報酬は行動を後押しするだけではない。それは店舗で『プレイボーイ』を買うときに感じる恥ずかしさを一切刺激しない。これは「処罰」なしの行動だ。報酬しかない。

可塑性は競争的だから、新しくワクワクするイメージが占める脳地図は、それまで彼らを惹きつけてきたものを犠牲にする形で増加した――これが、彼らがガールフレンドをいままでほど魅力的だと感じなくなった理由だと私は考える。

2007年、性科学研究者のジャンセンとバンクロフトは、ストリーミング式ポルノを見ると勃起障害が起きるらしいことと、「エロチカへの高い暴露は『普通のセックス』への反応性を引き下げ、新奇性とバリエーションへのニーズの高まりを引き起こす」ことを発見した。

2014年、権威ある医学雑誌は、穏健なポルノ利用者ですら、年数と現在の週当たり利用時間が灰白質の減少や性的反応の低下と相関していることを示す研究を掲載した。ポルノの定期的な消費は、大なり小なり報酬系をすり減らしかねないというのだ。

こうして研究者たちは、ポルノ起因のED(勃起障害)について議論するようになった。

若い男性の3~4人に1人はポルノ中毒

オンラインポルノのbinge watchingが心理的な問題(依存症)の原因になっているかについては専門家のあいだでも議論百出して結論は出ていないが、オンライン掲示板などではそれに先んじて「依存症者」の自助グループが次々とつくられている。そのなかでも最大のものが匿名掲示板Redditの”NoFap”だ。“Fap”は、「ポルノで自慰をする」ことを表わす俗語だという。

掲示板では、すでにさまざまな「ポルノ漬け体験」が報告されている。

本物の女性とセックスしようとしたときの感じは「異様」としか言い様がなかった。それは不自然で異質に思えた。画面の前にすわってシコるのになれすぎて、精神は本当の現実のセックスより、そっちのほうが普通のセックスなのだと考えるようになったみたいだった。

子供の頃はとてもスポーツ好きで社交的だった。いつも楽しくて友だちも山ほどいた。それが11歳の頃に、KaZaAをダウンロードして、その後想像し得る限りありとあらゆるポルノ(SM、動物、四肢切除者等)に進んだことで、すべてが変わった。激しいうつと不安を覚えるようになった。その後15年間の人生は惨めもいいところだった。とんでもなく反社会的になった。だれもとしゃべらず、昼ご飯も一人きりだった。みんなを憎悪した。やってきたスポーツすべてで一流だったのに、全部やめた。成績も、ギリギリ可まで急落した。いまは考えたくもないけど、自分なりに「コロンバイン高校型」のこの世との別れすら計画しようかとさえ思いはじめた。

[29歳]17年にわたるオナニーと、12年にわたる極端/フェティッシュポルノへのエスカレーション。本当のセックスに興味を失いはじめた。ポルノによる興奮の高まりと射精が、セックスからのものより強くなった。ポルノは無限のバラエティを提供する。そのときに見たいものを選べる。セックスでの遅漏はあまりにひどくなって、ときにはまったく射精できなくなった。おかげでセックスという最後の欲望も消えた。

当然のことながら、ポルノ漬けには明らかな性差がある。2017年の研究では、大学人口で対象者の10.3%が「サイバーセックスの臨床範囲にいる」とされたが、「ポルノ中毒」の内訳は男性の5人に1人(19%)なのに対して、女性は20人に1人に満たなかった。ポルノ利用を調べる研究者たちは、若い男性のポルノ中毒率が28%あたり(3~4人に1人)だとしている。

セックスに問題を抱えている臨床患者についての2015年の調査によると、週に7時間以上、ポルノでオナニーする男性の71%が性的機能不全を報告しており、33%は遅漏を報告している。

2001~02年調査では40~80歳のヨーロッパ男性のED率は13%ほどだったのに、2011年のヨーロッパの若者男性のED率は14~28%だった。平均的な中高年男性(40~80歳)の勃起不全の割合より、若者の勃起不全の割合の方が高くなったのだ。

2016年のカナダの調査では、男性(16~21歳)の78.6%がパートナーのいる性的活動での困難を訴えた。勃起障害(45%)、性欲減退(46%)、射精困難(24%)がもっとも多かった。

それにもかかわらず、過剰なポルノ利用者が精神医療に助力を求めると、社会不安、自尊心の低さ、集中力欠如、やる気欠如、うつなどと診断され、向精神薬を処方される。ポルノなしで勃起や射精ができないと訴えれば、「自分の能力に対する不安」と診断されるだろう。

オックスフォード大学の研究では、インターネットに対する穏健または重度の中毒が、自傷のリスク増大と相関している。研究者は因果関係も調べていて、EDがうつを引き起こすのであって、その逆ではないという。

ポルノが脳の報酬系を乗っ取る

わたしたちは無意識のうちに、自分を中心に物語をつくっている。性的ファンタジーでも、ほとんどの場合は自分が主役になるだろう。

だがポルノの際立った特徴は、自分が「観客」になることだ。ウィルソンは、受動的な立場でオルガズムを繰り返すことが性的な報酬系に深刻な影響を与えるのではないかという。

脳の可塑性というのは、わたしたちがつねに(無意識のうちに)自分の脳を訓練しているということだ。だとしたら、インターネットポルノをbinge watchingするとき、脳にどのような変化が生じているのだろうか。

ウィルソンは、性的関心は性的志向とは別物で、性的な関心は条件づけられるという。異性愛/同性愛などの性的志向は(おそらくは)生得的なアイデンティティで生涯を通じて変わらないが、性的な関心は外的刺激から影響を受けやすい。たとえば次のような体験が報告されている。

私はゲイだが、ポルノを見ると女性に性的な関心を抱ける。まあ……胸じゃないけど、でも他の女性の身体の部分に興奮するようになる。ポルノは過剰に詰め込まれたエロティックな雰囲気だ。あらゆる抑制が取り払われて、興奮への欲望は支配的になる。

[19歳]ぼくは本気でゲイになりかけてるんだと思った。HOCD(ホモセクシュアル強迫神経障害)が当時は実に強くて、近くの高層ビルから飛び降りようかと思ったんだ。実に落ち込んだ。自分が女の子が好きで男なんか愛せないのはわかってたけれど、なぜEDなんだ? どうして興奮に至るのにトランス/ゲイねたが必要なんだ?

2016年の調査では、異性愛の男性の20.7%が男性同性愛者のセックス行為を含むポルノを見たと報告し、自分をゲイだと申告する男性の55%がポルノで異性愛行動を見ていた。

このようなことが起きるのは、ポルノが脳の報酬系を乗っ取るからだ。ヒトの進化の過程を考えるならば、もっとも大きな報酬が「食料(生き延びること)」「性愛(子孫を残すこと)」「評判の獲得(共同体のなかで地位を上げること)」と結びついていることは明らかだ。ポルノは脳にとって、ドーパミンを大量に産生させる強烈な刺激になる。

ドーパミンはかつては快楽分子と呼ばれたが、その後、「快楽を求めて探し回る」期待分子へと修正された。最終的な報酬(快楽の気分)をもたらすのはエンドルフィンなどの内生的なアヘン類で、ドーパミンは動機(モチベーション)にかかわっている。

ドーパミンはあらゆる体験の潜在的価値を決めるバロメーターで、どこ(誰)に近づき、何を獲得し、注意をどこに向けるかべきか指示する。それに加えて、脳の神経接続を再配線し、将来に備えて何を記憶すべきかを決める。

心理学者は、「ドーパミン系はアヘン系より強い」という。「人は満足するより多くを探し求める……満足してボーッとしているよりは、探し続けるほうが生き残る確率が高い」からだ。

オンラインポルノには、ヒトが自然界で出会う刺激とは異なる次のような特徴がある(これは「超常刺激」と呼ばれる)。

  1. アクセスが簡単で、一年中昼夜を問わず手に入り、無料でプライベート。
  2. ほとんどの利用者は思春期以前からポルノを見はじめる。その脳はドーパミン感度と可塑性の頂点にあり、さらには中毒への耐性がなく、知らないうちに性的関心を再配線してしまいかねない。
  3. 食べ物には消費の限界があるが、インターネットポルノ消費には物理的限界はない。

これによって、思春期の脳の性的な報酬系に深刻な障害が引き起こされる可能性があるのだ。

現代社会が仕掛けた「残酷なジョーク」

科学者たちが一雄一雌の動物をアンフェタミンで興奮させると、もはやパートナーでは満足しなくなる。人工的で異常な刺激が脳の報酬系に作用し、持続的な絆をつくる回路を抑え込んで乱交的な哺乳類と同じにしてしまう。

メンタンフェタミン(覚醒剤)やヘロインのような中毒性のドラッグが魅力的なのは、それがセックスのために進化した仕組みを乗っ取るからだ。ラットを使った研究では、性的興奮で生じるドーパミン水準は、モルヒネやニコチン投与で引き起こされるものに匹敵した。

「オルガズムは自然の強化因子として最も強力なものだし、遺伝子の再生産が最優先の仕事なので、ポルノのストリーミングを見ながらオナニーするのは、神経学的に並ぶものがない」とウィルソンはいう。この強烈な刺激によって脳の配線が書き換えられていく。

その過程は「増感」「脱感」「機能不全の前頭葉前部回路」「ストレス系の誤作動」で説明される。

「増感」というのは、中毒と関連する遺伝子を活性化させる脳の灰白質(DeltaFosB)が蓄積することだ。DeltaFosBは転写酵素の一種で、報酬系が刺激されて神経細胞が興奮すると、興奮と関連した出来事(光景、音、感覚、匂い、感情)の記憶を蓄積する神経細胞とつなげる。同じ活動を繰り返すと、その分だけ細胞接続が強化される。これがキューやトリガーと呼ばれるもので、ささいな出来事(両親が出かけて家に1人だけになる)がポルノへの強烈な渇望を引き起こしたりする。

キューに強い反応を示すことは、生存や性愛にとって有益な機会を逃さないようにする進化の設計だが、あらゆるところに超常刺激があふれている現代社会ではそれが依存症の原因になっている。

「脱感」は、増感とは逆に快感反応を鈍化させることで、CREBという分子がドーパミンを抑制する。これも進化の過程を考えれば当然の仕組みで、セックスの快感がつねに最初と同じように強烈なものならば、子育てに時間を費やそうとなどとは思わないだろう。遺伝子が後世へと受け継がれていくためには、快感に飽きるような設計にしなければならないのだ。

しかしこれによって、自然は「残酷なジョーク」を仕掛けたとウィルソンはいう。

人類が進化の大半を過ごした旧石器時代には、報酬系を興奮させる刺激はほとんどなかった。ある刺激に飽きてしまえば、次の刺激に出会うのはずっと先のことだった。

だが現代社会では、次々と新しい超常刺激が現われる。すると脳は、CREBによる脱感を克服するためにもっと極端なものを必死に探し回ることになる。ドラッグ依存症者なら摂取量を増やし、ギャンブル依存症者は賭け金を吊り上げる。同様に、ポルノ依存症者はより過激な動画へとエスカレートしていく。

「残酷なジョーク」というのは、脱感によって日常生活の快感(社交、映画鑑賞、好きなゲームなど)も同時に色あせてしまうからだ。これが毎日を退屈させ、人生の満足度を下げるので、ドーパミンを高めるためにどんなことでもするようになる。こうして依存から抜けられなくなるのだ。

「慢性的な過剰刺激と、最終的には中毒における決定的な不均衡は、欲求と渇望は高まるが、快楽や好きな気持ちは弱まるということだ。中毒者は「それ」をもっと求めるが、次第に「それ」がそんなに好きではなくなる」とウィルソンはいう。

「ポルノ脳」から回復するには

「機能不全の前頭葉前部回路」は、増感と脱感によって、問題解決、関心、計画、結果の予想、目標志向行動の統制などにかかわる前頭葉が低活性化することだ。ポルノ漬けになった者はしばしば学業成績の急激な低下を報告するが、これは前頭葉前部回路の執行統制機能がはたらかなくなることで説明できるかもしれない。

「ストレス系の誤作動」は、ストレスホルモン(コルチゾールとアドレナリン)の循環に影響するだけでなく、脳のストレス系にさまざまな変化を引き起こす。脳の報酬系が刺激できないとストレス系が過剰にはたらきはじめ、激しい渇望を覚える。ストレスは前頭葉の執行機能を阻害するので、仕事や勉強のパフォーマンスが落ちる原因ともなる。

実際、ポルノ漬けが「集中力の問題、記憶の妨害、実行機能の低下、学校の成績下落」と関係しているとの報告もある。いくつかの研究グループは、ポルノ利用を衝動性や、満足を先送りできないことと関連づけている。

10代の脳は可塑性に富むため、さまざまな刺激に自分を適応させていく。「人間の最も強力で長続きする記憶は思春期に生まれる――最悪の習慣とともに」とウィルソンは不穏な警告を発する。そのうえ、セックス依存症者のストレスの遺伝にエピジェネティックな(子孫にまで受け継がれる永続的な)変化が起きるとの研究もある。

だとしたら、ポルノ漬けから抜け出すにはどうすればいいのか? 幸いなことに、オンラインの自助グループの報告によれば、オンラインポルノを意識的にやめることで勃起障害が治ったり、恋人との性生活が回復するようだ。これはネット用語で「再起動(reboot)」といい、「インターネットエロチカを通じた慢性的な過剰刺激から脳を休ませること」とされる。

脳の報酬中枢はポルノがなにかを知らず、ドーパミンとアヘン類の上昇を見て刺激のレベルを記録するだけだ。したがって、ポルノ漬けからの回復方法は、ドラッグやアルコールなどの物質依存、ギャンブルや買い物などの行動依存と同じで、原因となる刺激を断つことしかない。2012年の研究では、参加者がポルノ利用を控えると、交際におけるコミットメントの水準が高くなったことを示した。

問題は、(他の依存症と同様に)禁断症状の恐れがあることで、PAWS(ポスト強烈禁断シンドローム)と呼ばれる。典型的なのは「フラットライン」という性欲喪失で、勃起障害を持つひとがポルノをやめると、しばしば一時的ながら絶対的な性欲喪失と、「異様に生気のない性器」が報告されている。それ以外の禁断症状としては、不眠、うつ、感情の制御困難、フラッシュバック(赤裸々な夢)などがある。

いったん「ポルノ脳」になってしまったら、ポルノ断ちをする以外に日常生活に復帰する道はないが、自助グループなどの支援を受けつつ、「ポルノを断って人生を取り戻す」ことは可能だとウィルソンは励ます。

ただし、VR(ヴァーチャルリアリティ)のポルノについては、この強烈な刺激が思春期の脳にどのような影響を及ぼすのか「恐ろしい」と述べるだけだ。

禁・無断転載

問題は「政治と宗教」ではなく民主選挙の仕組みにある 週刊プレイボーイ連載(537)

安倍元首相への銃撃事件はその後、旧統一教会と自民党との関係に飛び火し、国葬の是非をめぐっても議論は収まるどころかさらにヒートアップしています。

「世界基督教統一神霊協会」は北朝鮮出身の文鮮明が日本の植民地支配が終わった1945年に布教を始め、朝鮮戦争後の50年代末から日本での布教を開始しました。政治との関わりは、文鮮明が68年、自民党の大物政治家で元首相の岸信介や、右翼活動家でフィクサーでもあった児玉誉士夫らと国際勝共連合(名誉会長は笹川良一)を設立してからで、以来、その人脈は岸の娘婿の安倍晋太郎、孫の安倍晋三へと引き継がれたとされます。

国際勝共連合の目的はその名のとおり、共産主義に勝つことです。アジアや中南米で次々と社会主義政権が誕生し、ヨーロッパでも共産党が党勢を伸ばし、日本では全共闘による第二次安保闘争の嵐が吹き荒れる当時の状況を考えれば、右派の政治家にとって、強固な反共理念をもつ宗教団体と手を組むことは意味があったのでしょう。

ところがその後、ソ連の退潮で共産主義の脅威が薄れ、過度の勧誘や献金、合同結婚式などで統一教会が社会的な批判を浴びるようになっても、自民党は関係を切ることができませんでした。その理由は、選挙の票です。

日本には713名の国会議員(衆議院465名、参議院248名)がいますが、一般のひとが名前をあげられるのはせいぜん10人から20人でしょう。ほとんどの政治家は無名ですが、それでも選挙で票を集められるのは特定の団体とつながっているからです。

旧統一教会の信者数は諸説あるものの、60万人という公称は実態とはかけ離れ、熱心な活動家は2万から多くても6万人程度とされています。しかしその周辺には、選挙のときだけつき合うライト層がいて、それを合わせると十数万票を動かすちからはありそうです。

この票を取りまとめていたのが安倍元首相で、7月の参院選で自身の側近を当選させるために教団の票を回したとされます。この候補者は落選した19年の選挙から8万票ちかく上乗せしましたが、そのために現職の参議院議員が出馬を断念しており、統一教会の票で当選できたのはせいぜい数名でしょう。

それにもかかわらずなぜ大きな影響力をもつかというと、政治家は落選すると「ただの人以下」になってしまうからです。生き残るためには、数十票を取りまとめてくれる町内会長や商店会長にまで土下座しなくてはなりません。だとしたら、数千票、あるいは数百票であっても、確実な票をもつ団体が支援を申し出ればどうなるかは考えるまでもありません。

全国の農協関連団体が動かせる票は15~20万票といわれていますが、自民党内には農林族という族議員がいて農協の利権を守っています。こうした関係は、医療・看護、教育、公共事業関連など、政策とビジネスが直結するすべての業界で同じでしょう。

だとしたら問題は、政治と宗教の関係というよりも、巨人ファンや阪神ファンよりずっと少ない人数の団体が、不均衡に大きな政治的影響力を行使できる民主選挙の仕組みにあるのではないでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2022年9月26日発売号 禁・無断転載

【アクセス1位】自己家畜化という「人類のやっかいな遺産」

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなってしまったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回から、アクセスが多かった記事を順にアップしてきます。アクセス1位は2016年5月20日公開の「「知能や気質は、人種ごとに遺伝的な差異がある」言ってはいけない残酷すぎる真実」です(一部改変)。

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イギリスの科学ジャーナリスト、ニコラス・ウェイドの『人類のやっかいな遺産 遺伝子、人種、進化の歴史』( 山形浩生、 守岡桜訳、晶文社)は、これまでPC(political correctness/政治的正しさ)の観点から「言ってはいけない」とされてきた分野に大胆に切り込んだ問題作だ。ウェイドは本書でなにを主張したのか。膨大なエクスキューズを後回しにして結論だけをいおう。

約5万年前にアフリカを出た現生人類は、ヨーロッパ、アジア、アメリカ、オーストラリアなど(比較的)孤立した環境のなかで独自の進化を続けてきた。この進化の影響は、肌や髪の毛、目の色だけでなく、知能や気質など内面にも及んでいる。これが、人種によって社会制度や経済発展の度合いが異なる理由だ。

これがどれほど不穏な主張かは、「アフリカはなぜいつまでも発展しないのか」という問いを考えてみれば即座に了解できるだろう。だが「政治的」に許されないはずのこうした主張は、ゲノム解析技術の急速な進歩によって、現代の進化論のなかで徐々に説得力を増してきている。

「人種にかかわらず人間の本性は同じ」は本当か?

「身体的な機能と同様に、ひとのこころも進化によってつくられてきた」と考える進化心理学は、その存在自体がリベラルの逆鱗に触れるものではあったが、それでも社会のなかでなんとか居場所を確保してきた。「進化のスピードを考えれば、ひとのこころは旧石器時代と変わらない」としたからだ。「現代人がさまざまな問題を抱えているのは、原始人のこころのままコンクリートジャングルに暮らしているためだ」というのはひとびとの直観に合致していたし、なによりも「人種にかかわらず人間の本性(ヒューマン・ユニヴァーサルズ)は同じ」というのは「政治的」な心地よさがあった。

だが「科学」の立場からは、こうした前提がきわめて不安定なのは明らかだ。白人、黒人、アジア系では外見が異なり、アフリカから分かれた6~5万年のあいだに独自の進化が起きたことは間違いない。だが人種ごとに身体的特徴を大きく変えたその進化は、どういうわけか気質的、精神的特徴にはいっさい手をつけなかった、というのだから。

「文化や社会は遺伝・進化の強い影響下に置かれている」という考えは、1970年代にアメリカの生物学者E.O.ウィルソンが大著『社会生物学』で示唆し、リベラル派からはげしい批判を浴びていた。当時、ウィルソンはこの仮説を証明するデータを提示できなかったが、「遺伝と文化が共進化する」という発想はきわめて斬新なものだった。

その後、「社会生物学論争」という米アカデミズム内の激烈なイデオロギー闘争を経て、進化論の科学者とリベラル派のあいだでいちおうの妥協がはかられた。それが、「人間の本性には遺伝的な基盤があるが、そこに人種間のちがいはない」というPC的な主張になっていく。

だがウェイドや、『一万年の進化爆発 文明が進化を加速した』(古川奈々子訳、日経BP社)で同様の理論を展開したアメリカの人類学者グレゴリー・コクランとヘンリー・ハーペンディングは、「そんなのはデタラメだ」と一蹴する。たとえばウェイドは、次のようにいう。

歴史は人類進化の枠組みの中で起こる。この2つの主題は別々に扱われ、まるで人類進化がいきなり止まってから、かなり時間が経って、歴史が始まったかのように論じられる。でも進化は急に止まれない。そんな都合のいい進化の休止が起こったなどという証拠はまったくない。ゲノムからの新しい知見はますます、進化と歴史が相互に絡み合っていることを示している。

こうした主張に対する有力な“科学的”反論は、「異なる人種のあいだの遺伝的なちがいよりも、同じ人種のなかでの遺伝的なばらつきの方がはるかに大きい」というものだ。ヒトの遺伝的変異の85%は集団の内部で見られ、集団間の差異は15%にすぎない。したがって、集団(人種)の遺伝的なちがいをことさらに強調するのは科学的に意味がない、というわけだ。

だがコクランとハーペンディングは、「イヌの遺伝的変異の分布を調べても、遺伝的なちがいの70%は品種内で、30%は品種間で見られる」と反論する。PC派の理屈が正しいのなら、「グレートデンとチワワのちがいを語ることは非科学的だ」という荒唐無稽な話になってしまうのだ。

愛犬家なら誰でも知っているように、イヌの気質は品種によって大きく異なる。その一方で、すべてのイヌに共通する“ドッグ・ユニヴァーサルズ(イヌの本性)”があり、同じ品種でもさまざまな個性を持つ。

著者たちによれば、人種のちがいもこれと同じだ。私たちはみな進化の過程でつくられてきた「人間の本性」を共有しつつ、それぞれに個性的だが、最近(数万年)の進化によって、人種ごとに異なる外見、異なる気質を持つようにもなったのだ。

白人と黒人の知能の違いは、環境か、遺伝か?

ここまでなら多くの日本人は「当たり前の話だ」と思うかもしれないが、欧米(とりわけアメリカ)では、こうした主張は重大な含意を持つ。白人と黒人の知能の差をめぐる深刻な政治的対立に直結するからだ。

このきわめてセンシティブな問題については拙著『言ってはいけない』(新潮新書)で概略を説明したが、ここではウェイドの文章をそのまま抜粋しよう。

IQ論争の両陣営は、遺伝派と環境派と考えてよい。どちらもアメリカでIQ試験をすると、ヨーロッパ系アメリカ人が100となり(これは定義でそうなる――彼らのIQ試験の得点は100に正規化される)、アジア系アメリカ人は105、アフリカ系アメリカ人は85から90となる。アフリカ系アメリカ人はヨーロッパ系の得点より目に見えて低い(15点、あるいは1標準偏差分だ、と遺伝派は指摘する。いやたった10点だ、と環境派は言う)。ここまではどちらも合意する。論争は、ヨーロッパ系とアフリカ系の得点差の解釈で生じる。遺伝派は、得点差の半分は環境要因によるもので、半分は遺伝によるものだと主張する。ときにはこの比率が、環境2割、遺伝8割とされることもある。環境派は、この差のすべてが環境的な疎外要因によるもので、それが解消されればこの差は最終的になくなると主張する。

この論争は、じつは科学的にはほぼ決着がついている。一卵性双生児や二卵性双生児の比較から遺伝の影響を調べる行動遺伝学では、認知能力のうちIQに相当する一般知能の77%、論理的推論能力の68%が遺伝によって説明でき、環境の影響が大きいのは(親が子どもに言葉を教える)言語性知能(遺伝率14%)だけだとわかっているのだ(安藤寿康『遺伝マインド』有斐閣)。

白人と黒人の知能の格差(ウェイドがいうようにこれは“事実”で、リベラル派にも異論はない)が異なる進化の結果だということになると、黒人の経済的苦境は過去の奴隷制や人種差別のせいではなく、黒人など人種的マイノリティに経済的・社会的支援を行なうアファーマティブアクション(積極的差別是正措置)の根拠もなくなってしまう。これがアメリカ社会にとってどれほどの衝撃かはいうまでもないだろう。

それだけではなく、現代の進化論の不穏な主張はさらに「やっかいな」問題を引き起こす。『人類のやっかいな遺産』でウェイドは、「人種と進化の理論」をグローバルに拡張するのだ。

「人種ごとに遺伝的な差異があり、それが知能や気質にも影響している」

世界には、経済的に発展し政治的にも安定している国(主に欧米諸国)もあれば、経済的に貧しく政治的混乱が続いている国(主にアフリカや中東諸国)もある。なぜこのようなちがいが生まれたかは、これまで歴史的経緯によって説明されてきた。アフリカは奴隷貿易と帝国主義列強の分割・植民地化によって搾取され、社会の基盤を徹底的に破壊されたために苦しんでいるのだ、というように。

だがPC的に居心地のいいこの解釈は、1980年代からアジアの経済成長が始まり、2000年以降、それが加速して中国が世界2位の経済大国になるに至って大きく揺らぎはじめた。

「4匹の龍」と呼ばれたアジアの新興国のうち韓国と台湾は日本の旧植民地、香港とシンガポールはイギリスの旧植民地で、中国はアフリカ同様、欧米列強と日本による侵略に苦しんだ。東南アジアでも、イスラームを国教とするマレーシアや、世界最大のムスリム人口を抱えるインドネシア、アメリカとの戦争で国土が荒廃したベトナム、ポルポトの大虐殺という現代史の悲劇を経験したカンボジアが次々と経済発展にテイクオフし、軍事独裁国家の“秘境”ミャンマーまでが民主化を達成し、いまや空前の不動産バブルに湧いている(その後、クーデターが起きて軍政に戻った)。

アフリカにもルワンダやボツワナのように政治的・経済的に安定した国はあるものの、この20年のアジアの変貌と比べればその差は目もくらむほど大きい。だとしたら、アジアとアフリカを分かつものはなんなのか?

この問いに対してジャレド・ダイアモンドは世界的ベストセラーとなった『銃・病原菌・鉄』(倉骨彰訳、草思社文庫)で、「横に長いユーラシア大陸と、縦に長いアフリカ大陸、南北アメリカ大陸の地理的なちがい」というエレガントな説を提示した。農業は人類史を画する革命だが、このイノベーションは同程度の緯度の地域にしか広まらない。アフリカ南部でもヨーロッパと同じ農業を営む条件は揃っているが、知識や技術はサハラ砂漠や熱帯のジャングルを越えることができなかったのだ。

だがウェイドは、これはものごとの半分しか説明していない批判する。

大陸ごとに知識・技術の伝播のちがいが生じるのはそのとおりだが、これは地形が人の移動を制限するからだ。ダイアモンドは「人種などというものは存在しない」と断言するが、皮肉なことに、彼の理論は「孤立した集団が異なる進化を遂げた」という現代の進化論を補強しているのだ。

アメリカの歴史学者ニーアル・ファーガソンは『文明  西洋が覇権をとれた6つの真因』(仙名紀訳、勁草書房)などで、東洋の専制政治に対して西洋は分散化した政治生活とオープンな社会を生み出し、そこから所有権や法の支配、科学や医学の進歩など数々のイノベーションが生まれたと説く。

アメリカの経済学者ダロン・アセモグルとジェイムズ.A.ロビンソンも『国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源』(鬼澤忍訳、ハヤカワNF文庫)で、「経済発展できるかどうかは制度によって決まる」と主張した。

韓国と北朝鮮は人種的には同一で、文化や歴史もほとんど変わらないが、いまや一方は先進国の仲間入りをし、もう一方は世界の最貧国だ。なぜこのような大きな差がついたかは、歴史的な偶然(民族分断の悲劇)によって異なる制度を持つようになったことからしか説明できない――これもまたきわめて説得力のある論理だ。だが問題は、こうしたケース(旧西ドイツと旧東ドイツも同じ)を地球全体にそのまま拡張できるのか、ということにある。

ウェイドは、政治的成熟や経済発展に制度が重要だとしても、朝鮮半島のように異なる制度に分かれた経緯が明快に説明できるのは稀有なケースで、ほとんどの場合、なぜある国が経済発展に有利な制度を持ち、別の国が不利な制度を持つようになったかはわからないままだと批判する。

「西洋はたまたま産業革命を達成し、中国はたまたま停滞し、アフリカはたまたま取り残された」というだけでは、なんの説明にもなっていない。だが遺伝と文化が共進化すると考えるなら、ヨーロッパ、アジア、アフリカで異なる文明や社会が生まれた理由を、より根源的に解き明かすことができるだろう。

「人種ごとに遺伝的な差異があり、それが知能や気質にも影響している」という現代の進化論の知見を拡張していくなら、ここまでは論理的必然だ。同様の主張を婉曲に述べる論者はこれまでもいたから、ウェイドの“功績”はPC的な制約を乗り越えて、「人種と進化」をはじめて堂々と口にしたことにあるのだろう。

農業の開始と自己家畜化

なぜ人種によって進化の度合いが異なるのか。これにはさまざまな要素があるが、そのなかでも決定的に重要なのは約1万年前の農業の開始だ。これについてはコクランとハーペンディングの『一万年の進化爆発』が詳しいので、それに即して現代の進化論の主張を見てみよう。

農業の開始は現生人類の生存環境に劇的な変化をもたらした。ある程度裏づけのある推測によれば、10万年前の世界人口は、アフリカの現生人類とユーラシアの旧人類(ネアンデルタール人など)を合わせて50万ほどしかいなかった。現生人類がユーラシア大陸に拡散した1万2000年前(氷河期の終わり)でも、その数は600万人程度だった。だが農業という技術イノベーションでカロリー生産量が急激に高まったことで、紀元前1万年から西暦1年までのあいだに世界人口は100倍まで増加したのだ(推定値は40~170倍)。

農業が現生人類に与えた最大の変化は、食糧を求めて少人数で広大な大陸を移動する狩猟採集生活から、土地にしばりつけられた人口密度の高い集団生活に移行したことだ。これによって人類は感染症の危険にさらされることになって免疫機能を発達させ、炭水化物を大量摂取しても糖尿病になりにくい体質へと“進化”した。

狩猟採集生活をしていたり、農業を始めてから歴史の浅い新大陸(アメリカやオーストラリア)の原住民がヨーロッパ人との接触で天然痘などに感染して甚大な被害を受けたことや、大量の炭水化物を経験したことのない彼らが糖尿病にかかりやすいことはここから説明できる。また穀物を発酵させてつくる酒も農業革命以降の発明で、耐性のない新大陸の原住民のあいだでアルコール依存症が深刻な問題になっている。

だがそれ以外でも、「農業による集団生活」というまったく新しい環境は、人類に対してさまざまな自然淘汰の圧力を加えた。

狩猟採集生活では獲得した獲物はその場で食べるか、仲間と平等に分けるしかなかったが、貯蔵できる穀物は「所有」の概念を生み出し、自分の財産を管理するための数学的能力や、紛争を解決するための言語的能力が重視されるようになった。

その一方で、狩猟採集社会では有用だった勇敢さや獰猛さといった気質が人口過密な集住社会(ムラ社会)では嫌われるようになった。牧畜業では気性の荒い牛は仲間を傷つけるので真っ先に排除される。それと同様に、農耕によってはじめて登場した共同体の支配者(権力者)は自分に歯向かう攻撃的な人間を容赦なく処分しただろうし、また農村社会においても、攻撃的な個人はムラの平和を乱す迷惑者として村八分にされたり、ムラから追い出されたりしただろう。農耕社会では、温厚な気性が選択的に優遇されたのだ。

旧ソ連の遺伝学者ドミトリ・ベリャエフは1950年代に、古代人が野生動物をどのように家畜化したかを知るために、(人間にはなつかない)ギンギツネのなかからおとなしい個体を選んで育ててみた。すると驚くべきことに、わずか8世代で人間が近くにいても平気なギンギツネが生まれた。実験開始からたった40年、30世代から35世代ほどの交配で、キツネたちはイヌなみにおとなしく従順になり、毛皮に白い斑点ができ耳が垂れた。

キツネの品種改良を人間に当てはめるのは突飛に思えるが、じつはDRD4(ドーパミン受容体D4)遺伝子の7R(7リピート)対立遺伝子で興味深い事象がわかっている。この遺伝子はADHD(注意欠如・多動症)に関係し、落ち着きのない衝動的な振る舞いや注意散漫などを引き起こすとされる。欧米をはじめ世界各地でこの遺伝子の遺伝的多型がかなりの頻度で見られるが、東アジアではまったくといっていいほど存在していないのだ。

中国では、7R対立遺伝子に由来する対立遺伝子がかなり一般的なのに、ADHDを引き起こす7R対立遺伝子だけがきわめて稀だ。自然状態でこのようなことが起こるとは考えられないから、中国社会では7R対立遺伝子を持つ者は、人為的に徹底して排除された可能性がある。

コクランとハーペンディングは、農業がもたらした異常な環境に直面した人類は、それに適応できるよう自分で自分を「品種改良」したのだと述べる。現代の進化論が提示する仮説では、「現代人は“家畜化”されたヒト」なのだ。

オオカミとダックスフント

農業によってもたらされた“1万年の進化爆発”を私たちはどのように考えればいいのだだろうか。ここには2つの観点がある。

ひとつはウェイドが『人類のやっかいな遺産』で示唆するように、「工業社会や知識社会では、農業を経験した人種とそうでない人種の間には適応度にちがいがある」というものだ。サハラ砂漠以南のアフリカでも農業が行なわれていたが、規模は小さく歴史も短いためじゅうぶんに“進化”することができなかった。

それに対してユーラシア大陸で1万年にわたって農業を行なってきたコケイジャン(白人)やアジア人は、ムラ社会の習慣をそのまま学校・軍隊・工場などに持ち込むことで容易に適応することができた。これがたんなる文化のちがいだったら、アフリカ人やオーストラリアのアボリジニもすぐに真似できるはずだ。なぜ上手くいかないかというと、文化や習慣の背後に遺伝的・進化的基礎があるからだ――という話になる。

これはきわめて危うい論理だが、視点を変えればちがう景色が見えてくる。

先に述べたように、現代社会において経済的な成功を手にしたのは自らを“家畜化”した人種だ。これを逆にいえば、アフリカ人やアボリジニは「家畜化されていない」ということになる。白人をダックスフント、アジア人をチワワとするならば、彼らはオオカミなのだ。

チワワやダックスフントがオオカミより優れているとはいえないように、“家畜化という進化”を経た人種を家畜化されていない人種よりも優秀だとする根拠はない。進化論は科学であって、人種の優劣を論じるイデオロギーではない。

だが、この“新しい科学”をアフリカのひとたちが素直に受け入れるのはきわめて難しいだろう。欧米諸国はアフリカに巨額の援助(ウェイドによれば過去50年間に2.3兆ドル)を投入してきたが、それでもアフリカの生活水準が改善しないのは過去の植民地支配のせいではなく、遺伝的・進化的な理由だというのだから。責任ある立場のひとがこれを口にすれば、アメリカにおけるアファーマティブアクションをめぐる論争(というか罵り合い)を何倍、何十倍にも拡大する騒ぎを引き起こすことは間違いない。

フランスのアフリカ植民地支配では、フランス語を話しフランス式の高等教育を受けたアフリカ人は「エヴォリュエ(進化した者)」と呼ばれた。ヨーロッパによるアフリカの植民地化は、「進化の程度の低い原住民を訓育して幸福にする」というパターナリズム(温情主義)によって正当化されてきた。人種と進化についての科学は、この人種的偏見に科学的な根拠があったとの政治的主張を生み出しかねない。これが、(アカデミズムを含む)ほとんどのひとが人種と進化の関係を否定するばかりか、その話題に触れることすらも拒絶する理由だろう。

しかしそれでも、今後DNAの解析が急速に進むにつれて、人種による気質や性格のちがいに遺伝的な基盤があることを誰も否定できなくなるとウェイドはいう。そしてこれは、おそらく正しいのだろう。

だがこれは、現代の進化論が人種差別的な科学だということではない。科学的な知見が人種差別につながらないような社会をわたしたちが築いていかなくてはならない、ということなのだ。

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