サマー・オブ・ラブ(愛の夏)という現代の寓話 週刊プレイボーイ連載(442)

黒人男性が警察官による過度な制圧によって死亡した事件を受けて、全米に「ブラック・ライブズ・マター(黒人の生命も大切だ)」の抗議行動が広がりました。

スターバックス発祥の地としても知られるワシントン州シアトルのキャピトルヒルは、カフェやギャラリーが集まるアート&カルチャーの人気スポットです。6月に入るとこのお洒落な街でデモ隊と警察が衝突を繰り返すようになり、6月8日、警察署長は不測の事態を避けるために警察署を封鎖して地域から退去することを決断します。こうして、21世紀に突如として“コミューン(自治区)”が誕生しました。

トランプ大統領はこの「異常事態」をはげしく非難しましたが、1958年生まれで10代で西海岸のヒッピームーブメントを体験したシアトルの女性市長は、この状況がいつまで続くのかテレビレポーターに訊かれ、「わからない。もしかしたらわたしたちは“愛の夏”を過ごせるかも」と答えています。

愛の夏(サマー・オブ・ラブ)とは1967年にサンフランシスコのヘイト・アシュベリーを中心に起こった大規模な「(フリー)セックス・ドラッグ・ロックンロール」の文化運動です。その熱狂は2年後に起きたカルト集団マンソン・ファミリーによる女優シャロン・テート殺害事件の衝撃によって終わりを告げました。

では、2020年の「愛の夏」はどうなったのでしょうか?

「解放区」では資本主義を拒否する活動家によって水や軽食が無料で配られ、公園では無農薬の野菜が栽培され、ボランティアによる医療が提供されました。街じゅうにストリートアートが描かれ、ヒップホップグループのパフォーマンス、人種差別をテーマにした映画の上映、さらにはあちこちでティーチ・インという討論会が開かれました。

メディアの取材に対して23歳の活動家は、「われわれは警察(行政)なしでもコミュニティのニーズを満たすことができることを、行動と実践を通して証明しようとしている」とこたえています。この宣言に「解放区」の高い理想が象徴されています。

ところがこの祝祭的な高揚感の裏で、地域に不穏な空気が漂ってきます。自動車販売店に押し込み強盗が入り、カッターで襲い掛かる犯人をなんとか取り押さえたものの、なんど警察に電話しても誰も来なかったと報じられると、高級住宅街の住民のあいだに不安が広がります。

決定的なのは、その後、あいついで殺人事件が起きたことです。6月20日に発砲事件が発生したときは、駆けつけた警官が群衆によって阻まれ、高校を卒業したばかりの19歳の男性が死亡しました。翌21日には17歳の男性が銃撃され、22日には「解放区内でレイプが起きた」と警察が発表し、23日は30代の男性が銃撃によって負傷します。29日は4件の銃撃事件が起き、16歳の男性が死亡し、14歳が重体となりました。

“愛の夏”がたちまち暴力の連鎖に変わったことに驚愕した市長は占拠の即時終了を通告し、活動家のリーダーも自らに責任が及ぶのを恐れて撤退に同意します。「解放」が終わったキャピトルヒルを訪れた市長は、「ひとびとが家やアパートから出てきて、戻ってきた警察官に次々と感謝の言葉を述べた」と語りました。

このようにして、「現代の寓話」はわずか1カ月で終わりを告げたのです。

参考:”Free Food, Free Speech and Free of Police: Inside Seattle’s ‘Autonomous Zone’” New York Times Published June 11, 2020 Updated July 6, 2020
“Seattle Police Dismantle ‘Police-Free Zone’” The Wall Street Journal, July 1, 2020

『週刊プレイボーイ』2020年8月24日発売号 禁・無断転載

日本で安楽死が認められないのは、日本人が「愚か」だから 週刊プレイボーイ連載(441)

難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性が、ネットで知り合った医師2人から鎮静薬を投与され死亡した事件が波紋を広げています。主犯とされる医師はツイッターに「安楽死外来(仮)やりたいなあ」などと投稿する一方で、妻によると頻繁に「死にたい」と訴え自殺未遂もあったとされ、犯行の動機については不明な点が多いままです。

その一方ではっきりしているのは、ALSを患う女性が自らの意思で安楽死を望んだことです。彼女は(パソコンのスクリーン上のキーボードを視線の動きで感知する)視線入力でブログやSNSに自らの思いを投稿していましたが、そこには「惨めだ。こんな姿で生きたくないよ」「すごく辛い。早く楽になりたい」などの言葉が並んでいます。

報道によれば、女性はスイスの自殺ほう助団体の利用を考えたものの、付添人が刑事罰を科せられる可能性を知って断念し、SNSでやりとりするようになった医師に依頼し、報酬として130万円を支払ったとされます。

それにもかかわらず一部の論者は、「やまゆり園事件」を引き合いに出して、これを「優生学」と批判しています。知的障がい者施設で大量殺人を実行した男は、たしかに「重度・重複障がい者を育てることは莫大なお金・時間を失うことにつながる」などと主張し「生命の選別」を正当化しました。しかし今回の事件では、女性は報酬まで支払っているのですから同列に扱えないのは明らかです。

ヒトラーは「戦争は不治の病人を抹殺する絶好の機会である」と述べ、ナチスは知的・身体的・精神的な障がいのある国民を「安楽死施設」で組織的に殺害しました。1979年に元衆議院議員を中心に発足した日本安楽死協会が「末期医療の特別措置法案」の国会提出を目指したとき、「人権派」や身体障がい者団体は「ナチスの優生思想と同じ」と猛烈と批判しました。その結果、団体は法案提出を断念し「日本尊厳死協会」と改名して、「安らかな死」を求めるリビング・ウィルの普及を目指すようになります。

これ以降、日本では安楽死を議論することはタブーになり、それは40年以上経ったいまも変わりません。死の自己決定権について語ろうとすれば、即座に「優生学」のレッテルを貼られ公的空間から排斥されてしまうのです。

オランダやベルギーなどでは安楽死が条件付きで合法化されており、(ALSの女性が望んだように)栄養補給を止めて死に至らしめることを実質的に認めている国はもっと多いでしょう。ではなぜ、日本では議論すら許されないのか。

その理由はきわめて明快で、「日本人の民度が低いから」です。そのときに使われる定番の理屈は、「欧米と比べて同調圧力の強い日本で安楽死を認めれば、社会や家族の都合で生死が決められるようになる」です。これは、「日本人は愚かだから欧米と同じことをするのは無理だ」というのと同じです。

この論理がグロテスクなのは、愚かな日本人を「説教」する自分が特権的に優れていることを当然の前提にしているからです。よりよく死ぬことを求めたALSの女性は、リベラルの“知的優生学”と“自虐史観”の犠牲者でもあるのです。

『週刊プレイボーイ』2020年8月17日発売号 禁・無断転載

第91回 役所で体験した電子政府の実態(橘玲の世界は損得勘定)

1人10万円の特別定額給付金で注目が集まったマイナンバーカードだが、電子証明書の有効期限が切れていたので更新のため区民センターに行ってきた。感染抑制で「不要不急の外出を控えよ」と政府がいっているのに、本人が窓口に行かないと手続きできないのだ。

幸いなことにさほど混んでおらず、番号札を引くとすぐに窓口に案内された。担当者はひとのよさそうなおじいさんで、要件を告げると、申請用紙と「個人番号・電子証明書 暗証番号の控え」という紙を渡された。これは暗証番号を忘れないためのものだという。

それはいいのだが、いざ書こうとすると、担当者がじっと手元を覗き込んでいる。他人に知られてはならない番号なのだから、これはさすがにおかしいが、だからといってにこにこしているおじいさんに面と向かって「見ないでください」と文句をいうのも角が立ちそうで、しかたなくそのまま書いた(このおじいさんに暗唱番号の悪用などできるはずがないと思ったのもあるが)。

その後、専用端末に自分で暗証番号を入力するのだが、この画面は担当者には見えないようになっていた。それから5分ほど、おじいさんがパソコンに向かってうんうんうなって、ようやく更新が終わった。

マイナンバーカードはこれまで、電子申告やコンビニでの住民票・印鑑証明の取得くらいしか使い道がなく、暗証番号を忘れてしまうひとも多かったのだろう。そこで控えを書かせることになったのは理解できるとして、なぜ利用者の個人情報を堂々と担当者が見ているのか。

これはあくまで私の推測だが、最初は利用者の秘密を守るようになっていたはずだ(当たり前だ)。それが平然と暗証番号の紙を覗き込むようになったのは、そうしないと利用者からの質問に対応できないからだろう。

マイナンバーの暗証番号は「署名用電子証明書」「利用者証明用電子証明書」「住民基本台帳用」「券面事項入力補助用」と4種類もある(署名用以外は共通で可)。オンラインの手続きにうとい高齢者などにこれを説明し、さらに自分で端末に入力してもらうには、手取り足取り指導するしかない。なにを書いたか見ずにこれをやろうとすると話がかみ合わなくてトラブルになるので、いつの間にか内容を確認するようになったのではないだろうか。

現場レベルでルールが歪められるのは、「公務員ならなんでもやってくれて当たり前」という利用者側の甘えと、「公務員なのだから信用されて当たり前」という担当者の思い込みがあり、それが過剰な「お世話体質」になっているのではないか。

しかしそれ以前に問題なのは、まったくユーザーフレンドリーではないシステムを、オンラインリテラシーの低い利用者に使わせようとしていることだ。おまけに手続きする担当者のリテラシーも低いと、必然的にこういうことになる。

日本は世界有数の「電子政府」を目指すそうだが、その実態がよくわかった体験だった。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.91『日経ヴェリタス』2020年8月8日号掲載
禁・無断転載