書評:『幸福の計算式』

前から読みたかった『幸福の計算式』を出版社のひとが送ってくれた。とても面白い本だったので、ここで紹介したい。

世の中には、幸福の値段を計算しようとする学者がいる。本書の著者のニック・ポータヴィーもその一人で、タイに生まれ、イギリスで学んだ経済学者だ。

「幸福の計算」と聞いただけで拒絶反応を示すひともいるかもしれないから、具体的なデータでこの研究の面白さを説明しよう。

下図は、イギリスにおける年齢別のうつ病発生率だ。これを見ると、40台半ばを頂点にして、うつ病になる割合が見事な山型になっていることがわかる。ひとは若いときは幸福で、中年になるにしたがってだんだん不幸になり、50歳くらいからはまた幸福になっていくのだ。

年齢による幸福度の推移は、誰でもその理由を推察できるだろう。

結婚して子どもが生まれると、経済的な負担も重くなって人生がキツくなってくる。会社でも中間管理職になり、上と下に挟まれていちばんストレスがたまる頃だろう。「中年の危機」は万国共通で、データにもはっきり現われているのだ。

ここを乗り切ると、50歳を過ぎる頃から子どもも自立し、住宅ローンも払い終わって、家計に余裕も出てくる。会社での地位も安定して、先が見えてしまうかもしれないが、逆にストレスもなくなるかもしれない。

「幸福の科学(宗教団体ではない)」では、こうしたさまざまなデータを集めて、幸福や不幸を客観的に評価しようとする。

それでは次に、アメリカにおける職業別の満足度のベスト10とワースト10を見てもらおう。左列の数字が4点満点の満足度で、右列が4点(非常に満足している)とこたえたひとの割合だ。

これを見るとわかるように、満足度の高い職業は教育関係や芸術家で、満足度が低いのはガテン系とマックジョブだ。

ここで注意すべきなのは、聖職者の満足度がいちばん高いからといって、不幸なひとを聖職者にすれば幸福になる、というわけではないことだ。聖職者の道を選ぶようなひとは、(どういう理由か知らないが)子どもの頃から宗教心が強く、神にわが身を捧げたいと思っていたのだろう。そんなひとが聖職者になれば、満足度が高くなるのは当たり前だ。

芸術家も同じで、絵が好きだったひとが画家になれたから幸福なのであって、画家という職業がひとを幸福にするわけではない。

それでも、医師ではなく(リハビリなどの指導をする)理学療法士が満足度2位で、弁護士や金融マンではなく消防士や教師が上位に入っているのは示唆的だ。ひとはお金をたくさん稼ぐよりも、社会的な評価が高かったり、顧客(患者や生徒)から感謝される仕事に高い満足感を覚えるのだ(アメリカの弁護士はあまり尊敬されない)。

ガテン系やマックジョブの満足度が低いのは、好きで選んだ仕事ではないのだから当たり前だろう。それでも、4点(非常に満足している)のひとが2~3割もいるということのほうが驚きだ。

それでは最後に、「幸福の計算」の一例を示してみよう。親しいひとが死んだとき、その悲しみはいくらに相当するのだろうか(原書の賠償額はポンド表示だが、円建てに修正した)。

あくまでも平均的にだが、イギリス人の場合、配偶者(夫や妻)と死別したときにこころの痛みは、子どもを失ったときよりも3倍ちかく大きい。配偶者や子どもとに比べれば、親の死はずっと受け入れやすい。兄弟姉妹との関係は友人よりも疎遠で、死別は10万円を失うほどの痛みでしかない。

どうですか? 「幸福の計算」にすこし興味が湧いてきたでしょう。

いったいどうやってこの金額を計算しているのか? それを知りたい方はぜひ手にとってみてください。

年金消滅は「素人社会」の宿命 週刊プレイボーイ連載(42)

企業年金運用会社のAIJ投資顧問が2100億円もの預かり資産の大半を消失させていたことが明らかになりました。なかには資金の過半を投資していた基金もあり、このままでは老後の年金がなくなってしまいそうです。

その後の調査によれば、AIJ投資顧問が販売したヘッジファンドは運用開始直後から損失を出しはじめ、それにもかかわらず運用成績を偽装して20%の成功報酬を徴収していたといいます。お金を預けた年金基金からすれば、大損したうえに総額で数百億円もの報酬まで払わされたのですから、泣きっ面に蜂とはこのことです。

今回の事件では、年金基金は被害者でもあり、加害者でもあるという微妙な立場に立たされています。彼らはAIJの嘘にだまされて大金を失ったわけですが、そのお金は他人(年金加入者)から預かったものだったからです。

金融の世界では、年金基金は「機関投資家」という金融の“プロ”であるとされています。彼らは運用の専門家として、年金加入者が毎月こつこつと積み立てた保険料を誠実に運用する義務を負っています。高い職業倫理に加え、プロフェッショナルとしての知識や経験があるからこそ、個人投資家への勧誘が許されないハイリスクのヘッジファンドにも自己責任で投資することが認められているのです。

プロであれば、外部監査も受けておらず、運用の実態もわからないファンドに大切な資金を投じることはありません。AIJの黒い噂は関係者ならみんな知っていた、というのですから、その責任は重大です。

もちろん中小の年金基金にも、同情すべき事情はあります。多くの年金基金は積み立て不足に喘いでいて、運用の利益で赤字を穴埋めしなければ、いずれ基金か母体企業が破綻してしまいます。そもそも、国債さえ買っておけばよかった時代の厚生年金の仕組みが現在までつづいていることが問題なのです。

しかしそれでも、彼らがまんまとだまされたのは、しょせんはひとごとだったからでしょう。被害にあった年金基金は、厚労省や社会保険庁から多数の天下りを受け入れていたといいますから、なにをかいわんやです。

ある基金の担当者は、取材に対し、「(AIJの社長と飲みにいったら)きさくで話題は豊富だったので、信頼した……」と説明しています。厚労省の調査によると、総合型の厚生年金基金の約8割に資産運用の経験のある専門家がいません。しかしこれは、おかしな話ではないでしょうか。

企業年金に加入するサラリーマンは、年金基金が「資産運用のプロ」だからこそ、生命の次に大切な老後の原資を預けています。それがふたを開ければ、天下りばかりいて専門家が一人もいないのでは、AIJではなくこちらのほうが詐欺同然です。

でもこんな話をしても、たぶんだれも驚いたりはしないでしょう。私たち日本人は、福島第一原発事故で、「専門家がじつは素人だった」という光景をいやというほど見せつけられたからです。

AIJ事件でいちばん怖いのは、ひとびとがこの「素人社会」を当たり前のこととして受け入れていることなのかもしれません。

 『週刊プレイボーイ』2012年3月12日発売号
禁・無断転載

書評:平川克美『俺に似たひと』

私が大学に入学した年に祖母が倒れた。それから10年、自宅(叔父の家)で寝たきりとなり、100歳を超えて世を去った。

幼い頃に世話になったこともあって、帰省するたびに見舞いにいった。

叔父の家の裏手には、道一本隔てて川が流れていた。下の世話を嫁に頼まなければならなくなった時、祖母は布団から這い出て、その川に身を投げようとした。

意識が曖昧になってくると、うわごとのように子どもの頃の話ばかりした。

弟妹の面倒を見るために、祖母は小学校に行くことを許されなかった。幼い妹を背負い、弟の手を引いて、校舎の窓から勉強をする同い年の子どもたちを眺めていた。それがどれほど悔しかったか、と声をあげて泣いた。老いは過去への旅路であり、記憶はいつまでもまとわりついてけっして離れない。

なぜこんなむかしの話をするかというと、平川克美さんの『俺に似たひと』を読んだからだ。この本には、近しいひとの死を思い出させる不思議なちからがある。

解説風にいうのなら、これは町工場の経営者だった父親を放蕩息子が介護する物語だ。『東京タワー』の親父版と感じるひともいるだろう。

あるいは、「高齢化社会のハードボイルド」でもある。母親が急死し、父親の介護が必要になったとき、「誰かに押しつけるわけにもいかないし、俺がやるしかしょうがない」と、一人実家に移り住み、食事をつくり、風呂に入れ、夜中に小便に連れていく。殺人や失踪の捜査を頼まれることはないとしても、私たちの人生には、“落とし前”をつけなくてはならないことは残っているのだ。

それでも、このようなありきたりの解説では、あの不思議な読後感は伝わってこない。それを知りたければ、ぜひ手にとってみてほしい。

私のようにまだ介護の経験がなくても、ちょっとぶっきらぼうな「俺」に誘われて、記憶の片隅に眠っていたなつかしいひとがよみがえってくるだろう。

PS じつは私は、25歳から1年ほど、フリーランスとして平川さんの会社の仕事をしたことがある。その時は、外国人にイラストで日本の文化や風習を紹介するシリーズ本を何冊かつくった。そんな縁がなければ、息子が父親を介護する話を読もうとは思わなかっただろう。

でもこれは、知人の本だから紹介した、ということではない。若い頃のちょっとした偶然が、この本と出会う機会を与えてくれたことを感謝したい。