フランス、ドイツ、イギリスの「ヴェール問題」(前編)

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2016年9月1日公開の「ムスリム女性の「ヴェール問題」に対する 英仏独それぞれの対応と功罪」です(一部改変)。

MalikNalik/shutterstock

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インドネシアの空港だったと思うが、飛行機の搭乗を待っていると、近くにアラブ人の若い夫婦が座った(一般的には「若い男女」だが、アラブでは婚姻関係になければいっしょに旅行できない)。口ひげをはやした男性はごくふつうの半袖シャツを着ていたが、妻は顔を隠しスリットのような隙間から目だけを出したニカブ姿だった。

私の前には、バックパッカーらしきヨーロッパ系の若い女性が座っていた。ショート丈のタンクトップに短パンという、どちらかというと下着に近い格好をしていた彼女はときどきアラブ人の夫婦に視線を投げかけるのだが、その表情には、こちらが心配になるくらい露骨な軽蔑と憎悪が込められていた。

欧米ではニカブや(全身を覆い目の部分を網状にした)ブルカは女性抑圧の象徴とされており、妻にニカブを強要するアラブの男は女性虐待者であり、それに唯々諾々と従う妻は“奴隷”の身分を喜んで受け入れているのだ。

フランスの公立学校ではヴェールの着用が認められない

ずいぶん前の体験を思い出したのは、ニースでのテロ事件を受けて、ヨーロッパでブルカや、ムスリムの女性が海水浴場などで身につけるブルキニを法で禁止する動きが広がっているからだ。

ブルキニは身体の線を出にくくした長袖・長ズボンの水着で、ムスリムの女性が海水浴のときに着用する。これまで公営プールでは「衛生上の理由」から禁止されることもあったが、海水浴場では周囲に迷惑をかけないかぎりなにを着てもいいはずで、とくに問題とされたことはなかった。

先陣を切ったのはニースに近い観光地のカンヌやヴィルヌール・ルベなどで、「治安上の問題」を理由に公共のビーチでブルキニの着用を禁止する条例が次々と施行され、それに対して行政裁判の最高裁にあたる国務院が「信教と個人の自由という基本的自由を、明確かつ違法に侵害する」として凍結を命じるなど、混乱が広がっている。

またドイツでは、与党キリスト教民主同盟(CDU)が、「全身を覆う洋服を着た女性はドイツ社会には似つかわしくない」として、ブルカ禁止を検討していると報じられた。この問題を私たちは、どのように理解すればいいのだろうか。

ヨーロッパに暮らすムスリム女性の服装をめぐる軋轢は、1989年にフランス社会を揺るがしたヴェール(スカーフ)事件にまで遡る。地方都市の公立学校に通うムスリムの女子中学生3人がヴェールをかぶって登校し、学校(校長)の度重なる説得にもかかわらず校内でヴェールを脱ぐことを拒否したため教室内に立ち入ることを禁止された事件で、フランス社会を二分する大論争に発展した。

なぜフランスの公立学校でヴェールの着用が認められないかというと、フランス共和国の根幹にある「ライシテ(非宗教性)」の原則に抵触するからだ。

だがその一方で、隣国ドイツや海を隔てたイギリスでは、生徒がヴェールをかぶって公立学校に通うことが当たり前に認められており、それでなんの社会的混乱も起きていない。イギリス人やドイツ人は、フランスのムスリムに対して、「こんな当たり前のことすら認められないなんて、フランス政府はおかしい」と同情する。こんな状況では、「ライシテ」がムスリムへの差別を隠蔽するていのいい言い訳だとみなされても仕方がない。

これまでヴェール事件は、フランス国家の内部でのイデオロギー対立として語られてきたが、この問題を理解するためには視野をヨーロッパ全体に拡大する必要がある。なぜならフランスのムスリムは、イギリスやドイツ、北欧やオランダ、ベルギーなど、ヨーロッパの他の地域に暮らすムスリムと自分の境遇を比較しているのだから。

ヴェールには3つの意味がある

ヴェール問題の国家間比較を試みたのは、ヨーロッパの専門家ではなく、アメリカの社会学者クリスチャン・ヨプケだった(『ヴェール論争 リベラリズムの試練』 伊藤豊、長谷川一年、竹島博之訳/法政大学出版局)。

議論の前提としてヨプケは、ヨーロッパにおけるヴェールには3つの異なる意味があるという。

ひとつめは「移民のヴェール」で、故国への郷愁や出自のアイデンティティを維持するために年配のムスリム女性が身につけるものだ。これはヨーロッパ社会でも問題なく受け入れられており、政治(イデオロギー)論争になることもない。

ふたつめは、「娘のセクシャリティを管理するために親によって課されるヴェール」で、これが「女性への抑圧」と見なされるのだが、その一方で若いムスリム女性にとって「解放の可能性」をも意味しているとヨプケは指摘する。

若いムスリム女性はヴェールをまとえば「外に出る」ことが許され、郊外の同世代の友人や、自身の家族などの周囲の男性によるハラスメントから保護される。「若いムスリム女性にとって通常は無縁である、家庭の外で人生の成功を得ようと努めること――が許されるのは、まさにヴェールのおかげなのである」。

三つめはもっとも矛盾をはらむ「自立のヴェール(誇示的ヴェール)」で、自己を主張する16歳から25歳までの若いムスリム第二世代が自由意志にもとづいて選び取った、「イスラームのアイデンティティ」の表現だ。

だがこの「自立のヴェール」は、ただちに「反フランス」というわけではない。そればかりか研究者は、「(自立のヴェールを着用するのは)進学を通じて、あるいは下層中流階級としての自身の地位を通じて、フランス社会に最も「統合された」人々」だと述べている。彼らにとってのヴェールは、「フランス人でありつつムスリムでもありたい、近代的でありつつヴェールで顔も覆いたい、自立した個でありつつイスラム風の服装も身につけたいという欲求」の表われなのだ。

だがそれ以外にも、「自立のヴェール」はさまざまな意味を持っている。ある場合は「人種差別反対」の異議申立てであるかもしれないし、別の場合は(イスラーム国家の樹立や厳格なシャリーアの実施など初期イスラームの時代の理想に還ることを求める)サラフィー派原理主義の宗教心の表明であるかもしれない。

それに対してリベラルな近代国家は、「第三者の権利が侵害されないかぎり、信教の自由を保護し、国民個々の内面(宗教心)に介入してはならない」という原則を守らなければならない。ヴェールが女性に対する抑圧なのか、自主的に選び取った宗教的シンボルであるかは当の女性が決めることで、それに対して国家は沈黙を守らなければならないのだ。

ヴェール問題とは、こうしたリベラルの原則に対する挑戦であるとヨプケはいう。そしてこの挑戦に対し、フランス、ドイツ、イギリスはそれぞれ異なる対処法を見出した。では次にそれを見てみよう。

「フランスは移民の統合に失敗した」の通説は間違っている

フランスにおけるヴェール問題は、一般に思われているようなキリスト教(カトリック)とイスラームの宗教対立ではなく、共和政(ライシテ)とイスラームの政治的なイデオロギー対立のことだ。ライシテは政教を厳格に分離し、公的な領域への宗教の関与を拒絶するが、イスラームはそもそも公的領域と私的領域の区別を認めないため、私的なもの(ヴェール)を公的な領域(公立学校)に持ち込むことになるのだ。

その一方でヨプケは、「フランスは移民の統合に失敗した」という通説に疑問を投げかける。さまざまな軋轢にもかかわらず、近年の調査によれば、フランスにおけるムスリムの42%が「まずはフランス人、次にムスリム」と自己規定している。それに対して「多文化主義」の恩恵を浴しているはずのイギリスのムスリムでは、国への忠誠を宗教への忠誠よりも上位に置いているのはわずか7%にすぎない。

さらにいえば、フランスではキリスト教信者よりもムスリムの方が、フランスのデモクラシーはうまくいっていると考えており、その割合はムスリムがほぼ70%に達するのに対し、プロテスタントは63%、カトリックは58%にとどまっている。

同様のデータはほかにもある。フランスのムスリムのほぼ80%が「宗教の異なる人と付き合ったり結婚したりすることに違和感はない」と答え、実際にムスリム男性の半分はムスリム以外の女性と、ムスリム女性の4分の1はムスリム以外の男性と結婚している。さらには、ムスリムのほぼ70%がライシテ、すなわち教会と国家の厳格な分離を支持している。

フランスに居住するムスリムは500万人と推計され、ヨーロッパのムスリムの総人口の3分の1にものぼるが、さまざまな調査が示すのは、規則正しく礼拝に参加しているのは8~15%、毎週金曜日にモスクに参列している者は5%にも満たないという実態だ。彼らの圧倒的多数はもっぱらエスニック上のムスリムであり、宗教的な意味でのムスリムではない。フランスでは「イスラーム」は、(ムスリムという)マイノリティ集団のなかの、もうひとつのマイノリティ集団だけに関係する問題なのだ。

だとしたら問題はイスラームではなく、ライシテの側にあるのではないか。

リベラリズムの強硬ヴァージョン

フランスの共和主義の特徴は、すべての国民を個人として平等に扱い、「多文化主義」を認めず差異を考慮しない「リベラリズムの強硬ヴァージョン」だとヨプケはいう。

2004年3月、フランス国民会議は左右両派の圧倒的支持を得て、「公立学校において、生徒がこれ見よがしに宗教的帰属を明示することになる標章または衣服の着用は禁止される」との法律を可決し、15年にわたって繰り広げられたヴェール論争に決着をつけた。

この論争において保守派(共和主義者)は、「(フランスにおいて)公立学校は、子どもをみずからの社会的背景から解放し、真の市民にしてくれる」場だと主張した。学校を共和主義の中心的価値を体現する「神聖な」ものにするためにこそ、「家」と「学校」、「私」と「公」、「市民社会」と「公共空間」の厳格な二分法が要請されなければならない。公立学校で伝達されるのは個人的な英知だけではなく、普遍的な秩序に関する人間の英知といった「人類の遺産」に属するものなのだ。

この公教育に対する、(私たちからみれば)過度に教条主義的な理想を前提にしないと、フランスの保守派がなぜ頑強にヴェール禁止にこだわるのかはわからない。そしてヨプケは、ライシテが教条主義であるかぎりにおいて、それはムスリムだけでなくすべての宗派の国民に平等に適用されるのだから、(原理としては)人種差別を免れているという。それが、2004年のヴェール禁止法をフランスのムスリムが最終的に受け入れた理由だった。

そのきっかけは、イラクでフランス人ジャーナリスト2人が、フランスのヴェール禁止法の撤回を求める急進的イスラーム主義者によって誘拐されたことだった。これを受けてパリ・モスクの指導者は、名もなきムスリムの少女の言葉を引いて、「私のヴェールが血に染まることはけっしてない」と宣言した。

フランスの世俗化したムスリムは、自らの寛容さによってヴェール問題を乗り越えたのだ。すくなくとも2015年1月にシャルリー・エブド襲撃事件が起きるまでは。

ドイツの「ヴェール問題」は生徒ではなく教師

ドイツは、フランスを別にすれば、ヨーロッパでムスリムのヴェールを法律で禁じている唯一の国だという。だがそのことがあまり知られていないのは、ドイツではムスリムの女子生徒のヴェールは当然の権利として容認されており、ヴェールを禁じられているのが教師だからだ。

ドイツの「ヴェール問題」は、2003年9月の憲法裁判所の「画期的な判決」によって火がついた。

アフガニスタン生まれでドイツに帰化し、教師を目指したムスリムの女性が、ヴェールの着用を理由に不採用とされたことを不服として裁判を起こした。彼女の主張は、学校行事でキリスト教の礼拝が容認されており、教師が明らかにそれを宗教的実践として行なっている以上、当然のことながらイスラームのヴェールも許されるべきだ、というものだった。

これに対して連邦行政裁判所は彼女の訴えを退けたが、その論拠は国家の中立性で、「多元的な社会では、国家は父兄から非常に多様な意見を尊重しなければならず、どんなかたちであれ教師による宗教的な教化は慎まなければならない」と述べた。

ドイツ憲法(基本法)にはたしかに「信条の自由」と「公職への平等な就任権」が定められているが、それと同時に、学校に通う子どもには「教師に特定の教義を押しつけられない権利」が、親には「自分の子どもを教育する(当然の)権利」がある。これらの権利を比較考量すると、教師の権利は二次的なものであり、生徒と親の「より弱い」立場が優先されなければならないのだ。

「キリスト教は文化」というダブルスタンダード

これはひとつのリベラリズムの見識だが、だがそうなると、ドイツの公立学校でキリスト教の礼拝が行なわれている実態が問われることになる。この判決を遵守すれば、フランスのようなライシテ(公的領域からの宗教の排除)を徹底するほかないのだ。

この矛盾に対して憲法裁判所は、ドイツ憲法の根本精神である「開かれた中立性」にもとづけばムスリムの教師のヴェールは容認されるべきだと示唆したものの、その運用には制定法の根拠が必要だとして責任を立法府に丸投げしてしまった。

こうして判決は、その意図に反して各州政府に「ヴェール禁止」の立法化を促すことになった。そして保守的な州によって制定された法律では、当初の前提である「国家の中立性」は無視され、イスラームだけを対象にし、キリスト教のシンボルに関しては適用除外が明記されることになったのだ。

これについて州の行政裁判所は、判決でよりあけすけに次にように述べた。

州憲法の価値判断に従うならば、キリスト教ではない教師は、キリスト教の教師よりも限られた条件でしか自分の宗教的帰属を表明することができない。

もういちど確認しておけば、ヴェール問題とは、両立不可能な以下のふたつのリベラルな立場からいずれかを選ぶことだ。

  1. 「開かれた中立性」というドイツ憲法の原則からすれば、ヴェールを身につけたカトリックの修道女の教師がいるのだから、ヴェールを着用したムスリムの教師も公立学校で受け入れるべきだ。
  2. 「国家の(宗教からの)中立性」を重視すれば、教師のヴェール着用は認められないが、同時にキリスト教を含むすべての宗教シンボルが禁止されなければならない。

ところがドイツの「ヴェール禁止法」は、「概念上は国家の中立性を擁護しながら、実際には国家の中立性を侵害して(キリスト教ではなく)イスラムのシンボルだけを排除することで、このようなジレンマの存在をなきものとしている」とヨプケはいう。

もちろんこれは、あきらかな詐術だ。そこでドイツの司法当局は、より巧妙な論理をつくりだした。たとえばバーデン=ヴェルテンベルク州の「ヴェール禁止法」には次のような文言がある。

キリスト教的-西洋的な価値観や伝統を提示することは、州憲法の教育的要請であり、第一項で求められている態度(教師は政治的・宗教的・イデオロギー的な性質をともなう外見上の表明を行なってはならない)に矛盾しない。

ここで明らかなように、ドイツの公立学校におけるキリスト教は「宗教」ではなく価値観や伝統、すなわち「文化」なのだ。こうしてドイツは、ヴェール問題を「共同体主義(コミュニタリアニズム)」で解釈することで、この難問を棚上げした。だがカトリックの修道女の教師はヴェールを着用しているのだから、これではダブルスタンダードと批判されても仕方がない。

フランスはムスリムの女子生徒のヴェールを「国家の(宗教からの)中立性」を厳密に解釈することで禁じた。それに対してドイツは、「開かれた中立性」で生徒のヴェールを認めるものの、公立学校のムスリム教師には法によってヴェールの着用を禁じている。

ドイツの論理では、政府には「国家の伝統」を擁護する義務があるのだから、「特定宗教の信奉や布教」としてムスリムの教師のヴェールを法で禁止することと、「西洋を形成してきたシンボル」としてのキリスト教的価値観を保護することは両立できるのだ。

フランスとドイツでもヴェールに対する対応は大きく異なるが、イギリスはまた別の政策を採用している。それについては次回、検討することにしよう。

フランス、ドイツ、イギリスの「ヴェール問題」(後編)

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