第43回 北欧は福祉だけではない(橘玲の世界は損得勘定)

「君はスウェーデンははじめてかい。だったら最初に説明しておかなきゃならないことがあるんだ。この国では、タクシー料金は自由化されているんだよ」

フライトが遅れ、空港から高速バスでストックホルム中央駅に着いたのは午後8時前だった。ホテルに寄っていてはレストランの予約に間に合わなくなるので、スーツケースを引きずったまま駅を出ると、ちょうどタクシーが1台停まっていた。若い運転手がボンネットにもたれてスマートフォンをいじっている。

声をかけると、運転手は驚いた顔をして、いきなりスウェーデンのタクシー事情を講釈しはじめた。

「近距離はどれもメーター制だから、とくに気にする必要はない。でも長距離には固定料金とメーターの2種類があるんだ」

そういって後部座席の窓に張られた料金表を指さす。

「固定制のタクシーはゾーンによって運賃が決まっていて、それを顧客に提示しなきゃいけない。なんの表示もないのがメータータクシーだ。

たとえば君が空港までタクシーで行こうとするだろ。そのとき固定制のタクシーを使えば、会社によって料金は違うけど600クローネ(約9000円)くらいだ。それがメーター制だと3000クローネ(約4万5000円)や4000クローネ(約6万円)になるかもしれない。

でもこれはぼったくりじゃなくて、この国の法律ではメーターの金額を請求するのは合法で、乗客には支払義務があるんだよ。だから僕のいったことをちゃんと覚えておいて、長距離のタクシーでは必ずドアの料金表を見るんだよ」

あとで調べてみると、スウェーデンのタクシー事業は1990年に大胆な規制改革が行なわれ、参入自由化、営業地域の規制撤廃、営業時間規制の撤廃などに加えて運賃まで自由化された。

ストックホルム市民は駅から自宅までのルートでもっとも安いタクシー会社を予約しているから、流しのタクシーは使わない。駅前に停まっているタクシーに乗り込んでくるのは、私のようなお上りさんだけなのだ。

スウェーデンのタクシー自由化は今年で24年目になり、すっかり定着した。しかしその一方で、メータータクシーの運転手が事情を知らない観光客に高額の料金を請求するトラブルも起きている。こうした苦情が増えると規制強化の声があがるので、自由化を守りたいタクシー会社はネギを背負ったカモ(私のことだ)を見つけると運賃の説明をすることにしているのだ。

北欧諸国は福祉大国と思われているが、実は1980年代半ばから市場原理の活用に大きく舵を切った。その結果、アメリカですらやっていないタクシー業界の完全自由化という社会実験がスウェーデンで行なわれている。そして利用者も業界も、この規制緩和を支持しているのだ。

日本のタクシー業界は運賃値上げと台車制限を要求するばかりで、いつまでたっても不況から抜け出せない。海の外のさまざまな制度を比較検討してみれば、別の解決策が見つかるかもしれないのに。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.43:『日経ヴェリタス』2014年7月14日号掲載
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