福祉国家の目的は「権力のコスパ」の最大化

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2018年6月15日公開の「デンマークという高度化した福祉国家の徹底した「権力のコスパ」政策」です(一部改変)。

Arcady/Shutterstock

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「自分の人生を自由に選択できない社会では、自己責任を問うことはできない」

おそらくすべてのひとがこの原則に同意するだろう。「奴隷が幸福になれないのは自己責任だ」などというひとは、すくなくともいまのリベラル化した社会には居場所がない。

だとすれば、論理的にはこの原則を逆にして、「人生を自由に選択できる社会では自己責任を問われることになる」はずだ。

「自己決定権」を最大限重視する北欧の国で「自己責任」はどのようになっているのだろうか。それを知るために参考にしたのが鈴木優美氏の『デンマークの光と影 福祉社会とネオリベラリズム』(壱生舎)だ。

参考:本人の意志と自己責任が徹底されたデンマークはどういう社会か?

『デンマークの光と影』は2010年の発売だが、ほとんど知られていない「世界でもっとも幸福な国」の内側を在住者の視点で観察したとても興味深い本なので、今回はいまの日本にとって示唆的な箇所を紹介してみたい。 続きを読む →

本人の意志と自己責任が徹底されたデンマークはどういう社会か?

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2018年3月29日公開の「懲罰的な意味合いの強い日本と違う 幸福度世界第3位のデンマークの「自己責任」論」です(一部改変)。

Pcala/Shutterstock

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日本ではこのところずっと、「格差」と「自己責任」が議論になっている。社会学者・橋本健二氏は『新・日本の階級社会』(講談社現代新書) のなかで、SSM調査(1955年以来、10年に一度、全国規模で無作為抽出によって実施されている社会学者による日本最大規模の調査)を用いて自己責任論の広がりを指摘している。

2015年のSSM調査には「チャンスが平等に与えられているなら、競争で貧富の差がついてもしかたがない」という設問があり、その回答をみると、全体の52.9%が自己責任論に肯定的で、とくに男性では60.8%に達する。自己責任論に否定的なのは全体で17.2%、男性では15.6%にすぎず、女性でも18.6%しかいない。

特徴的なのは「格差の被害者」であるはずの貧困層でも44.1%が自己責任論に肯定的で、否定的なのは21.6%にとどまることだ。「貧困層のかなりの部分は、自己責任論を受け入れ、したがって自分の貧困状態を、自分の責任によるものとして受け入れているのである」と橋本氏は述べている。

同じSSM調査から、2005年と2015年で格差拡大を肯定・容認する比率を見ると、富裕層では高く(2015年では37.0%)貧困層では低い(同23.7%)のだが、この10年間で富裕層では1.2ポイント上昇したにすぎないが貧困層では6.3ポイントも上昇している。貧しいひとほど格差拡大を容認するようになったという奇妙な現象の背景にも「自己責任論」がありそうだ。 続きを読む →

新疆を旅して感じた人権抑圧と宗教からの解放 週刊プレイボーイ連載(601)

3月末から4月はじめにかけて中国西部の新疆ウイグル自治区を旅しました。東アジアと中央アジアが接するこの地域には、ウイグル人、カザフ人、キルギス人、タジク人など多くの少数民族が暮らしています。

新疆では近年、石油や天然ガス、鉱物資源が相次いで発見され、西部大開発で多くの漢族が流入したことで緊張が高まり、2009年には域内最大の都市ウルムチでウイグル人の大規模な暴動が、14年には習近平主席の視察に合わせてウルムチ駅で自爆テロが起きました。

その後、中国政府は徹底した治安強化と“中国化”を推し進め、熱心なイスラーム信者や留学経験のある知識層を再教育施設に収容するなど、人権団体から「完全監視社会の実験場」と批判されています。

私は2010年にもウルムチを訪れていますが、そのときは礼拝の時間が終わるとモスクの前は黒山のひとだかりで、バザールの夜市も地元のムスリムで賑わっていました。

ところがそれから14年で、町の雰囲気は一変していました。女性が全身を覆うブルカはもちろん、髪を隠すヒジャブ(スカーフ)も見かけません。ウイグル人の男性はほとんどがドッパという帽子をかぶっていましたが、その習慣もなくなったようです。

さらに驚いたのはバザールで、再開発によって少数民族テーマパークのようになり、かつての素朴な雰囲気はまったく残っていません。モスクの正面には中国で新年を祝う赤い提灯が飾られ、礼拝の時間になっても訪れるのは数人の高齢者だけで、モスクの1階は宝石などを売る土産物店に改装されていました。

これだけを見ると、たしかにウイグル人の人権が抑圧されていることは間違いありません。しかし、そこからさらに西のカシュガルまで旅するあいだに、最初の印象はすこしずつ変わりはじめました。

私が訪れたときは、イスラームのラマダンに重なっていました。ムスリムにとって重要な宗教行事で、約1カ月間にわたって日の出から日没まで断食を行ないます。イスラーム圏ではホテルを除いてレストランはすべて閉店してしまうので、食事は楽しめないかもと覚悟していたのですが、新疆ではどこも早朝から深夜まで店を開け、ラマダンの気配はまったくありません。

中国の3連休にもあたっていたので、西の果てのカシュガルには漢族の観光客が押し寄せ、たいへんな賑わいでした。中国は時差がないので、西部地区の日没は夜9時過ぎになり、バザールのなかにある小学校から子どもたちが飛び出してくるのは7時頃です。その子どもたちも、観光客に混ざって、露店でパンやお菓子を買っておいしそうに食べています。

イスラーム世界にも、子どもにまで1カ月の断食を強要するのは理不尽だと思っているひとがいるはずです。しかしそんなひとも、宗教的な同調圧力によって、疑問の声をあげるのは難しいでしょう。

ところが新疆では、共産党がラマダンを禁止した(ただし個人的に絶食するのは自由)ことで、宗教のくびきから解放されたのです。

楽しそうに食事をする地元のひとたちを見て、人権問題を論ずる欧米の活動家は、戒律から自由になったサイレントマジョリティの声を無視しているのではないかと思いました。

カシュガルのバザール内にある小学校から出てくる子どもたち(Alt Invest.Com)

『週刊プレイボーイ』2024年4月29日発売号 禁・無断転載