自爆テロの中核には「信仰」がある 週刊プレイボーイ連載(237)

ベルギーの首都ブリュッセルの同時テロは、空港と地下鉄が標的となり34人が死亡、200人以上が負傷する大きな被害を出しました。直後にIS(イスラム国)が犯行声明を出し、実行犯がパリ同時多発テロとつながっていることも明らかになりました。

私たち日本人にとって、ISという異様な組織を理解する手がかりはオウム真理教です。一般市民を対象とする地下鉄サリン事件を実行したからだけではなく、ISとオウムには、原理主義的な宗教団体がテロ組織に変容していく共通点があります。

オウムは仏教系カルト教団ですが、日本の大多数の仏教徒はテロとはなんの関係もありません。「なにを当たり前のことを」と思うかもしれませんが、イスラーム系カルト組織であるISと一般のムスリムの関係もこれと同じであることを、私たちはおうおうに見失ってしまいます。

それと同時にオウム真理教が、仏教を学びたい真面目な若者たちを引きつけていたことも事実です。

釈迦(ゴータマ・シッダールタ)は2500年ほど前に悟りを説きましたが、仏教ではキリスト教やイスラームのような聖典は定めず、後世の解釈によって仏典が膨大に膨れ上がっていきました。そのなかでオリジナルにもっとも近いのは釈迦の言葉をパーリ語に翻訳したもので、上座部仏教(小乗仏教)としてスリランカやタイ、ミャンマーなどに伝わりました(南伝仏教)。それに対してサンスクリット語の大乗仏教は、釈迦の入滅から5~600年後の紀元前後に成立し、三蔵法師などによって漢字へと翻訳されたものが6世紀に日本に伝えられます(北伝仏教)。

ここまでは仏教史の常識ですが、だとすれば「ほんとうの釈迦の教え」にたどり着くにはパーリ語で上座部仏教の経典を学ばなくてはなりません。これがオウム真理教の「仏教原理主義」です。

いったん“仏教理解の最先端”を体験すると、日本の仏教はデタラメそのものでしかありません。出家した僧侶が妻帯・肉食・飲酒し、寺を子どもに世襲させるなどいうことは、小乗仏教はもちろん大乗仏教でもあり得ませんから、日本の仏教そのものが「破戒」なのです。

オウム事件のとき、メディアは教祖の空中浮遊などを競って取り上げ、そのバカバカしさを暴こうとしました。しかしこれでは、なぜそんな荒唐無稽な宗教に若者たちが引き寄せられるのかを説明できません。

日本の既成仏教は「あんなものが仏教であるはずはない」というばかりで、オウムの信者との対話を頑なに拒みました。その理由は、パーリ語も上座部仏教もまったく知らなかったからでしょう。

こうしてオウムの「仏教徒」たちは、日本の葬式仏教を徹底的にバカにし、教祖と自分たちを絶対化するようになります。それが社会に受け入れられないと、自分たちが「(フリーメーソンに操られる)日本国家」の被害者だと考えるようになり、破滅的なテロへと突き進んでいったのです。

テロ実行犯は社会からの脱落者かもしれませんが、組織の中核には「信仰」があります。武力によってISの領土を奪回できたとしても、「精神の領土」はずっと残りつづけるでしょう――残念なことですが。

『週刊プレイボーイ』2016年4月4日発売号
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