若者言葉はなぜ体育会化するのか?  週刊プレイボーイ連載(133)

「近頃の若い者は……」と説教するオヤジにはなりたくないのですが、それでも気になるのは「ありがとうございます」の多用です。近頃の若者は職場やバイト先で、上司からなにかいわれるたびに「ありがとうございます」とこたえているようです。

「そこはEXCELの集計機能を使えばいいよ」

「ありがとうございます」

「明日は早いから今日はこれで終わりにしましょう」

「ありがとうございます」

いずれも間違いとはいえませんが、もっとシンプルな返答があります。私たちの世代は(という言い方をしてしまいますが)、最初の例では「わかりました」、2番目の例では「そうですね」とこたえて、「ありがとうございます」とはいわなかったでしょう。

言葉は時代とともに変化しますが、「ありがとうございます」が若者のあいだでインフレ化するのは何を意味しているのでしょうか。

私がこの用法に違和感を持つのは、それが明らかに体育会言葉だからです。私が学生の頃も、運動部では顧問や先輩の叱責に、バカのひとつ覚えのように「ありがとうございます」と叫んでいました。「わかりました」や「そうですね」などといおうものなら、「タメ口きいてんじゃねえ」と鉄拳が飛んできたでしょう。もともとこれは、指導者と部員、先輩と後輩という上下関係(権力関係)を徹底させるための言葉遣いだったのです。

当時の体育会は、〝前近代的で遅れた社会集団〟とされていました。偏見もあるでしょうが、多数派の軟派な学生が「ありがとうございます」のような言い方を嫌ったのは、「あんなのといっしょにされたらカッコ悪い」と思っていたからです。親切にされてお礼をいうのは当然ですが、会社での業務上の連絡にまで「ありがとうございます」を連発するのでは、自分が劣位にあると認めているようなものです。

近代的な人間関係の原則は“ひとはみな平等”です。会社において上司が部下に命令するのは職階が高いからで、人格的に優れているからではありません。だからこそ欧米では、会社を離れれば上司と部下は対等だし、お互いにニックネームでタメ口をきくのです(建前の要素は多分にありますが)。

アメリカの会社で上司が先のようなことをいったら、「なるほど。クールですね」「超ラッキー!」というような会話になるでしょう。良くも悪くも、職場はかぎりなくカジュアル化、フラット化しています。

それに対してなぜか日本では、若者たちの言葉遣いが「体育会化」する一方です。「よろしかったでしょうか」などの現代口語と同様に、丁寧語や謙譲語が過剰になるのは人間関係でリスクを避けるための用法なのでしょう。「ありがとうございます」といわれて、怒り出すひとはいないからです。

それでも私は古い人間なので、「べつに礼をいわれるようなことはしてないよ」と思ってしまうのです。

 『週刊プレイボーイ』2014年2月3日発売号
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第39回 「ガラパゴス」のATMが進化(橘玲の世界は損得勘定)

この連載の前身である「橘玲の『不思議の国』探検」の第1回でガラパゴス化した日本の銀行ATMについて書いたのは2009年10月だから、もう4年以上前のことだ(金融サービスも「ガラパゴス」)。

いまでは世界じゅうどこに行っても、クレジットカードでATMから現地通貨を引き出せる。昨年末に北アフリカを旅行したが、サハラ砂漠に近い名も知らぬ町の小さな銀行でもちゃんと日本のカードに対応していた。もっとも3台のATMのうち2台は使いものにならず、ずいぶん時間がかかったけれど。

日本円の現金を海外で両替するのは手数料が高い。そこで旅行前にわざわざトラベラーズチェック(TC)をつくっていたのだが、ATMカードやクレジットカードでの海外キャッシングが当たり前になるとTCは廃れていった。日本でも3月末でアメリカン・エキスプレスがTCの販売を終了し、それにともなって国内の金融機関ではTCを購入できなくなる。

ATMで現地通貨が引き出せるのはグローバルな金融ネットワークがあるからだ。代表的なのはVISAが運営するPLUSとマスターカードが運営するCirrus(シーラス)、それに中国の銀聨(Union Pay)の3つだ。海外のほとんどのATMはPLUSとCirrusに対応し、アジアでは銀聯も使えるようになってきたから、旅行者は手近なATMで現地通貨を引き出すことができてものすごく便利だ。

ところが、この世界の流れ(グローバルスタンダード)から取り残されている国がある。驚くべきことに日本では、支店数もATMの数も多い都市銀行がこれまで国際ネットワークに対応する気がまったくなかった。その結果、日本を訪れた外国人旅行者はどこで日本円を入手していいかわからずおろおろすることになる。

2020年の東京オリンピック開催を機に「おもてなし」が流行語になった。もてなしの基本は相手の立場になることだが、日本国内のカードしか利用できないATMを平然と置いている金融機関は「外国人旅行者にサービスする気はない」といっているのと同じだ。日本のおもてなしは世界一だと自慢するひとたちはしょせん他人事で、銀行を批判しようとはしなかった。

もっとも日本政府が手をこまねいていたわけではない。旅行者からの苦情を受けて、1975年の沖縄国際海洋博を機に全国すべての郵便局(ゆうちょ銀行)のATMを国際対応にしたのだ。しかしその後40年近く、この動きに追随する金融機関はほとんどなかった。

それがようやく、観光庁と日本政府観光局からの依頼を受けて、大手都市銀行が15年中を目処にATMを海外カード対応に変えるという。日本というタコツボに閉じこもっていた彼らも、外国人も顧客だという当たり前のことに気づいたのだろうか。

日本の金融機関を見ていて「不思議」だと思うことがいくつもあるが、4年たってその一つが解決に向かった。もっともこの亀のような歩みからすると、ガラパゴス島から抜け出すのはまだまだ先になりそうだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.39:『日経ヴェリタス』2014年1月26日号掲載
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隣国同士で悪口をぶつけ合うだけの平和な日本は素晴らしい  週刊プレイボーイ連載(132)

ヨルダンからレバノンの首都ベイルートに向かう前日、ホテルの部屋で荷物をまとめていると、テレビのニュースに爆発で崩れかけたビルが映し出されました。昨年12月27日に起きた爆弾テロで、反シリア派のレバノン元財務相を含む5人が死亡、70人以上が負傷しました。現場はベイルートの中心部、これからまさに行こうとしている場所です。

ベイルートでは昨年5月に南郊外の住宅地にロケット弾2発が射ち込まれ、7月に駐車場の車が爆発して50人以上が負傷し、8月にはやはり車爆弾で14人が死亡、212人が負傷しました。さらに11月にはイラン大使館前の路上で連続爆弾テロが起き、大使館職員を含む23人が死亡、140人以上が負傷しています。

ただし一連の爆弾テロは、これまでベイルートの南郊外で起きていました。それが今回は行政機関が集中し観光地としても知られる中心部――東京でいえば銀座や丸の内――が標的になったのです。

私はただの旅行者で危険な場所に行く気はなかったのですが、いまさら旅程を変えるわけにもいかず恐る恐るベイルート空港に降り立ちました。しかし到着ロビーに出ると、警官の姿があるわけでもなく、目につくのはタクシーの客引きばかりです。そのなかの一人と料金交渉がまとまると、彼は満面の笑みでいいました。

「ウエルカム・ベイルート!」

イスラエルとシリアに挟まれたレバノンはずっと苦難の歴史を歩んできましたが、近年のテロはシリア内戦をめぐるスンニ派とシーア派の対立が原因です。シリアのアサド政権はシーア派系統で、イランと(シーア派の)武装組織ヒズボッラーの支援を受けています。それに対して反アサド側はスンニ派で、サウジアラビアなど湾岸諸国が武器を提供しています。ベイルートの南郊外はヒズボッラーの拠点でイラン大使館もあるため、スンニ派とシーア派の代理戦争の舞台になってしまったのです。

その日の夕方、事故現場に近いダウンタウンに行くと、翌日の葬儀が執り行なわれるイスラム寺院のまわりは軍や警察が厳重に警護していました。兵士たちは自動小銃を持ち、戦車や装甲車まで出てまるで戦争のようです。

ところがそこから徒歩5分ほどの商業地区では雰囲気が一変します。

パリの街角のようなカフェで、シャネルやグッチなどのブランドものを身にまとった金髪碧眼の女性たちがワイングラスを片手に談笑し、イタリア製のスーツを着込んだ男性と腕を組んで高級車に乗り込んでいきます。ベイルートは近年、大規模な再開発ブームに沸いていて、海外で成功したキリスト教徒のレバノン人の投資により「中東のパリ」と呼ばれたかつての街並みが復活しているのです。

レバノンの人口の4割を占めるキリスト教徒は英語とフランス語を流暢に話し、イスラム教徒同士の殺し合いにはなんの興味も示しません。レバノンの運命は大国に握られていて、自分たちがなにをやっても無駄です。だったらテロなどなかったことにして、毎日を楽しく過ごした方がいいに決まっているのです。

そんな彼らの姿を見ながら、隣国同士で悪口をぶつけ合うだけの平和な日本がどれだけ素晴らしいか、あらためて思い知ったのでした。

『週刊プレイボーイ』2014年1月27日発売号
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犠牲者の葬儀は厳重な警戒の下で行なわれた(2013年12月29日ベイルトート、ムハンマド・アミーン・モスク)