ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2012年8月公開の記事です。(一部改変)

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アイスランドのことは白夜とオーロラくらいしか知らなかったのだが、ここはとても変わった国だ。
私が訪れたのは2012年6月初めで、ロンドンを午後10時55分に経ち、レイキャビクから西に50キロほど離れたのケプラヴィーク国際空港に午前1時10分に到着した。Iceland Expressという航空会社では、これがロンドンからアイスランドに向かうその日唯一の便だ。なんでこんな奇妙な時間に運行するのだろう。
冷戦時代の米軍基地を民営化した空港の入管を通過すると、目の前がスーパーマーケットになっていて、深夜だというのにみんながそこで買い物をしている。
到着ロビーを出ると外はまだ明るく(6月は白夜なので暗くならない)、観光シーズンだからか旅行会社やレンタカー会社がごくふつうに営業している。スーパーでも女性たちが当たり前のようにレジ打ちをしていたが、夏のアイスランドは国全体が24時間営業のようなのだ。
レンタカーを借りようとすると、キーといっしょに車体の傷を示す紙を渡されて、「自分で確認して、記入漏れがあったらこの場で申告してほしい」といわれた。なんのことかわからず訊き直すと、返却の際に車体の傷が増えていると賠償が発生することがあるが、そのときになって「これは最初からついていた傷だ」と苦情をいっても手遅れなのだという。
駐車場に行ってみると、たしかにみんな、書類を片手に車体を真剣にチェックしている。細かな傷を見つけると、それを書類に書き込んで、もういちどカウンターまで持っていくのだ。これまでいろんな国でレンタカーを借りたが、こんなシステムは初めてだ(しかも時刻は午前2時を回っている)。
アイスランドは滝や温泉、火山や湖など雄大な自然が魅力だ。とくにレイキャビク周辺の観光地には、短い夏のあいだヨーロッパじゅうから自然愛好家たちが押し寄せる。
そうした観光地にはレストラン兼土産物屋が併設されているが、それらはすべてセルフサービス方式だ。スープやサラダ、サンドウィッチ、飲み物やデザートを自分で選んでトレイに載せ、レジに持っていく。ヨーロッパではファストフード店でも食べ残したものをそのままテーブルに置いておくのがふつうだが(掃除は客のやることではないとされている)、ここでは店内にゴミ箱が設置され、日本と同じく次のひとのために客が自分で後片づけをする。
レイキャビクのホテルに着くと、駐車場が満車だった。フロントの女性にどうすればいいか訊くと、午後6時から翌日の午前10時までは路上駐車が許されているから、そのあたりに適当に駐めてくれという。10時過ぎたらどうなるのかと訊くと、ちょっと肩をすくめて、「レッカー移動される前に自分で動かしてね」といわれた。
このような経験を繰り返すうちに、ようやく私も気がついた。この国は、Do It Yourself(DIY)の原理で動いているのだ。
トロール網を引いていた男たちがいきなり投資銀行家に
アイスランド社会はなぜ、DIY(自分のことは自分でやろう)の文化なのだろうか。
「そんなの当たり前だよ」午前3時の太陽を眺めながら、スポーツバーで知り合った赤ら顔のオヤジがいった。「アイスランドの人口はたった32万人しかいないんだ。12月になれば太陽は昼の12時に昇って午後3時に沈む。年が明ければ1日じゅうずっと夜だ。この国の制度は、それでもみんながやっていけるように、最小限で動くようにできてるんだよ。そんなところに、夏には大挙して観光客がやってくる。手厚いサービスなんてできるわけないから、できることは自分でやってもらうしかないのさ」
レイキャビクでも、レストランの多くはビュッフェ形式だ。ウエイターのサーブする店もあるが、そこは限られた高級店で、銀座や六本木で食事をするのと同じくらいの値段がする。金融バブル崩壊で通貨アイスランドクローナが暴落した後でこの値段だから、07年まではその3倍はした。スモークサーモンと子羊のグリルを食べて、コーヒーを飲んだだけで1人2万円という異常な料金だ。
アイスランドでなぜ金融バブルが発生したのかはいろいろな説明がされているが、このDIY文化が金融資本主義とものすごく相性がよかったのは間違いない。
アイスランドの「バブルの戦犯」は元演劇青年の政治家ダヴィード・オッドソンで、1980年代に新自由主義の経済学者ミルトン・フリードマンに感化され、91年に首相になると大胆な民営化政策を実行した。04年に首相の座を降りると自ら中央銀行総裁に就任し、こんどは徹底した金融自由化に着手する。こうして、北極に近い小さな島にまれに見る金融バブルが発生した。
それがどのようなものだったかは、次のようなデータを並べるだけでわかる。
アイスランドの3大銀行(カウプシング銀行、ランズバンキ銀行、グリトニル銀行)の総資産は、2003年にはGDPとほぼ同じだったが、約3年半でGDPの10倍の14兆4370億クローナ(当時の為替レートで約28兆円)にまで膨らんだ。
03年から07年にかけて不動産価格は3倍、株価は9倍になり、通貨は対ドルで60%上昇した。それにともなってアイスランドの平均的世帯の収入は、わずか3年半で3倍に増えた。年収500万円の世帯がいきなり年収1500万円になるのだから、これはものすごいことだ。
こうした錬金術の秘密は、いまになってしまえば簡単なことだ。アイスランドの銀行は、高金利のポンド預金やユーロ預金でヨーロッパの個人や企業からお金を集め、それを南欧や東欧の不動産に投資したり、株式市場で片っ端から株を買ったりして運用していた。すなわち、国全体がヘッジファンドになったのだ。
金融バブル崩壊後にアイスランドを訪れた作家のマイケル・ルイスは、その原因は学歴と仕事のギャップにあるという(『ブーメラン 欧州から恐慌が返ってくる』東江一紀訳/文春文庫)。アイスランドはヨーロッパでも高い教育水準を誇るが、仕事といえばサケのトロール漁か、地熱発電による安価な電力を利用したアルミの精錬くらいしかなく、そのうえヨーロッパ企業がアルミ精錬工場を建設しようとすると、「妖精たちの住み処を破壊するな」と反対運動が起きるという(アイスランド人はいまだに妖精の存在を信じているのだ)。
そんなところに突如、知的かつボロ儲けのできる夢のような仕事が天から降ってきた。こうして、去年までトロール網を引いていた男たちがいきなり投資銀行家になったのだ。
バブル崩壊から短期で復活できたのは福祉制度がないから
アイスランドというDIY国家が面目躍如なのは、実はバブルが崩壊してからだ。3大銀行がGDPをはるかに超える負債を抱えて国有化されると、その債務をどのように処理するかが問題になった。
アイスランド政府は当初、銀行を破綻処理して債務を帳消しにすることを検討したが、預金者の多くは高金利に魅かれたイギリスやオランダの個人投資家たちで、両国政府は、アイスランド政府が元本返済の責任を放棄するなら国交を断絶すると通告した。アイスランド国民は、このままだと未来永劫、借金を返すためだけに税金を納めつづけなければならなくなり、国外への移住希望者が殺到した。まさに国家存亡の危機だ。
ところがその後、数年のうちにアイスランド経済は奇跡の復活を遂げることになる。その理由は、2度の国民投票によって、ファンドや年金基金、金融機関や事業法人など“プロ”の大口債権者からの借金を踏み倒したことだ。
こんな離れ業が可能になったのは、ギリシアのようにユーロ圏に入っておらず、スペインやイタリアよりもはるかに経済規模が小さいため、ヨーロッパを襲ったユーロ危機のなかではとるに足らない話だと扱われたからだろう。そのうえ通貨クローナの価値が対ドルでほぼ半分になったことから、輸出産業が息を吹き返した。
アイスランドは11年8月に国際通貨基金(IMF)の支援プログラムから脱し、12年2月には国債の信用格付が投資適格のBBB-に戻った。恒常的な財政赤字に苦しむ南欧諸国とちがって、DIYの国アイスランドには過剰な福祉制度がないからだ。
もともと投資は自己責任なのだから、「民間銀行の預金を政府が無制限に保護する理由はない」というアイスランド政府の主張は正論だ。アイスランドは「市場原理主義」によって巨大なバブルを起こし、同じ「市場原理主義」によって短期間に復活したのだ。
レイキャビクの首相官邸は、柵もなければ警備員すらいない芝生の中の小さな家だ。金融危機のあと、この家の住人になったヨハンナ・シグルザルドッティルは女性脚本家と結婚し、同性愛をカミングアウトした世界初の首相だ。もともとアイスランドはマッチョな男社会だが、こんなところにも「ちゃんと仕事をしてくれればプライベートなんて関係ない」というDIY精神が顔を覗かせている。
アイスランドの最大の観光地といえば、海底から湧き出る温泉を利用した大露天風呂ブルーラグーンだ。徹底的に効率化した施設運営でも知られていて、施設内のすべての支払いはICチップを埋め込まれたロッカーキーに記録され、出口でまとめて清算する。露天風呂にはバーがあってソフトドリンクのほかにビールやカクテルも販売されているが、監視員がいるわけではない。
ロッカーには、この国を象徴する次のような文章が各国語で掲示されている。
「ブルーラグーンにご入場されたお客様は一切の責任をご自身にて負っていただくことになります」
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