自ら道徳的責任を引き受けた藤島ジュリー景子こそまっとうだ

早見和真 『ラストインタビュー  藤島ジュリー景子との47時間』(新潮社)の書評で、『サンデー毎日』(2023年10月29日号)に寄稿した「自ら道徳的責任を引き受けた藤島ジュリー景子こそまっとうだ」について触れましたが、この記事がWEBで読めなくなっているようなので、出版社の許可を得て『DD(どっちもどっち)論 「解決できない問題」には理由がある』(集英社)から転載します。

Osugi/Shutterstock

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私はジャニーズになんの興味・関心もないし、故・ジャニー喜多川の特異な性癖の噂はもちろん知っていたが、自分にとってはどうでもいい話だと思っていた。

そもそもこの地球上では、理不尽なことや許しがたいことが無数に起きている。あなたも私も、それを無視して平穏な暮らしをしているのに、なぜジャニーズ問題だけ大騒ぎしなければならないのか。

だが2023年10月2日の記者会見で披露された手紙を読んで、すこし考えが変わった。
ジャニー喜多川の姪であり、〝女帝〟といわれたメリー喜多川の娘である(そしてジャニーズ事務所の全株式を相続した)藤島ジュリー景子氏(以下、ジュリー氏)は、今回の事件の後始末でずいぶん批判されているらしい。

だが手紙には、母との確執や自身の責任などが率直に書かれていて、おじが行った性的虐待に苦悩する姿が伝わってきた。そこで本稿では、ジュリー氏を擁護してみたい。

ジュリー氏に法的な賠償責任はない

話の前提として、この事件の責任の所在について確認しておこう。

ジャニー喜多川の性癖は業界関係者のあいだでは周知の事実で、1980年代末には元アイドルの告発本が出て一般にも広く知られることになった。90年代末からは『週刊文春』が連続キャンペーンを行ない、それに対してジャニーズ事務所が提訴、2003年に東京高裁が「セクハラに関する記事の重要な部分について真実であることの証明があった」と認定し、翌年に上告が棄却されて判決が確定している。

ジャニーは1931年生まれで、60年代はじめに代々木の在日米軍宿舎「ワシントンハイツ」で、近所の少年たちを集めて「ジャニーズ少年野球団」を結成した。小児性愛の嗜好は、すでにこの頃から始まっていたらしい。

記者会見では、ジャニーからの性被害を申し出た者が478人、補償を求める被害者が325人いることが明らかにされた。この数は今後も増えるだろうから、19年に死去するまでに1000人ちかい十代前半の少年たちが性的な行為を強要された可能性がある。

この事件が悪質なのは、最高裁で判決が確定したあとも少年たちへの性加害が続けられたことだ。事務所の幹部が「知らなかった」「気づかなかった」では済まされず、当時の関係者には重い責任がある。

だが刑事事件としては、ジャニーが行なった性的虐待の罪を、犯罪を幇助したという明確な証拠があればともかく、親族や部下に帰すのは困難だろう。唯一、事務所を実質的に支配していた(ジュリー氏の母である)メリー喜多川には法的責任が生じるかもしれないが、彼女も21年に死去している。

民事上は、ジャニーの死亡によって不法行為の賠償責任は「ジャニーズ事務所」という法人に引き継がれ、その社長に就任したジュリー氏も法人の代表として責任を負うことになった(ジャニーの生前の性加害について、不法行為の損害賠償責任を相続したと見なされる可能性もある)。

とはいえ、法律家が指摘しているように、不法行為による損害賠償の請求権は3年(あるいは5年)で時効になるため、ジャニーズ事務所が時効を援用すれば、ほとんどの被害者は請求権を失ってしまうだろう。

ジュリー氏が「法を超えた救済」を約束しているのは、法律的には被害者が救済されないことを知っているからだ。手紙にも、多くのファンドや企業から有利な条件での買収の話がたくさんあり、「そのお金で相続税をお支払いし、株主としていなくなるのが、補償責任もなくなり一番楽な道だとも何度も何度も多くの専門家の方々からアドバイスされました」と書いている。

ジュリー氏が株式を売却すると、新しい株主の下で法人は賠償義務を負うことになる。だがジャニーズ事務所を買収するのは利益を得るための投資であり、被害者への補償額が少なければ少ないほど利益は増え、投資効率は上がる。「100%株主として残る決心をしたのは、他の方々が株主で入られた場合、被害者の方々に法を超えた救済が事実上できなくなると伺ったからでした」と書いているのは、このことをいっている。

ここからわかるのは、ジュリー氏が自分には法的な賠償義務がないことを知っていて、それにもかかわらず自らの意思で、私財を投じて被害者に補償することを決めたということだ。このことをメディアは意図的に無視しているようなので、あえて強調しておきたい。

新会社への移行はよく考えられたスキーム

ジャニー喜多川が行なった性的虐待はおぞましいものだが、本人だけでなく、実態を知っていた(おそらくは積極的に事実を隠蔽していた)はずの姉も世を去ったことで、膨大な数の被害者だけが取り残されることになった。

これがこの事件の大きな特徴で、加害者が不在であることでひとびとの「正義の怒り」は行き場を失い、そのことによってジュリー氏が批判の矢面に立たされることになった。

だがそれだけでなく、所属するタレント、被害を告発した元タレント、メディアや広告スポンサー、〝ジャニオタ〟と呼ばれる熱狂的なジャニーズファンまでが「加害者」扱いされる収拾のつかない事態になっている。

ジャニーズのタレントを起用していた企業は「小児性犯罪を容認するのか」との批判におじけづき、次々とスポンサー契約を打ち切った。するとファンは、「タレントに非はないのに一方的に責任を負わせるのはおかしい」という(もっともな)疑問を抱き、その怒りが被害を告発した元タレントに向かうことになった。この現象は、社会心理学で「犠牲者非難」と呼ばれる。

性的暴行事件では、女性が被害を訴えても警察が事件化しなかったり、裁判で証拠不十分とされることがある。すると正義が実現せず、世界の公正さが傷つけられたままになってしまうので、この認知的不協和を解消するために、「自分から誘ったのではないか」などと被害者を非難し、自分の都合のいいように物語をつくり替えて「公正世界」を回復しようとするのだ。

ジャニーズ問題では、「K-POPが市場を奪うための破壊工作である」「被害を告発している者は金目当てである」あるいは「慰安婦支援団体など左翼で反日の勢力が裏にいる」などの陰謀論がSNSで広まっているという(「藤田直哉のネット方面見聞録」朝日新聞2023年9月16日夕刊)。

ジャニーズのファンは、これまで熱心に〝推し活〟してきた自分たちが、まるで性犯罪に加担したかのように扱われたと感じたのだろう。現役タレントが「見て見ぬふりをしていた」と批判され、被害を訴えた元タレントをファンが陰謀論の標的にする現状は、けっして健全なものではない。

先日の記者会見では、タレントのマネジメントを新会社に移行し、加害責任はジャニーズ事務所が引き継ぐことが発表された。旧会社は名称を変更したのち被害者の補償に専念し、補償後は廃業するという。

このスキームがよく考えられているのは、現役タレントと、被害を訴える元タレントを、新会社と旧会社に分離したことだ。これによってファンは、〝みそぎ〟を終えたタレントをこれまでどおり〝推し活〟できるようになり、被害者をバッシングする理由もなくなると期待できる。

新会社の資本構成や、元裁判官で構成される被害者救済委員会がどのような基準でどの程度の補償をするのかなど、まだ多くの論点を残しているものの、この「私的整理」で事態は収束していくのではないか。

グロテスクな茶番劇

他人の家庭の事情を外部から窺い知ることはできないが、ジュリー氏と母親の関係はけっして円満なものではなかったようだ。

「母メリーは、私が従順な時はとても優しいのですが、私が少しでも彼女と違う意見を言うと気が狂ったように怒り、叩き潰すようなことを平気でする人でした」という文面から、「毒親と娘」の関係を思い描いたひともいるだろう。

ジュリー氏は医師からパニック障害と診断され、「この状態(母娘関係)から、逃げるしかない」といわれたという。これでは、事務所の最大のタブーであるおじの性癖を問いただすようなことはできなかったにちがいない。もちろんこれでジュリー氏の道義的な責任がなくなるわけではないが、そのことは本人がもっとも痛感しているはずだ。

「ジャニーズ事務所を廃業することが、私が加害者の親族として、やりきらねばならないことなのだと思っております。ジャニー喜多川の痕跡を、この世から一切、無くしたいと思います」という文面からは、おじの性的虐待を強く嫌悪していることが感じられる。

だが私がいいたいのは、「ジュリー氏の真意はどこにあるのか」ということではない。そんなものは誰にもわからないし、本人ですら判然としていないかもしれない。

その代わりに私が注目するのは、「その謝罪にはコストがともなっているか」だ。
なんの不利益もない謝罪(政治家がよくやる)は「口先だけ」と見なされてひどく嫌われる。それに対してジュリー氏は、相当な額の私財を被害者の補償に拠出しようとしている。

もちろん、この程度では被害者が負った傷は回復できないという意見はあるだろう。だがジュリー氏はあくまでも「加害者の親族」であって、加害者ではない。

「どうすれば適切に謝罪できるか」はきわめて難しい(あるいは解のない)問いだが、ここで指摘したいのは、性的虐待に(間接的に)関与していながら、なんのコストも支払っていない者がいることだ。それがメディア、とりわけテレビ局だ。

日本のアイドルの歴史は、テレビ局がジャニーズのタレントを番組に起用して人気を盛り上げ、それによってジャニーズ事務所がメディアを「支配」していく歴史だった。各テレビ局にはジャニーズ担当の社員(バラエティ番組のプロデューサーや役員)がおり、接待したりされたりする関係だったことは、業界関係者なら誰でも知っている。―-NHKの元理事やフジテレビの女性プロデューサーがジャニーズ事務所の顧問・取締役に就任して事実(ファクト)もある。

安倍元首相襲撃事件で自民党と統一教会の「ずぶずぶの関係」をあれだけ批判したメディアは、自分たちがジャニーズ事務所と同じ(というか、さらに悪質な)関係だった事実にいっさい触れようとしない。

そればかりか最近では、「適切な対話を続け、進捗(しんちょく)を注視する」とか、「組織体制の構築をより具体的に進めるよう促す」とか、いつの間にか自分たちが「正義」の側にすり替わったようなことをいっている。

アメリカで大きな社会問題になった大富豪ジェフリー・エプスタインの性的虐待事件では、14歳を含む36人の少女が被害を受けたとされ、パーティーで同席した者まで批判された(本人は収監中に自殺)。ジャニー喜多川の性的虐待の被害者はエプスタインの10倍をゆうに超えているが、この小児性犯罪者と親しく交遊していた者たちはなぜ問題にされないのか。

ジャニーズ事務所の記者会見で舌鋒鋭く質問をした記者やリポーターがすべきなのは、メディアの歴代のジャニーズ担当者に説明責任を果たさせることだろう。だが実際にやっているのは、記者会見にNGリストが用意されていたとかの、どうでもいい批判ばかりだ。

なぜこんなことになるのか。その理由はいうまでもない。場の「空気」を乱すことはしないという暗黙の了解、あるいは忖度によって、不都合な意見を述べた者は二度と番組に呼ばれず、業界から排除されてしまうからだ。そしてこの「ムラ社会の同調圧力」こそが、ジャニー喜多川が半世紀以上にわたって性的虐待を続けられた理由だ。

性犯罪を容認してきた者たちがしたり顔で「人権」を振りかざし、私費を投じて被害者に補償しようとしている者を好き勝手に叩く。「正義」の名を騙(かた)る者たちの偽善と自己正当化によって、社会は壊れていく。

このグロテスクな茶番劇のなかでただ一人、自らの道徳的責任を自覚しているジュリー氏だけが、人間としてまともである。

『サンデー毎日』(2023年10月29日号)に寄稿した「自ら道徳的責任を引き受けた藤島ジュリー景子こそまっとうだ」を『DD(どっちもどっち)論 「解決できない問題」には理由がある』に収録、それを一部加筆修正した。

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