第3回 思考停止の「ハンコ原理主義」

「神は細部に宿る」という。ものごとの本質は些細な出来事のなかにある、という意味だろう。そこで今回は僕の体験した些細なトラブルの話をしよう。

クレジットカードの利用枠がいっぱいになったので、窓口で現金で精算した。するとカード会社から、「銀行の口座引落としを止めてほしい」との連絡があった。このままでは二重払いになって、返金手続きが面倒なのだという。

月末で銀行が混んでいたので、事情を説明して必要な書類をもらい、自宅で記入し、銀行印を捺した。翌日は、急な打合せが入っていつのまにか午後3時を回っていた。そこで次の日に支店を訪ねたのだが、書類の日付が1日ずれていることに気がついた。その部分を訂正し、順番を待って、預金通帳といっしょに窓口に提出した。

「今日は銀行印はお持ちですか?」と、銀行員。

「いえ、持ってません」と、僕。

「訂正箇所に銀行印がないと受け取れません」

「サインじゃダメですか? 運転免許証なら持ってますが」

「お客様。あいにくですが、それではお手続きできません」

僕は気が弱いのですごすごと引き上げ、自宅で日付欄に訂正印を捺し、その翌日、また支店まで出向いた。

順番待ちをしている間に、僕は考えた。いったいこれにどんな意味があるのだろう。

銀行印で本人確認するのは、他人が勝手に口座の資金を動かさないようにするためだ。でも僕は、自分の口座からお金が引落とされないようにしたいだけだ。仮に悪意のある第三者が僕になりすましているとして、なぜそんなことをするのだろう。

もちろん金額や口座番号が間違っていれば、銀行員が慎重になるのはわかる。だけど日付が1日ずれていることで、なにか致命的な事態が起こるのだろうか。そのうえ運転免許証で、僕が口座名義人本人だということは確認できるのだ。

なぜか誰も指摘しないけれど、僕はここで、日本の銀行の「ハンコ原理主義」が顧客に多大な不利益を与えていると主張したい。銀行印の慣習をやめれば、ハンコを取りにいちいち自宅まで戻らなくてもいいし、通帳とハンコを盗まれて大金を失うという悲劇もなくなる。

今では、スキャナとパソコンで印影からハンコを簡単に偽造できる。そのため銀行では、窓口での多額の現金の引出しには運転免許証などの提示を求めている。なんだ、だったら最初から免許証と自筆のサインにすればいいのに。

僕の知るかぎりでは、銀行取引にハンコを使っているのは世界広しといえでも日本だけだ。漢字文化圏の中国や韓国でも、サインと身分証明書で本人確認している。その方がずっと便利で安全だからだ。なぜ日本の銀行だけが、いまだに江戸時代の両替商みたいなことをやっているのだろうか――。

などと考えているうちに順番が来て、僕はぺこぺこと頭を下げて手続きしてもらったのだ。

橘玲の「不思議の国」探検 Vol.3:『日経ヴェリタス』2009年11月8日号掲載
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●商法の規定によれば、遺言や戸籍に関する届出など、法によって署名と押印の両方が定められているものを除き、署名もしくは記名捺印で法律上の意思表示を示すことができるとされています。by Wikipedia