第48回 「スイスの魔法」が消えた必然性 (橘玲の世界は損得勘定)

外国為替市場では1月15日、スイスフランが1日で前日比30%も高騰する“大事件”が起きた。円に例えれば1ドル=120円が翌日には1ドル=84円になるのだから、そのインパクトは想像を絶する。

スイス国立銀行は2011年、スイスフラン高に対抗して、外為市場で無制限にスイスフランを売りユーロを買う「上限制」を導入した。14年12月にはさらに、政策金利をマイナスにする“異次元”の金融政策にまで踏み込んだ。一連の措置は、理不尽な通貨高から自国経済を守るためだと説明された。

為替レートを固定したまま金利をマイナスまで引き下げると、いったい何が起きるのだろう。

前回は、「為替水準は各国の購買力(インフレ率)を同じにするように決まる」という話をした。この購買力平価説ではデフレの通貨は高くなり、インフレの通貨は安くなるが、これは為替が国境を越えたモノやサービスの交換比率であることを考えれば当たり前の話だ。

これと同じ理屈で、異なる通貨で金利に大きな開きがあると、低金利の通貨は値上がりし、高金利の通貨は値下がりする――この説明を聞いて、逆じゃないかと思ったひともいるだろう。金利を上げると「高金利預金」を求める投資家が殺到し、為替は上昇するとされているからだ。

もちろん、短期的には為替がこのような動きをすることはよくある。しかしこの状態がいつまでも続くと、ものすごくヘンなことが起こる。ここではその理由をマイナス金利で説明してみよう。

銀行がスイスフランをマイナス1%で調達できるなら、住宅ローン金利を0%にしてもじゅうぶん儲かる。このときユーロ建てのローン金利が3%なら、誰もそんな割の悪い条件でローンを組もうとは思わないだろう。

「外貨建てローンには為替リスクがある」との指摘もあるだろうが、スイスフランは中央銀行が為替レートの堅持を約束していた。経済学ではフリーランチ(ただ飯)はあり得ないが、ここでは「為替リスクなしに、ゼロ金利でマイホームが買える」“魔法”が成立している。

スイス中銀が今後もずっと為替介入を続けたなら、いずれはユーロ建てのすべての資金調達がスイスフランに置き換わることになる。こう考えれば、マイナス金利のまま為替レートを固定する、などという金融政策が維持できるはずはなかったのだ。

「長期的には、為替水準は異なる通貨の実質金利を同じにするように決まる」という考え方を「金利平衡説」と呼ぶ。スイスフランの高騰は、はからずも理論の正しさを証明した。

ギリシアや東欧の銀行は、マイナス金利のスイスフラン建て住宅ローンを大量に販売してきた。だが“ゼロ金利”でローンを組んだひとたちは、いまやユーロ安(スイスフラン高)で返済額が3割も増えてしまった。

彼らの家計が破綻すれば、金融機関は巨額の不良債権を抱え込むことになる。「ウマい話」はやはりどこにもなく、欧州はまたひとつ金融危機の火種を抱え込んだようだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.48:『日経ヴェリタス』2015年2月15日号掲載
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