エロス資本のマネタイズが容易になるとなにが起きるか? 週刊プレイボーイ連載(589)

事実は小説より奇なり、という事件です。

2016年夏、大学3年生の女性はアルバイトの面接で、会社オーナーを名乗る40代半ばの男と出会います。男は「東大大学院卒」で「売上数十億円」の投資家と名乗り、ペットのペリカンの写真を見せられました。

男が主催するイベントに参加すると、集まった若い女性たちに、ゲームの景品としてエルメスのバッグを配っていました。女子大生は、男を「カリスマ資産家」だと信じ込んでしまいます。

大学を卒業し、看護師や保健師として働くようになると、男から株への投資を勧められ貯金など300万円を預けます。2020年には「一緒に事業をやらないか」と誘われて仕事を辞め、「会社の休憩室」と説明されたマンションに同居し、事業の初期費用として410万円を渡しました。

ところがその後、株で多額の損失が出て返済義務があると迫られ、パパ活を指示されます。当初はデートの見返りに数万円を受け取る程度でしたが、やがて奨学金やカードローンの返済などの名目で多額の金を借りるようになります。

裁判の被告人質問で女性は、「出会い系サイトに登録させられた。会う人の年齢やサイトでの会話の内容も男に指示され、『60代以上が好み』『長くお付き合いしてくれるとうれしい』とメッセージを送った」と証言しています。男からは「1日4人、計120万円」のノルマを課され、できないと怒鳴られたり殴られたりし、パパ活の収入はすべて男に渡していました。「お前が破産すれば、家族がみんなつかまる」などと脅され、家族との縁も切り、洗脳状態にあったようです。

この事件で驚くのは、この女性が3~4年のあいだに、高齢の男性15人から計1億5000万円をだましとったとして逮捕されたことです。

28歳の無職女性を新宿・大久保公園周辺で売春の客待ちをさせたとして、京都市在住の27歳の無職の男が逮捕された事件も同じような話です。女性はSNSで男と知り合い、「パパ活より稼げる」と売春をもちかけられ、路上で客待ちをするようになりました。男は約1年間で、売春で得た金のうち1500万円以上を受け取ったとみられています。

イギリスの社会学者キャサリン・ハキムは、若い女性の性的な魅力を「エロティック・キャピタル」と名づけました。ハキムは、自分のエロス資本を活用するのは女性の権利であり、「純愛」の名の下に(一夫一妻制で)男がそれを独占するのは性差別だと批判したのです。

ところがこれらの奇妙な事件からわかるのは、SNSの登場によって、いまや若い女性のエロス資本のマネタイズがきわめて容易になったことです。日本の大卒サラリーマンの生涯収入は、40年間働いて3億から4億円です。ところが28歳の「洗脳」された元看護士は、わずか3~4年のあいだにその半分ちかくを(しかも無税で)稼いでしまったのです。

いまは一部の男女の特異な事件と扱われていますが、この事実を多くの若い女性が知ったとき、いったいなにが起きるのか、想像すると恐ろしいものがあります。

参考:「パパ活詐欺「洗脳」の果てに」朝日新聞2023年12月15日(夕)
キャサリン・ハキム『エロティック・キャピタル すべてが手に入る自分磨き』田口未和訳、共同通信社

『週刊プレイボーイ』2024年1月15日発売号 禁・無断転載

「低技能の移民をもっと受け入れよ」と説くノーベル賞受賞経済学者の論理とは?

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2021年4月22日公開の「「移民は地域経済にプラス」「格差拡大はグローバリズムが原因ではない」常識を覆す「絶望を希望に変える」ノーベル賞受賞経済学者の理論とは?」です(一部改変)。

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アビジット・V・バナジーとエステル・デュフロは、インドやアフリカなど発展途上国を舞台に、RCT(ランダム化比較試験)を使って経済政策を検証する独創的な研究を行ない、2019年に夫婦そろってノーベル経済学賞を受賞した。バナジーはインド、コルカタ生まれで、アジアからはアマルティア・センに続いて2人目、デュフロはノーベル経済学史上最年少で、なおかつ2人目の女性受賞者になる。

そのバナジーとデュフロが2019年に刊行した『絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか』(村井章子訳、日本経済新聞出版)は、トランプ誕生後の混迷するアメリカ社会に経済学はなにができるのか、という困難な問いに答えようとしている。2人がこの本を書こうと決めたのは、「富裕国が直面している問題は、発展途上国で私たちが研究してきた問題と気味が悪いほどよく似ていることに気づいた」からだという。

原題は“Good Economics for Hard Times(困難な時代のためのよい経済学)”だが、邦題は本書のテーマをよく表わしている。とはいえ、「絶望を希望に変える」魔法のような処方箋があるのだろうか。 続きを読む →

政界の裏金疑惑をリベラル化と「説明責任」から読み解く 週刊プレイボーイ連載(587)

政治資金パーティをめぐる裏金疑惑が拡大し、岸田政権はますます窮地に追い込まれています。実態はこれから検察によって解明されていくでしょうが、ここではこの事件を「説明責任」から読み解いてみましょう。なぜならこれが、今年の(というよりも、リベラル化する社会の)キーワードになるからです。

副大臣を辞職したある安倍派議員は、それがよほど悔しかったのか、記者団に「派閥から収支報告書に記載しなくてよいと指示があり、適法と推測せざるを得なかった」と語っています。

この正直な告白からわかるのは、ほとんどの政治家に違法行為の認識がなかったらしいことです。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」で、長年やってきているのだから、自分だけが批判されるいわれはないという理屈です。派閥の事務方も、違法行為を隠蔽するというより、たんに前例を踏襲していただけなのでしょう(その後、ある大臣経験者はこれを「文化のようなもの」と説明しました)。

ところが、いったんこのグレイな慣習が表沙汰になると、政治資金規正法に違反しているではないかとの批判に答えることができなくなってしまいます。その結果、派閥は議員に「しゃべるな」と箝口令を敷き、それによってますます心証が悪くなり、ついには関係する議員全員を政府や党の要職から更迭せざるを得なくなったのです。

「アカウント」は日本では金融機関などの口座や得意先・顧客の意味で使われますが、英語では“account”の第一義は「報告・説明」で、動詞では「説明する・責任をとる」になります。ここから「アカウンタビリティ(accountability)」は「説明責任」と訳されるようになりました。

リベラルな社会では、公人はもちろん私人であっても「アカウンタブル(accountable)」であることが求められるようになりました。「なぜそのようなことをしたのか?」と問われたら、その合理的な理由を説明できなければならないのです。

これを逆にいうと、説明できない行為は、ただそれだけで道徳や倫理に反すると見なされます。それが有名人であれば、たちまちSNSで炎上し、「キャンセル」の標的にされるでしょう。

ジャニー喜多川の性癖はみんな知っていましたが、「しょせん芸能界の話」と見て見ぬふりをしていました。宝塚の問題も同じで、学校でのいじめが大きな社会問題になっていても、「女の園がそうなるのは当たり前」で済まされてきました。ところがどちらも、いったん表沙汰になると、不適切な状況を放置してきた理由を説明できず、強い批判を浴びることになったのです。

日本社会は「近代のふりをした身分制社会」なので、政治や芸能の世界以外にも、アカウンタブルでない慣習がたくさん残っているでしょう。しかしそれらは、これからひとつずつ「説明責任」を問われることになるはずです。

グローバル世界と同じく日本も「リベラル化」の巨大な潮流のなかにあるので、ますます強まる「正論」の圧力から逃れる術はありません。だとしたら残された道は、「透明性」と「アカウンタビリティ」によって身を守ることしかなく、こうして日本も北欧など「リベラル」な社会と同じになっていくのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2024年1月8日発売号 禁・無断転載