素晴らしき強制労働社会 週刊プレイボーイ連載(78)

“日本の将来を決める”選挙戦が始まりました。といっても、日本にはどのような将来の選択肢があるのでしょうか?

これまでは、「アメリカ型の新自由主義か、北欧型の福祉社会か」といわれてきました。“弱肉強食”のアメリカ型新自由主義(ネオリベ)は世界金融危機で破綻したとされていますから、残された選択肢は消去法で北欧型の福祉社会しかありません。

しかし不思議なことに、「もっと福祉を」の大合唱は聞こえてきません。日本国の借金が1000兆円もあるからでしょうが、それだけが理由ではないようです。北ヨーロッパの福祉社会を視察した労働組合幹部などが、帰国後は一斉に口をつぐんでしまったからです。

彼らはそこでいったい何を見たのでしょうか?

ワーク・ライフ・バランスや社会参画で一世を風靡したオランダは、男女平等で自由な働き方を実現しながら、きわめて効率が高いことで知られています。オランダの就業者1人あたりの労働時間は年1392時間で、労働生産性(就業者1人当たりの単位労働時間のGDP)は53.4ドル。それに対して日本の労働者は平均1785時間で労働生産性は37.2ドルしかありません。日本人はオランダ人よりはるかに長く働いて、その労働は7割程度の価値しか生み出していないのです。

だったら日本の社会制度を、オランダのように変えてしまえばいいのではないでしょうか。

ヨーロッパはEUの労働政策で「同一賃金、同一労働」が徹底されています。そのうえオランダは、96年の「労働時間差別禁止法」で、労働時間の違いに基づく労働者間の差別が禁止されました。

さらに00年の「労働時間調整法」で、労働者に労働時間の短縮・延長を求める権利が認められ、翌01年の「労働とケアに関する法律」では、出産・育児休暇や介護休暇の制度が大幅に拡充されました。なにもかも労働者にとっては素晴らしい話ばかりです。

一連の改革の結果、オランダでは「アルバイト」や「パートタイム」がなくなりました。勤務時間で労働者を差別せず、どれだけ働くかを決めるのは労働者の権利なのですから、1日1時間しか仕事をしなくても立派な「正社員」なのです。

ところで、「非正規」がみんな正社員なるということは、これまで正社員に認められていた特権がすべて「差別」として廃止されるということです。年功序列や終身雇用も当然なくなり、50歳の部長でも、アルバイトと同じ仕事しかしていないなら、給料も同じになってしまいます。

もちろん福祉社会のオランダでは、失業しても生活の心配はありません。失業保険をもらいながら、再就職のための教育訓練まで受けられます。

これも素晴らしい話ですが、そのかわり04年に施行された「雇用・生活保護法」で、18歳以上65歳未満の失業保険受給者は原則として全員が就労義務を課せられ、「切迫した事情」を立証できないかぎりこの義務は免除されないことになりました。

先進的な福祉国家では、社会に参画(貢献)する意思と能力を持った“市民”だけが手厚い保障を受けられます。

理想の福祉社会は、強制労働社会でもあったのです。

参考文献:水島治郎『反転する福祉国家 オランダモデルの光と影』

『週刊プレイボーイ』2012年12月3日発売号
禁・無断転載

【書評】職業としてのAV女優

コラムとして書いた原稿ですか、「面白いけど、うちではちょっと……」といわれてしまったので、BLOGにアップします。

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フリーライター中村淳彦氏の『職業としてのAV女優』は、アダルトビデオの現場で起きていることはすべて、需要と供給の市場原理で説明できることを教えてくれる。

21世紀に入ってからのAV業界の大きな変化は、供給の爆発的な増加だ。かつてAV女優になるのは、家庭などに複雑な事情のある女の子たちだった。それが今では、インターネットに「モデル募集」の広告を出すだけで、AV女優志願者がいくらでも集まるのだという。

自分の性を晒すことに抵抗がなくなったこともあるだろうが、中村氏は、いちばんの理由はデフレ不況だという。

最近のAV女優の典型は、地方から東京に出てきて、働きながら看護士などの資格を取ろうとする真面目な女の子だ。

時給900円のアルバイトでは家賃を払うと生活が成り立たない。かといってバイトの時間を増やすと学業と両立できない。こんな悩みを抱えた女の子が、短時間でできる仕事をネットで検索してAVに辿りつくのだ。

AV女優が真面目なのには、別の事情もある。

キャバクラなどの風俗店で働けば、もっと簡単にお金を稼ぐことができる。だったらなぜ、AV女優などという“汚れ仕事”をするのか不思議に思うだろうが、女の子のなかには、知らない男性とは話ができないというタイプがいる。製作側からしても、遊びなれた女の子より、男性経験の少ない素人っぽい女性の方が人気があるのだという。

AV女優志願者は、ごくふつうの主婦にも広がっている。

これもデフレ不況の影響で、夫の収入が減る一方で子どもの教育費がかさみ、生活費の不足から消費者金融でつい借金をしてしまう。その返済に困った主婦も、子育てと両立できる仕事を探していて、ネットで「モデル募集」の広告を見つけると続々と応募してくるのだ。

AV女優の供給過多の一方で、需要側の変化は市場の縮小とユーザーの高齢化だ。どんな作品でも売れた時代もあったが、今はネットに動画が溢れていて、若者はAVにお金を払おうとはしない。優良顧客は、一人暮らしの年金生活者だったりする。

高齢化した消費者が若い女性を好まないことで、需要と供給のミスマッチはさらに拡大する。こうしてAV女優の“品質”が上がると同時に価格(出演料)が大きく下がった。

デフレ不況のAV業界では、若くてかわいいだけでは相手にされない。時間や契約を守り、礼儀と常識をわきまえ、プロフェッショナルな仕事ができなければ生き残れないのだ。

中村氏によると、こうした真面目なAV女優のなかには、将来のために倹約と貯蓄に励む女の子も多い。引退後は看護士や介護士になったり、理解のある男性と結婚して幸福な家庭を築く女性も珍しくないのだという。

AV女優は、いまや平凡な“職業”のひとつなのだ。

「気分のいい嘘」と「不愉快な事実」 週刊プレイボーイ連載(77)

世の中には、目をそむけたくなるような話があります。といっても、背筋も凍るホラーや怪談の類ではありません。たんに不愉快なだけです。

有名大学の学生を調べると、裕福な家庭の子どもが多いことが知られています。そこから、「貧しい家に生まれると教育を受ける機会もなく、ニートや非正規になってしまう」とか、「金持ちの子どもだけが私立の進学校に進み、エリートになるのは不公平だ」などの批判が起こりました。自らも有名大学の出身である大学教授などは、「“教育格差”をなくすためにもっと公費(税金)を投入すべきだ」とか、「低学歴で就職できない若者には国が(税金で)教育支援すべきだ」などといっています。

ところで、「金持ちの家の子どもは有名大学に進学できる」という因果関係は正しいのでしょうか?

以前の回で述べたように、行動遺伝学は、一卵性双生児と二卵性双生児の比較から、知能における遺伝の影響が80%以上であることを明らかにしました。この結論は厳密な統計的手法から導かれており、現在に至るまで有力な反証はありませんから、“科学的真理”です。

行動遺伝学によれば、正しい因果関係は、「知能の高い両親から生まれた子どもは有名大学に進学する可能性が高い」というものです。知識社会では一般に、知能の高いひとが高収入を得ていますから、有名大学の学生を調べると結果的に「金持ちの家の子どもが多い」ということになるのです。

どうです? 目をそむけたくなるような話だと思いませんか。

「格差社会」の原因が親の収入にあるのなら、裕福なひとから税金を徴収し、貧しいひとに分配することで問題は解決します。これはきわめて簡単明瞭で、正義感情にもかなうので、とても人気のある主張です。

それに対して、経済(教育)格差の原因が遺伝である場合は、原理的に解決方法はありません。こちらは多くのひとの神経を逆なでしますから、「差別」として激しいバッシングにあいます。行動遺伝学の拠点はアメリカですが、研究者たちはリベラルな団体からの抗議と脅迫のなかで、その結論が科学的に証明されていることを示しつづけたのです。

このやっかいな問題をどのように考えるかは個人の自由ですが、ひとつだけ知っておかなければならないことがあります。

「教育格差」を批判するひとの多くは、大学の教員などの教育関係者です。このひとたちは、教育に公費(私たちが納めた税金)が投入されると得をする利害関係者でもあります。大学の授業料がタダになれば学生はいくらでも集まるでしょうし、再教育や職業訓練の費用が国の負担になれば教育市場は拡大して教員の生活は安泰でしょう。

このように、一見すると正しいものの、科学的には間違っている主張の背後には、「偽善」によって得をするひとが隠れています。

あなたは、「気分のいい嘘」と「不愉快な事実」のどちらを選びますか? もし後者なら、この連載をまとめた新刊『不愉快なことには理由がある』をきっと気に入ってもらえると思います。

 『週刊プレイボーイ』2012年11月25日発売号
禁・無断転載