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西部劇『捜索者』からアメリカン・インディアンの歴史を考える(後編)
ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2018年2月公開の記事です。(一部改変)

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アメリカ創世の神話には二つの大きな傷がある。ひとつはもちろん奴隷制で、もうひとつが「西部開拓」の名の下にインディアンの土地(と生命)を奪ったことだ。ハリウッドの西部劇では、白人の善良な開拓民を悪辣なインディアンが襲い、それを騎兵隊が救出するという勧善懲悪のドラマが人気を博した。
だが第二次世界大戦が終わるとともに、この「神話」は大きく揺らぐことになる。人種差別に反対する公民権運動の盛り上がりのなかで、西部開拓時代に対しても「白人の手は血で汚れているのではないか」との批判が突きつけられるようになったからだ。
ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の映画『捜索者』(1956)がつくられたのはこうした西部劇の変わり目で、映画制作の背景はアメリカのジャーナリスト、グレン・フランクルの労作『捜索者 西部劇の金字塔とアメリカ神話の創生』( 高見浩訳/新潮社)で詳細に述べられている。その概略は前回書いた(「インディアン」という言葉の使い方についても述べている)が、今回は「事実は小説(映画)より奇なり」という後日譚を紹介しよう。
西部劇『捜索者』からアメリカン・インディアンの歴史を考える(前編)
ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2018年1月公開の記事です。(一部改変)

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ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の西部劇のひとつに『捜索者』がある。原題は“The Searchers”で、インディアンにさらわれた幼い姪を捜索する武骨な男をジョン・ウェインが演じている。『理由なき反抗』や『ウエストサイド物語』のナタリー・ウッドが出演しているというだけの理由で高校生のときにテレビで見たのだが、肝心のウッドはインディアンの妻となった役でほんのすこししか出てこず、がっかりしたことを覚えている。
なぜいまこの映画の話をするかというと、アメリカのジャーナリスト、グレン・フランクルの『捜索者 西部劇の金字塔とアメリカ神話の創生』( 高見浩訳/新潮社)を読んだからだ。フランクルはこの1本の西部劇について、邦訳で500ページを超える大部の本を書いた。なにをこれほど語ることがあるのだろうかと、不思議に思ったのが本を手に取ったきっかけだ。
フランクルによると、映画『捜索者』は1956年に大型西部劇として鳴り物入りで公開されたものの、評価も興行成績も可もなく不可もなくという程度で、『駅馬車』や『アパッチ砦』『黄色いリボン』といったフォード西部劇の傑作と比べるとほとんど注目されなかった。
それが1960年代にジャン・リュック・ゴダールなどフランス・ヌーベルバーグの映画作家たちによって再発見され、マーティン・スコセッシ、スティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、ジョン・ミリアスといったアメリカの新世代の監督たちに熱烈に支持された。『スター・ウォーズ』『未知との遭遇』といった作品にも歴然とした影響が認められるが、『捜索者』を現代に蘇らせたのはなんといってもスコセッシの『タクシードライバー』だという。
暗い怒りを抱いてニューヨークの町を流すタクシー・ドライバー(ロバート・デニーロ)は、少女の娼婦(ジョディ・フォスター)を救うという妄想に駆られ“たった一人の戦争”を決行する。その狂気は、『捜索者』でウェインが演じたイーサン・エドワーズと共通するというのだ。
こうした再評価により近年では“『捜索者』現象”とでも呼ぶべきブームが起きていて、アメリカ映画協会が2008年に行なった「アメリカ映画の名作」西部劇部門で1位に輝き、2012年にイギリスの『サイト・アンド・サウンド』誌が行なった投票では総合7位に選出されている。もはや『捜索者』は、押しも押されもせぬジョン・フォード+ジョン・ウェインの最高傑作のひとつになったのだ。 続きを読む →
日本ではなぜ、安楽死を議論することすら許されないのか?(週刊プレイボーイ連載650)
イギリス議会下院は6月20日、終末期の成人が死を選ぶ権利を認める歴史的な法案を可決しました。それに先立つ5月27日にはフランス国民議会(下院)でも、終末期患者に厳格な条件のもとで致死量の薬の投与を認める「死への積極的援助」を導入する法案が賛成多数で可決しています。
フランスでは2022年9月にマクロン大統領が、人生の終え方について幅広く議論する市民会議の設立を発表。年齢や居住地、学歴、職種など社会構成を反映するように調整したうえで、電話番号による無作為抽出で184人の一般市民を選出し、毎週金曜日から日曜日の3日間の議論が9週間にわたって続けられました。
この市民会議はネットで中継されて大きな反響を呼び、賛成・反対の立場からさまざまな議論が交わされたすえに、賛成多数で積極的安楽死が支持されました。意見が分かれる重要な問題について、市民に徹底的に討論させるというのは、さすが「デモクラシー発祥の国」だけのことはあります。
ヨーロッパではオランダ、ベルギー、スイスなどの小国で積極的安楽死の導入が先行し、とりわけスイスは、国外居住者に対しても自殺ほう助の提供が認められているため、22年に91歳で安楽死した映画監督のジャン・リュック・ゴダールのように、自らの意思で人生を終えたいひとたちが世界中からやってきます。
ヨーロッパの大国で安楽死の議論がなかなか進まなかったのは、死の自己決定権を行使したいのならスイスの「デス・ツーリズム」を利用すればいいと考えられていたからでしょう。
しかしこれでは、経済的な理由や身体的障害などの事情で渡航が困難なひとたちから安楽死の権利を奪うことになってしまいます。この不平等(なぜゴダールに認められることが、自分には許されないのか)が、イギリスやフランスの安楽死法制化の背景にあります。
リベラルな社会では、「自分らしく生きる」ことが神聖かつ不可侵の価値とされます。成人年齢に達すれば、どのように生きるかは個人の選択に任せるべきで、その決定に家族や社会、国家が介入することは許されません。だとすれば、すべてのひとに「自分らしく死ぬ権利」が与えられるのは当然ということになります。
こうした安楽死容認の主張に対しては、ナチスの優生学を引き合いに出して、障害者など社会的弱者が「生きるに値しない生命」として、周囲の圧力で死を選ぶ状況に追い込まれるという定番の反論があります。これが「すべりやすい坂」で、オランダやベルギーでは認知症患者や未成年の安楽死も認められるようになっています。しかしこれは、優生学というよりも、死の自己決定権の拡張と理解すべきでしょう。
日本でも2010年に朝日新聞が死生観についての世論調査を行ない、74%が安楽死の法制化に賛成(反対は18%)という結果が出ています。ところがその後、政治家はこの問題に口をつぐみ、メディアも積極的に取り上げようとはしなくなります。
このようにして日本では、死の自己決定権を行使したいひとが、縊死や溺死、墜落死、二酸化炭素中毒死のような、むごたらしい死に方をする以外ない状況が続いているのです。
『週刊プレイボーイ』2025年7月14日発売号 禁・無断転載