職場の「クソ野郎問題」をどうすべきか?

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2021年7月29日公開の「職場に山ほどいる「クソ野郎」上司を回避し、 自らもならないためのルールとは?」です。(一部改変)

Pictrider/Shutterstock

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出版社で働いていた20~30代の頃の話だが、たまに読者から抗議の電話がかかってきた(会社にいきなり乗り込んでくるひともいた)。その多くは、多少面倒でも、説明すればわかってくれたが、なかにはとてつもなく理不尽なクレームもあった。

そこから、どうやら世の中には一定の数の「かかわりあうとヒドい目にあう」人間がいるらしいことに気づいた。その割合は1%から最大5%くらいで(さすがにそれ以上ということはないだろう)、穏やかな気持ちで日々を過ごすいちばんの秘訣は、この「やっかいなひと」とかかわらないようにすることだ。これが、私が自由業(フリーランサー)をしている大きな理由のひとつで、人間関係を選択できるだけで幸福度は大きく上がる。

じつはこのことはみんな気づいていて、英語圏では「asshole(アスホール)問題」と呼ばれる。assholeは「ケツの穴」のことだが、卑語で「クソ野郎」のことだ。

ロバート・I・サットンはスタンフォード大学経営理工学部教授で、2003年にハーバード・ビジネス・レビュー(HBR)の特集「ブレークスルー・アイデア」で、採用や昇進における“no asshole” rule(ノー・アスホール・ルール)を提案した。職場からasshole(クソ野郎)を追放するルールが必要だという、日本語に訳して100字にも満たない短い文章だったが、これがすさまじい反響を引き起こした。

国内のビジネスマンから始まって、やがてイタリアのジャーナリスト、スペインの経営コンサルタント、アメリカ大使館(ロンドン)の経営担当参事官、上海の高級ホテルのマネージャー、アメリカ合衆国最高裁判所の調査員などなど、世界中のあらゆる職種のひとたちから数えきれないほどのメールが送られてきた。みんな自分自身のasshole体験を知ってほしかったのだ。

ここから、世の中にはasshole(クソ野郎)に苦しめられているひとたちがものすごくたくさんいることに気づいたサットンは、「人から聞いた恐怖や絶望にまつわる話をはじめ、彼らがクソ野郎の攻撃を毅然と切り抜けた方法や、思わず笑ってしまうような復讐譚、嫌なやつらに対するささやかな勝利の話」などをまとめることを思いついた。これが『チーム内の低劣人間をデリートせよ クソ野郎撲滅法』(片桐恵理子訳/パンローリング)で、原題は“The No Asshole Rule; Building a Civilized Workplace and Surviving One That Isn’t(ノー・アスホール・ルール 文明的な職場をつくることと、そうでない場合に生き延びること)。 続きを読む →

行動遺伝学によって従来の心理学は書き換えられつつある

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年4月23日公開の「「個人差あるところ、遺伝あり」 行動遺伝学というラディカルな学問によって 従来の心理学は危機を迎えている」です。(一部改変)

Svetlana Satsiuk/Ahutterstock

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行動遺伝学は一卵性双生児や二卵性双生児など「ふたご」を調べることで、こころが遺伝や環境によってどのように影響されるのかを明らかにする学問だ。なぜふたごかというと、一卵性双生児はすべてのDNAを共有し、二卵性双生児は同じ胎内環境で育ちながらも、ふつうのきょうだいと同様に平均して半分のDNAを共有するため、両者を比較することで遺伝と環境を分離できるからだ。

最初にこのことに気づいたのはダーウィンのいとこで「統計学の祖」でもあるフランシス・ゴルトンだったが、そのゴルトンが優生学を唱えたことで、行動遺伝学はそれ以来、アカデミズムのなかでずっと偏見にさらされつづけることになった。

ゴルトンの生きた19世紀は遺伝と進化の仕組みが徐々に理解され、「神がヒトをつくったわけではない」という“驚くべき事実”が知識層のあいだで広まっていった。それとともに、植物や家畜の交配によって「(人間にとって)よりよい種」をつくるさまざまな試みが大きな成果をあげた。そんな時代背景を考えれば、啓蒙主義時代の大知識人だったゴルトンが「交配によってすぐれた人類をつくる」という「リベラル」な理想を掲げたのは当然だった。

だがこの試みはその後、ナチスによってグロテスクに実践され、第二次世界大戦後、人間に対する遺伝の研究は冬の時代を迎えることになった。そんな逆境のなかでも1960年代になると、双生児を対象とした遺伝の研究が復活する。アメリカのアカデミズムで勃発した「社会生物学論争」というイデオロギー闘争を経て、ヒトゲノム計画が始まった90年代以降は大量の研究論文が発表され、行動遺伝学はいまや分子生物学や進化論、脳科学などと融合して「人文科学(人間や社会についての理解)のパラダイム転換」を牽引している。

私はこれまで『言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)などで行動遺伝学の知見を紹介してきたが、その理由は、この「科学」が従来の心理学を根底から書き換えることを迫っているからだ。たとえば、母と子どもの幼児期の関係が将来に決定的な影響を与えるという「愛着理論」は、近年の心理学のなかでもっとも有名になった学説だが、行動遺伝学の知見に照らすとその科学的基盤はきわめて疑わしい。

参考
愛情あふれる子育てをすれば、子どもは幸福に育つのか

そこで今回は、日本における行動遺伝学の第一人者である安藤寿康氏の『「心は遺伝する」とどうして言えるのか ふたご研究のロジックとその先へ』(創元社)から、このラディカルな学問がどのように心理学の常識を覆しつつあるのかを見てみたい。 続きを読む →

「老人ファシズム」の日本で現役世代は惜しみなく奪われる 週刊プレイボーイ連載(645)

野党から「あんこの入っていないあんパン」などと批判された年金改革法案は、与野党の修正協議を経て、基礎年金の底上げが復活することになりました。

そもそもこの問題は、年金の財政検証によって、32年後の2057年度には(24年度に比べて)基礎年金が約3割減るとされたことで浮上しました。

基礎年金は厚生年金の1階部分で、自営業者などが受け取る国民年金と同じです。現在の国民年金の受給額は、40年間の満額を収めて65歳から受給する場合、月額約6万9000円です。「3割減る」というのは、将来のインフレを調整した実質受給額ですから、月額4万8000円相当、年額約58万円になってしまい、これではとうてい生きていけません。そうなれば生活保護の申請が殺到し、制度は破綻してしまうでしょう。

年金の目減りが直撃するのは、1990年代のバブル崩壊後の就職氷河期に翻弄されたロシジェネ世代です。団塊の世代の雇用を守るために正社員の道を閉ざされた彼ら/彼女たちもいまや50代をむかえましたが、ようやく年金を受け取る年齢になると、こんどは80代になるまで毎年、受給額が減らされてしまいます。本人たちにはなんの非もないのに、「失われた30年」の負の歴史を一生背負わされるのは、きわめて不公正で理不尽です。

そこで厚労省は、厚生年金の積立金を使ったり、国民年金の保険料を払う期間をいまの40年から45年に延ばすなどして、将来の基礎年金を上積みしようとしました。

この案が不評なのは、サラリーマンが自分たちにために積み立ててきた年金保険料を「流用」したり、年金保険料の納付期間を延ばすことでなんとかしようとしているからです。これでは、子育てや住宅ローンの返済などで家計が苦しい現役世代のなかでの再分配になってしまいます。

少子高齢化でも年金制度を「100年安心」にするために2004年につくられたのが「マクロ経済スライド」で、年金支給額を毎年に減らしていくことで、制度は持続可能になるとされました。ところが、年金の名目受給額が減ると高齢者が反発すると恐れた政治家が、デフレ下での発動を延期してしまいます。

その結果、厚生年金のモデル世帯(夫婦2人)で、本来は給付水準(所得代替率)を2004年の59.3%から23年までに50.2%まで下げなければならなかったのに、逆に24年には61.2%まで上がっています。この差が年金受給者の「もらい得」になっているのですから、本来であればそれを財源にして基礎年金を底上げすべきでしょう。

ところが超高齢社会の日本は、「老人が不安になることはいっさい許さない」という“老人ファシズム”なので、「現役世代の負担が限界なら、あとは高齢世代内で再分配するしかない」という当たり前のことを、政治家はもちろん、ふだんは「社会正義」を気分よく振りかざしている大手メディアもいっさい口に出すことができません。

その結果、厚生年金の積立金を「活用」するという当初案に落ち着き、現役世代はさらに搾取されつづけることになったのです。

参考:「政府、低年金対策を削除」2025年5月14日『日本経済新聞』

『週刊プレイボーイ』2025年6月2日発売号 禁・無断転載