第61回 日本の交通マナーにみる「民度」(橘玲の世界は損得勘定)

日本を訪れた中国人観光客が感銘を受けるのは車の運転マナーだという。いちばんの驚きは、歩行者が青信号で横断歩道を渡っているとき、日本では車が止まることだ。

なにを当たり前のことを、と思うのは中国に行ったことがないひとだろう。中国政府の努力にもかかわらず、彼の国ではいまだに歩行者より車が優先で、横断歩道を渡る歩行者に車が向かってくるのだ。

中国では、赤信号でも車が右折できる(中国は右側通行)。このルールはアメリカなどと同じだが、実態はまったく異なり、右折車が横断歩道に入ってくると歩行者は道を譲らなくてはならない。

さらに問題なのは道路の左側を歩いているときで、横断歩道の半ばを過ぎると、こんどは前方から青信号で右折する車が突っ込んでくる。それをようやくやり過ごすと、いきなり右後方からはげしくクラクションを鳴らされる。青信号で左折する車が歩行者めがけて突進してくるのだ。

歩行者用信号が青で横断歩道を渡っているのに、お前が悪いかのように扱われるのは、わかっていても正直腹が立つ。中国のひとたちもこれは同じで、安心して道を渡れる日本はものすごく快適なのだ。

ここまではよくある「すごいぞニッポン」の話だが、ヨーロッパからの旅行者にとっては話は逆になる。日本の自転車のマナーは、彼らの想像を絶するほどヒドいのだ。

ヨーロッパの自転車ブームの起点はオランダで、市民が通勤に使いはじめてから、エコで健康にもいい「クール」な乗り物になった。いまではたいていの国で自転車専用道が整備され、赤ん坊をベビーカーに乗せ、自転車で引いて車道を走るという、日本ではちょっと考えられない光景も見られるようになった。

ヨーロッパでは自転車はバイクなどと同じ扱いで、歩道を走れない代わりに、車道では車と完全に分離されている。自転車は(日本なら)道の左側を走り、赤信号では車と同じように止まる。日本の歩道では後方から猛スピードで自転車に追い越されてびっくりすることがよくあるが、その心配がないのはじつはものすごく快適なのだ。

ヨーロッパから日本に戻って「民度」のちがいを感じるのは、歩道を我が物顔で走る自転車だけではない。驚くのは横断歩道を渡っているとき、車道を走る自転車が、車用信号が赤でもかまわず突っ込んでくることだ。日本では自転車は、歩道でも車道でもあらゆる交通ルールを超越した存在になっているのだ。

自転車のマナーの悪さはこれまでも繰り返し問題になってきたが、一向に改善される気配がない。日本の道路事情では自転車専用レーンをつくるのが困難で、自治体が二の足を踏んでいるということもあるだろう。だがここでなんとかしないと、日本の「民度」はいつまでたっても低いままだ。

そのうち中国に自転車専用レーンができて、中国からの旅行者が日本人のマナーの悪さに驚く日がくるかもしれない。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.61:『日経ヴェリタス』2016年8月28日号掲載
禁・無断転載

尖閣への領海侵犯は「魚が獲れすぎた」ってホント? 週刊プレイボーイ連載(256)

8月に入って尖閣諸島周辺に中国の漁船が集まりはじめ、それを監視する中国海警局の公船が頻繁に日本の領海に侵入して両国関係が緊張しています。外務省の度重なる抗議に対し、中国側は「魚が獲れすぎて漁船が集まった」と説明しているようですが、日本では南シナ海の領有権問題で中国側の主張を否定する仲裁裁判所の判決が出たことを受けて、東シナ海でも領土拡張の圧力を強めているとの見方が支配的です。

でもここではちょっと頭を冷やして、「魚が獲れすぎた」という子供だましのような中国の言い分をちゃんと考えてみましょう。なぜなら、以前にも同じようなことがあったからです。

2014年11月、習近平政権の威信をかけたAPEC首脳会議が北京で開催され、安倍首相とのはじめての会談も予定されていました。ここで中国は、アジアの国々とともに「歴史問題」で日本の道義的責任を問う構えでしたが、大きな障害が立ちふさがります。小笠原諸島周辺に赤サンゴを密漁する中国漁船が200隻以上集まり、日本で大問題になっていたのです。

他人の庭に土足で踏み込むようなことをしておいて、エラそうな説教ができないことは中国政府にもわかっていました。しかし「独裁」的な権力を掌握したとされる習政権は、この大舞台までに密漁船を撤収させることができなかったのです。

これだけでは不足というのなら、次のような出来事もありました。

14年9月、習近平はインドを訪問し第18代インド首相に就任したナレンドラ・モディとの初会談に臨みますが、その数日前、中印国境に配備されていた中国軍がいきなりカシミール州ラダック地方に越境したため、「友好と協力」を呼びかけた習近平の面子は丸つぶれになりました。

実はこれははじめてのことではなく、13年5月、李克強首相がインドを訪問したときも中国軍はインド領に越境し、21日間居座っています。これは首相に就任したばかりの李克強にとって初の重要な外遊でしたが、やはり自国の軍事行動によって面子をつぶされたのです。

日本では、中国はひとつの「人格」で、確固とした国家意思をもって尖閣を奪取するための策謀を練っているのだと考えられていますが、これらの出来事からうかがえるのは、習近平の権力基盤がじつは脆弱で、国内の熾烈な権力争いが領土問題を複雑化させているとの構図です。

戦前の日本陸軍は、天皇の統帥権の名の下に満州事変や日華事変を引き起こしますが、いったん既成事実ができあがると、「権益を守れ」というナショナリズムの高まりの中で政府は軍の暴走を追認するほかありませんでした。「日本は天皇の下、政府・軍・国民が一丸となってアジアを侵略した」などといえば、歴史が大好きな保守派のひとたちから罵詈雑言を浴びることでしょう。しかし不思議なことに、同じ保守派の論客が中国共産党、人民解放軍、省政府などが一枚岩であるかのように「中国」を批判しています。

誤解のないようにいっておきますが、これは中国を擁護しているのではありません。日本の昭和史を振り返ればわかるように、「確固とした国家意思」がないほうがはるかに恐ろしいのです。

『週刊プレイボーイ』2016年8月29日発売号
禁・無断転載

タブーだらけの事件でマスメディアが探してきた奇妙な”犯人” 週刊プレイボーイ連載(255)

神奈川県相模原市の福祉施設で19人が刺殺された事件は日本じゅうに衝撃を与えると同時に、報道・ジャーナリズムの限界をも示しました。なぜならこの事件が、「言ってはいけない」ことばかりで構成されているからです。

事件を起こした26歳の元職員は、衆議院議長公邸を訪れて重度の障がい者の「安楽死」を求める手紙を渡すなどの異常な行動で精神科病院に措置入院されたあと、「他人に危害を加える恐れがなくなった」との医師の診断で、家族との同居を条件に3月に退院を許可されていました。

しかし、容疑者の精神疾患を強調した報道は、精神障がい者への偏見を煽るとして強く自制を求められます。本人の意思に反して強制的に病院へ収容する措置入院は人権侵害と背中合わせで、退院を許可した医師への批判は「おかしな奴はみんな病院に入れておけ」ということになりかねません。

報道によれば容疑者は両親と別居したまま生活保護を受給しており、これは退院時の条件に反するほか、父親は公務員で経済的には子どもを援助できない理由はありません。とはいえ、別居を余儀なくされたのは子どもの異常行動が原因でしょうから安易に親の責任にすることはできず、さらには生活保護の問題を追及すると他の受給者への偏見を煽ることにもなってしまいます。

この事件の特異な点は、被害者の顔写真はもちろん氏名すら公表されないことです。これはもちろん、本人が特定されることで障がい者やその家族への差別や偏見が助長されるおそれがあるからでしょう。

容疑者が4年前に施設に就職したときは「明るく意欲がある」と思われており、その後急速に、入居者への暴言や暴行を繰り返すようになったとされます。この極端な性格の変貌をジャーナリズムの手法で検証しようとすれば、彼が施設でどのような体験をしたのかの取材が不可欠でしょうが、こうした報道もいっさいできません。

以前、リベラルな新聞社の若い記者から、「“偏向”の理由はイデオロギーではなく、わかりやすさなんです」という話を聞きました。デスクは「むずかしい話は読者が読まないからとにかくシンプルにしろ」と要求しますが、複雑な事情を限られた行数でわかりやすく書くことのは困難です。こうしてリベラル系は「反安倍」、保守派は「反日叩き」の善悪二元論になっていくというのです。

その意味で相模原の事件は、さまざまな制約から単純な善悪二元論があらかじめ封じられており、そうかといって事件の重大性から報じないわけにもいきません。こうしてマスメディアは、きわめて奇妙な「犯人」を探し出してきました。それは大麻です。

容疑者が大麻を使用していたことが事件と関係あるかのように大きく報じられていますが、これにはなんの医学的な根拠もありません。オランダは1970年代から大麻が合法化されており、近年はアメリカ各州が続々と大麻合法化に踏み切っています。「大麻精神病」が凶悪犯罪を引き起こすのなら、とっくに海外で大問題になっているでしょう。

タブーを避けながらわかりやすさに固執すると、結果としてデタラメな報道が垂れ流されることになってしまうのです。

『週刊プレイボーイ』2016年8月22日発売号
禁・無断転載