『上級国民/下級国民』発売のお知らせ

小学館新書より『上級国民/下級国民』が発売されます。発売日は8月1日(木)ですが、早ければ7月30日(火)から大手書店などに並びはじめると思います。

Amazonでは予約が始まりました(電子書籍も同日発売で制作作業が進んでいます)。

2019年4月13日(土)に東京大学・伊藤国際学術研究センター伊藤謝恩ホールで行なわれた日本生物地理学会の市民シンポジウムで、「リベラル化する社会の分断」と題する講演をしましたが、本書はそれをもとに加筆修正し、新書のかたちにまとめたものです。

アメリカのトランプ現象、イギリスのブレグジット、フランスのジレジョーヌ(黄色ベスト)デモに共通するのは、これまで社会の主流(マジョリティ)だった白人中流層が「下級(アンダークラス)」に転落し、その怒り(ルサンチマン)が社会を大きく動揺させているということです。

欧米先進国から半周遅れで、日本でも同じ事態が起きています。日本社会の主流はこれまでずっと「男」でしたが、いまやその一部が中流から脱落しつつあります。この現象は、ネットスラングで「上級国民/下級国民」と呼ばれます。

男が分断されるのは、社会的・経済的成功と性愛が一致するからです。「持てる男はモテる」なら、彼らは複数の女性とつき合うのですから、残された「持たざる男」は性愛からも排除されてしまいます。この現象は、やはりネットスラングで「モテ/非モテ」と呼ばれます。

誤解のないように述べておくと、これは「男より女の方が恵まれている」という話ではありません。日本社会のマイノリティである女性は、「自立」を目指しつつも、マジョリティである男の「分断」に巻き込まれ翻弄されてしまうのです。

「上級国民/下級国民」や「モテ/非モテ」の分断は、人類がこれまで経験したことのない「とてつもなくゆたかで、平和で、自由な社会」の必然です。私たちはいま、「自己実現」の代償として、この分断を受け入れるかどうかを問わているのです。

書店でこの表紙を見かけたら、手に取ってみてください。

【追記】今年になって、私としては異例のペースで新刊の発売が続いていますが、本書でひと区切りです。次は書き下ろしをやろうと思っています。

『事実vs本能 目を背けたいファクトにも理由はある』あとがき

出版社の許可を得て、新刊『事実vs本能 目を背けたいファクトにも理由はある』の「あとがき」を掲載します。本日発売で、Kindle版もリリースされました。

****************************************************************************************

本書に掲載した『週刊プレイボーイ』のコラムは『Yahoo!ニュース個人』にもアップされています。最近ではネットで読まれることも多くなりました。

Part1「この国で『言ってはいけない』こと」の冒頭にある「女児虐待死事件でメディアがぜったいにいわないこと」は100万ページビュー、「小4女児虐待死事件で、やはりメディアがぜったいにいわないこと」は250万ページビューを超えました。『Yahoo!ニュース』の担当者によると、トピックス(ニュースページのもっとも目立つところに置かれる記事)以外でこれだけのアクセスがあるのは珍しいとのことです。

かつては雑誌コラムは紙で読むものでしたが、いまはウェブへと移行しつつあります。そんな時代の変化とともに、コラムをまとめて単行本にすることもめっきりすくなくなりました。そのなかで、『不愉快なことには理由がある』『バカが多いのには理由がある』『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』(すべて集英社文庫)につづいて4冊目を出す機会に恵まれたことはほんとうに幸運だと思います。

ハンス・ロスリングがすい臓がんで亡くなる直前まで精魂を傾けて執筆した『FACTFULLNESS』は世界的なベストセラーになりました。ここでロスリングは、思い込みを乗り越えさえすれば、世界のひとびとがどんどんゆたかになり、健康で長生きしているという事実(ファクト)が見えてくると述べています。私たちは、それほど悪くない(というか人類の歴史のなかではとてつもなく恵まれた)世界に生きているのです。

ところが世の中にはこの幸運を認めず、「経済格差が拡大し、1%の富裕層と99%の貧困層に分断した」とか、「社会はますます右傾化し、第二次世界大戦前と似てきた」というような呪詛の言葉をまき散らすひとたちが溢れています。

もちろんここには一片の真実があります。「ファクトフルネス」で説明すれば、次のようになるでしょう。

「中国やインドなどの新興国の経済成長で世界の格差は縮小し、ひとびとは(全体としては)よりゆたかになった。ただしその代償として、先進国で中流層が崩壊し経済格差が拡大している。とはいえゆたかな国では、10世帯(アメリカ)から20世帯(日本)に1世帯は資産100万ドルを超えるミリオネア(億万長者)だ」

「知識社会化とグローバル化にともなって、ひとびとの価値観はますますリベラルになっており、日本も一周遅れで欧米に追随している。『反知性主義、排外主義、右傾化』というのは、この巨大な潮流から脱落したひとたちによるバックラッシュだ」

事実(ファクト)を無視した議論につき合うのは、人生という貴重な時間のムダでしかありません。

殺人などの事件数でも、交通事故の死亡者数でも、現在の日本がかつてないほど安全な社会であることはまちがいありません。このことは20年以上前から社会学者などによって繰り返し指摘されていますが、それでも8割以上のひとが「社会はますます危険になり、安全が脅かされている」と感じています。

事実(ファクト)とは無関係に体感治安だけが悪化していくのにはさまざまな理由があるでしょうが、もっとも重要なのは「社会がますます安全になった」ことでしょう。真っ白なシャツに黒いしみがつくとものすごく目立つのと同様に、安全なはずの場所で(スクールバスに向かう児童に刃物を持った男が襲いかかるような)凶悪事件が起きると、ひとびとの関心はそこに集中し、不安や恐怖が広がっていくのです。

戦後日本は「奇跡」ともいわれる驚異的な経済成長を達成しましたが、ゆたかさを手に入れたにもかかわらず日本人の幸福度は上がらないばかりか、逆に下がっているようです。この奇妙な現象はかつて「ジャパン・パラドックス」と呼ばれましたが、いまでは世界じゅうで同じような「パラドックス(矛盾)」が観察されています。この心理も、ゆたかになればなるほど自分より幸福そうな隣人が気になることで(かなりの程度)説明できるでしょう。

『FACTFULLNESS』でも強調されているように、これは私たちの「本能」が世界を正しく見ることを邪魔しているからであり、マスメディアやインターネットがこの「本能」を利用してビジネスしているからでもあります。そしてこれは、『不愉快なことには理由がある』以降、このシリーズで一貫して述べてきたことでもあります。

とはいえこのことで、自分の先見の明を誇りたいわけではありません。まともに考えれば、だれもが同じ場所に到達するというだけのことです。

私たちが直面しているのは、ヒトの脳が狩猟採集の旧石器時代に生き延びるように「設計」されており、「とてつもなくゆたかで平和な時代」のリベラルな価値観とさまざまな場面で衝突するという「不都合な事実(ファクト)」なのです。

2019年7月 橘 玲

第84回 金融リテラシー 高齢者にこそ(橘玲の世界は損得勘定)

かんぽ生命保険が、保険の乗り換えで顧客が不利益を被った事例が5年間で2万件以上あると発表した。健康状況の告知などで新契約が結べなかったり、告知書類の記入不備などで保険金が受け取れなかったりしたのだという。契約者からの二重徴収の疑いも発覚し、法令に抵触する可能性も指摘されている。

この問題については、2018年4月にNHK「クローズアップ現代」が、「郵便局が保険を“押し売り”!?~郵便局員たちの告白~」として取り上げている。それから1年以上たち、金融庁からも報告を求められたことで、しぶしぶ実態を認めたのだろう。

NHKの番組は、「高齢の母が、郵便局員に保険を押し売りされた」という1通のメールから取材が始まった。同様のトラブルがないかSNSで情報提供を呼びかけたところ、わずか1カ月で400通を超えるメールが届き、その大半が現役職員など郵便局の関係者からだった。「郵便局というだけで、高齢者の場合、だましやすい」「ノルマに追い詰められて、詐欺まがいで契約させる」など元郵便局員の生々しい証言も紹介された。

かんぽ生命の役員もインタビューに応じていて「社内的な評価制度の見直し等」を約束したが、その映像をSNSで公開したところ、たちまち現役郵便局員から「個人に割り振られた目標はむしろ上がっている。こんな状況では、問題の解決にはならない」との手厳しい反論が来た。

なぜこんなヒドいことになるのか。そのいちばんの理由は、超低金利と情報通信テクノロジーの急速な進歩によって、既存の金融機関が収益をあげられなくなっているからだろう。

それでもなんとかして利益を出さないと会社が存続できないから、本社は各郵便局に重いノルマを課す。実現不可能なことをやれといわれた営業マンは、良識や道徳などどこかに吹き飛んで、「保険の内容を理解していない高齢者をダマしてぼったくる」ことになるのだ。

じつはこれは、かんぽ生命だけの問題ではない。ネットリテラシーとフィナンシャルリテラシーの高い若い顧客がインターネット取引に移ったことで、対面営業の金融機関には両方のリテラシーの低い顧客しか残らなくなった。そうなれば、なにが起きるかは考えるまでもない。

大手銀行は顧客に手数料の高い投資信託や生命保険商品を外販し、大手証券も高齢者向けのセミナーでハイリスクな新興国通貨のデリバティブを売りつけていると批判されている。

かんぽ生命の苦境は、保険金の上限が2000万円と決められているため、いったん旧契約を解約しないと新契約に乗り換えさせられないことにある。こうしてトラブルが表面化したのだが、苦しい事情はどこも同じだ。

人間の認知能力には限界があるから、リテラシーの低い顧客に複雑な金融商品を理解させることは不可能だ。トラブルの本質は、じつはここにある。

「報告書」問題で大変かもしれないが、これからますます高齢者は増えていくのだから、金融庁もそろそろこの「不都合な事実」を直視する必要があるのではないだろうか。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.84『日経ヴェリタス』2019年7月14日号掲載
禁・無断転載