ひとは自分の行動を合理的に説明できるか? 週刊プレイボーイ連載(425)

神奈川県の知的障がい者施設で入所者ら45人が襲われ、19人が刺殺されるという衝撃的な事件の裁判(横浜地裁)で、元職員(30歳)の被告に求刑どおり死刑が言い渡されました。

新型肺炎のニュースに隠れてしまったものの、この裁判はマスコミ各社によって大きく扱われました。その報道には、はっきりとした共通性があります。それは、「犯行の理由が解明されていない」です。

このような結論に至るには、当然のことながら、「正しく裁判すれば被告の動機がわかるはずだ」との前提があります。しかし、これはほんとうなのでしょうか。すなわち、「ひとは自分の行動を合理的に説明できるのか?」という問題でもあります。

ルール違反をした子どもに対して、親や教師は「なんでそんなことをしたの!?」と問い詰めます。ちゃんと説明できる子もいれば、できない子もいるでしょう。なんと答えていいかわからず黙り込んでしまう子どもは、いつまでも許されずに、居残りとか外出禁止の罰を受けるかもしれません。

誰もが経験したことで当たり前と思うかもしれませんが、これは「自分の行動を合理的に説明できる子ども」と「合理的に説明できない子ども」がいるということです。しかし、ある子どもは意図的にルール違反をし、別の子どもはよくわからずにルールを破っているとしたら、罰せられるのは「合理的な理由でルール違反した」子どもであるべきです。

こんな奇妙なことになるのは、「行動には意図があるはずだ」という最初の前提がまちがっているからです。子どもたちはたいした理由もなくルールを破り、それが見つかって怒られたときに、自分の行動を言語化(説明)できる子どもとできない子どもがいるだけなのです。

ひとは本能的に、理解できないものを恐れます。「なんでそんなことをしたの!?」は教育やしつけのためではなく、「あなたの行動を理解できるように説明して私を安心させなさい」という命令です。だからこそ、言外の意味を的確に把握し、大人が納得する説明ができる言語的知能の高い子どもが許されるのです。

大量殺人事件の犯人に対しても、世間は同じように「合理的な説明」を求めます。なぜなら、そのような異常な行動を理由もなくする人間がいるという不安に、ほとんどのひとは耐えられないから。

そのような強い圧力にさらされれば、加害者はなんとかして「説明」を考え出そうするでしょう。それと同時に、すべての人間は自分の行動を正当化したいという強固なバイアスをもっています。とりわけ今回のような取り返しのつかない事件を起こしたなら、それが間違っていたことを認めるのは自分の「生きている意味」を全否定することになってしまうので、正当化の誘因はさらに強いものになるでしょう。

そのように考えれば、裁判での被告の態度はきわめて「合理的」です。どれほど問い詰めたところで、ひとびとが納得するような合理的な理由などそもそもないのですから。

『週刊プレイボーイ』2020年3月30日発売号 禁・無断転載