“憲法改正”論議がカルト化していく理由 週刊プレイボーイ連載(108)

 

この記事が掲載されるのは参院選の翌日で、事前の選挙予想では自民党の大勝が確実視されています。衆参のねじれが解消されれば、アベノミクスや消費税増税とならんで憲法改正が政治の争点として浮上することになるでしょう。

安倍政権の本音が憲法9条の見直しにあることは、昨年4月に自民党が発表した憲法改正草案を見ても明白です。ところがこの「草案」が強い批判を浴びたことで、憲法改正のハードルを下げるために96条先行改正へと方針変更されました。

日本において常に憲法が問題になるのは、それが敗戦後の米軍支配下において、マッカーサー元帥率いるGHQによってつくられたものだからです。「日本側の意見も取り入れられた」との主張もありますが、現行憲法が英語版を日本語訳したことは歴史資料においても明らかです。

ところで、私たちはなぜ憲法を「押し付けられた」のでしょうか。それは、大日本帝国が無謀な戦争に突入して無残な敗戦を喫し、広島と長崎に原爆を落とされたうえに、侵略と植民地主義の責任を戦勝国から問われたからです。それは日本国に対し、300万人の自国民の戦死者だけでなく、2000万人ちかいアジアの死者への「罪」を問うものでもありました。

戦後70年ちかく経ったいまに至るまで、日本人はこの「歴史問題」とどのように向き合えばいいかわからないままです。だからこそ、“不都合な歴史”を不断に突きつけてくる憲法を「取り戻す」ことが保守派の悲願になるのでしょう。

一般論としていえば、主権者である国民の総意によって、憲法を時代に合わせて改正していくのは当然のことです。保守派は社民党などの護憲派を「憲法を不磨の大典にしている」と揶揄しますが、GHQの若者たち(ただし、理想に燃えた優秀な若者たち)が突貫工事でつくった憲法をありがたく押し頂いて一字一句の変更も許さないのでは、自主自尊の気概に欠けるといわれても仕方ありません。

憲法護持派は、現行憲法にはなにか特別なちからが宿っていて、9条の文言を変えればたちまち日本を災いが襲い、戦争に巻き込まれると信じているようです。これは、言霊信仰以外のなにものでもありません。

しかしそれをいうなら、憲法改正派もまた同じ言霊信仰に毒されています。

憲法はもともと、暴力を独占する国家から国民の人権を守るためのものです。現行憲法の前文はそうした意図で明快に書かれていますが、自民党の改正草案はこれを全面的に書き直し、国民に対し、「和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って」、「良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承する」ことを求めています。立憲主義の立場からすると、憲法は国民が国家を拘束するためのもので、国家が国民に説教するのは大きな勘違いです。

ひとびとがゆたかになるにしたがって、価値の中心が「社会」や「家族」から「個人」に移るのは世界のどこでも同じです。ところが憲法改正派はこれを“マッカーサー憲法”のせいにして、憲法を変えれば日本人がふたたび“和”を尊ぶようになると信じているのです。

異なる言霊信仰が衝突しているのですから、憲法をめぐる議論が「国民和解」へと至ることは永遠にありません。憲法について語ると徒労感しか残らないのも当然です。

 『週刊プレイボーイ』2013年7月22日発売号
禁・無断転載 

第33回 うっとうしいネット広告 対処法(橘玲の世界は損得勘定)

 

インターネット広告が、たんなるテキストから大画面に“進化”している。それにともなって、薄毛や精力回復の広告がいやでも目につくようになった。

なんとかならないものかと調べてみると、広告会社は私(正確には私のパソコンのブラウザ)がどんなサイトや記事を閲覧したのかのデータを収集し、その属性に合った広告を表示しているらしい。私の場合、「中高年」「男性」というカテゴリーに入っているから、「60歳になっても妻を驚かすことができるなんて」という広告を毎日のように見る羽目になるのだ。

ネット業界では、ダイエットや薄毛など外見に関する広告を“コンプレックス系”と呼び、もっとも利益率が高いとされている。コンプレックスから逃れるためにはひとはいくらでもお金を払う、ということなのだろうが、どこかもの悲しくもある。それ以前に、中高年男性の全員が強壮剤の広告を必要としているわけではないだろう。

ビッグデータの活用が注目を集めている。ネットユーザーの閲覧履歴はビッグデータの代表で、広告会社がそれを使って“効果的”な広告を表示させることに異存があるわけではない。ここで述べているのは、それとは逆に、データの活用が不十分だという不満だ。

ネット書店は、過去の購入履歴などを元に読むべき本を教えてくれる。これはなかなか役に立つサービスで、書店からのお勧めがなければ気づかなかった面白い本とこれまで何冊も出会うことができた。それと同様の精度で、「こんな商品やサービスがあったのか」と驚くような広告が表示されるのなら、私としては大歓迎だ(異論があるひともいるだろうが)。

ところで、いつも出てくるうっとうしい広告をどうにかする方法はないのだろうか?

正攻法は、広告会社がブラウザから情報を読み取らないようにすることのようだ。顧客の属性がわからなくなれば、年齢や性別に関係なくさまざまな広告がランダムに表示される。

しかし私の場合、まったく別の方法でこの問題は解決してしまった。

あるとき、ネットでアルバイトの時給を調べたことがある。ファストフードや居酒屋などの労働条件が知りたかったからだが、その後、ブラウザにアルバイト情報やゲーム・アニメ、携帯など電子機器の広告が表示されるようになった。どうやら、最新の閲覧履歴を読み込んで私の属性が変わったらしい。現在の広告にはなんの不満もないので、そのままにしている。

ちなみに検索広告最大手のグーグルでは、不愉快な広告を個別にブロックできるようにしている。ただしこの方法では、また似たような広告が出てくるだけだ。

世の中には同じ不満を持つひとも多いらしく、ネット上には広告そのものを表示させなくするソフトも流通している。たしかに便利だが、これが広く使われるようなると広告会社は収益源を失い、「ネットの情報はタダ」という常識が覆されることになるかもしれない。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.33:『日経ヴェリタス』2013年7月14日号掲載
禁・無断転載

鳩山由紀夫は稀有な政治家だった? 週刊プレイボーイ連載(107)

 

鳩山由紀夫元首相が、訪問先の中国で「尖閣諸島を『日本が盗んだ』と思われても仕方がない」「1972年の日中国交正常化交渉の中で尖閣問題を棚上げする合意があった」などと繰り返し発言し、北京の人民大会堂で李克強首相と面会するなど中国政府から異例の厚遇を受けました。

鳩山氏の主張は、第二次世界大戦中に連合軍の対日方針などを定めたカイロ宣言のなかで、日本の無条件降伏とともに満州や台湾、島嶼部の返還が定められていることから、「カイロ宣言の中に尖閣が入るという解釈は、中国から見れば十分に成り立つ話だ」ということのようです。

ところで、田中角栄と周恩来の会談で尖閣問題棚上げの合意があったという話は、田中派幹部で自民党の官房長官でもあった野中広務氏が今年6月に明言しています。日本政府は「尖閣をめぐる領土問題は存在しない」との立場ですが、尖閣諸島を係争地と認めたうえで「棚上げ」に戻し、日中関係の改善を図るべきだと主張するひとはほかにもおり、鳩山氏一人の暴論というわけではありません。

問題は、日本国首相という重責にあった人物が、領土問題をめぐって中国側の主張を全面的に支持していることにあります。ただでさえ尖閣問題については、「中国の抗議を無視して一方的に国有化した日本に責任がある」との議論が欧米でも一定の理解を得ています。そのうえさらに、日本国の元首相が「中国が正しい」といい出すのでは、日本の立場はますます不利になってしまいます。

案の定、鳩山氏は「国賊」「売国奴」などの罵詈雑言を浴びていますが、一連の言動を見るかぎりすべて確信犯でやっているようですから、いかなる批判も馬耳東風でしょう。先の衆院選で出馬を断念したことで発言を自重する必要がなくなり、自らの理想と信念のもと、日中友好を目指して活動しているに違いありません。

興味深いのは、参院選前のこの時期を選んで「反日発言」を繰り返していることです。民主党の海江田代表や細野幹事長は「尖閣は日本固有の領土」との説明に追われていますが、鳩山氏が民主党の創設者の一人である以上、ほとんど説得力がありません。このままでは、ただでさえ厳しい選挙が苦しくなるばかりです。

こうした言動については、民主党を石もて追われたことへの復讐というのも考えられますが、おそらく本人はそんな俗情とは隔絶しているのでしょう。今回の選挙で苦戦を強いられている民主党候補者のなかには鳩山氏が育てた人材もたくさんいるはずですが、そんなことは一顧だにせず、自らの理想のために彼らを平然と地獄に突き落とすところにこの人物の本領がありそうです。こんな“心の闇”を持つひとはそうはいませんから、その意味では稀有な政治家だったといえるでしょう。

いまは私人となった鳩山氏がなにをしようと本人の自由で、その行動を制約することはできません。だとしたら、私たちはもうすこし鷹揚になるべきなのではないでしょうか。

元首相の「反日」発言すら許されるところに、自由な社会である日本の、中国に対するいちばんの優位性があるのですから。

 『週刊プレイボーイ』2013年7月16日発売号
禁・無断転載