第28回 バラ色か国家破産か(橘玲の世界は損得勘定)

 

アベノミクスで株価が上昇して、市場には久しぶりに明るい雰囲気が戻ってきた。株価上昇の理由は、「日銀が“際限のない金融緩和”を行なう決意を示したことが市場に好感されたから」だという。

だが、“決意”だけで景気がよくなるなら誰も苦労はしない。なぜ日銀は、これまでこんな簡単なことをしなかったのだろう。

リフレ派の経済学者は、「日銀が経済学の常識を知らず、国民を犠牲にして自分たちの保身だけを考えているからだ」と批判する。今回はそのリフレ派が金融政策を担うことになったのだから、私たちは早晩、この壮大な社会実験の結末を知ることになるだろう。

誤解のないようにいっておくと、私はリフレ政策が間違っているといいたいわけではない。市場は複雑系なので、「マーケットの期待を操作すればなんでもできる」というほど単純な話ではないと考えているだけだ。

ある米国の雑誌が、各分野の専門家が(「金融緩和で日本経済は復活する」というような)単純な未来予測をどの程度的中させたかを追跡調査したところ、50%でコイン投げと同じだった。それに対して「チッピー」は58%の正確さで未来を予言した。チッピーというのは4歳のチンパンジーで、テーブルに置かれたカードを選んでいただけだった……。

この“実験”が正しいとすると、未来を知るには専門家よりもチンパンジーに聞いた方がいい。だが、動物園に知合いのいるひとばかりではないだろう。

そんなときは、ひとつのシナリオ(安倍バブル到来!)に全財産を賭けるのではなく、あらゆる状況に対応できるようリスク分散しておく必要がある。

アベノミクスへのもっとも不吉な予言は、いうまでもなく財政破綻と(ハイパー)インフレだ。景気が回復しないまま金利だけが上がると、国家債務の膨張が止まらなくなる。日本国の抱える1000兆円という天文学的な借金を考えれば、これは荒唐無稽な妄想とはいえない。

アベノミクスはうまくいくかもしれないし、うまくいかないかもしれない。みんなバラ色の未来を願っているが、もし失敗すればとんでもなくヒドいことが待っている。誰も未来を知ることができないとすれば、私たちは1人の生活者として、相場の上昇に乗りつつも常に最悪の事態に備えておかなければならない。

ここで重要なのは、国家破産のような極端な出来事を想定しても、戦争や内乱、地震や原発事故とちがって、「経済的なリスクは金融市場でヘッジ(保険)をかけることができる」ということだ。それも、思ったよりもずっと簡単に。

そんな話を、近刊の『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』で書きました。保守的な投資家は、アベノミクスがどちらに転ぼうとも、当分はお金を普通預金に預けておけいい、という話です。投資中級者には、オプションなどデリバティブを使って「国家破産」から身を守る方法も紹介しています。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.28:『日経ヴェリタス』2013年3月24日号掲載
禁・無断転載 

原発事故処理問題と不毛な「正義」 週刊プレイボーイ連載(92)

 

ほとんどのひとは、世の中には解決不可能な問題があることを知っています。しかしいったん当事者になると、それを認めることは容易ではありません。

福島原発事故で放射能に汚染された土地を、国は年間1ミリシーベルト以下まで除染し、被災者がふるさとに帰還できるようにすると約束しています。

除染というのは、放射線量の高い土地の表皮を物理的に除去することです。しかし、仮に平野部の除染ができたとしても、近隣の山から放射性物質が風で飛ばされてきますから、すぐにまた線量が上がってしまいます。

汚染された表土をはげば、それが放射性廃棄物になります。これらはいったん各市町村の仮置き場に預けられ、中間貯蔵施設に集められてから最終処分場に運ばれることになっています。しかし現実には、最終処分場はもちろん、中間貯蔵施設すら目処がたっておらず、大量の汚染土が仮置き場に野積みされています。

民主党政権は30年以内に最終処分場を福島県外につくると決めましたが、現在の除染のやり方では放射性廃棄物の量は膨大になり、受け入れる自治体が出てくるとは思えません。中間貯蔵施設の候補地として、原発事故で警戒区域・計画的避難区域に指定されている福島県双葉郡が打診されましたが、地元で強い反対の声があるのは、そのままなし崩し的に最終処分場にされると思っているからです。

中間貯蔵施設が決まらなければ、汚染土は仮置き場に放置されるのですから、こんどは仮置き場の新設や増設への反対運動が起こります。仮置き場がなければ放射性廃棄物を持っていく場所がないのですから、適当に違法投棄するしかなくなります。こうして、刈った草や集めた落ち葉を川に流す手抜き除染が問題になりました。

こうした不祥事が起きるのは、放射性廃棄物を処分する工程が決まらないからです。本来であれば、まずは最終処分場の場所を確定しなければならないのですが、そこを曖昧にしたままなので中間貯蔵施設がつくれず、その結果仮置き場が足りなくなり、手抜き除染が日常的に行なわれる悪循環に陥ってしまうのです。

放射線による被曝の影響は専門家の間でも見解が分かれますが、福島県内の広範な汚染地域のすべてを年間1ミリシーベルト以下にまで除染するのが非現実的だということでは意見が一致しています。除染のための巨額の予算はゼネコンなどの事業者に渡りますが、それなら被災者への賠償に充てたほうがいいとの主張にも説得力があります。違法投棄を行なう事業者を道徳的に非難するだけではなんの意味もないのです。

ところが本質的な議論をしようとすると、放射能の安全基準や最終処分場のやっかいな問題を避けて通ることはできず、除染費用の負担を電気料金の値上げで賄うのか、税金を投入するのかも決めなければなりません。これらはいずれもタブーとされていて、世論の強い反発を覚悟しなければ議題に載せられません。

このようにして、原発事故の後始末を論じるメディアは事実から目を逸らし、気分よく「正義」を振りかざすことを選ぶのです。

 『週刊プレイボーイ』2013年3月25日発売号
禁・無断転載