ヘビを差別しない「明るい社会」? 週刊プレイボーイ連載(264)

ヘビを気持ち悪いと恐れるのは生得的な感情です。猛毒を持つヘビに安易に近づいた個体が生命を落とし、警戒した個体が生き延びて子孫を残したことで、ヘビへの強い嫌悪感が「選択」されました。これが進化論の標準的な説明で、ヒトだけでなくチンパンジーの子どもも同じようにヘビを恐れることがわかっています。長大な進化の時間軸のなかで一部のヘビが毒を持つようになり、それに対して他の生き物が、長くてにょろにょろ動くものを嫌悪するようになることで対抗しました。私たちはこうした「共進化」の末裔なのです。

ところでここで、「イヌやネコをかわいがってヘビを嫌うのはヘビに対する差別だ」と主張するヘビ愛好家が現われたとしましょう。すべての生き物は生まれながらにして平等なのだから、長くてにょろにょろ動くというだけで、毒を持たない“善良な”ヘビまで嫌うのは「生き物権」の侵害だというのです。

「生き物権」を普遍的な自然権とするならば、ヒトを害さないヘビを不当に貶めてはならないとの主張はどこも間違ってはいません。ヘビの権利を擁護する活動家は、法によってヘビへの差別を禁じると同時に、教育によって差別感情を矯正するよう求めるでしょう。社会の多数派がこの「リベラル」な政治的立場を受け入れれば、小学校ですべての生徒に「ヘビを差別しない明るい社会」を目指す授業が行なわれるようになります。

しつけや教育によってヘビへの気持ち悪さがなくなるのなら、これでなんの問題もありません。しかし困ったことに、ヘビへの嫌悪感は遺伝子に埋め込まれたプログラムなので、どれほど教育されても気持ち悪い感じは消えません。ところがヘビの権利を擁護する社会ではその嫌悪感は口にしてはならないと抑圧され、さもなくば「差別主義者」のレッテルを貼られて社会的に葬り去られてしまうのです。

「ヘビ差別」をなくそうとする教育的努力は、必然的に個人の内面に介入します。子どもたちは「ヘビを差別することは道徳的に許されない」と教えられますが、ヘビを見ると気持ち悪さを抑えることができません。この矛盾を解消しようとすれば、自分を「不道徳」な存在として断罪するか、「ヘビを差別する自分は正しい」と開き直るか、どちらかしかありません。

誰も自分のことを嫌いになることはできませんから、自己批判はとても苦しい作業です。そこで自分を「不道徳」と断罪したひとは、やがてその感情を他者に投影し、あらゆる「差別」を血眼になって探し、相手を批判することで自身の「正義」を証明しようとするでしょう。「差別する自分は正しい」と開き直ったひとはそれを「偽善」と罵り、自己正当化に使えるありとあらゆる理屈(たとえば陰謀論)にしがみつくかもしれません。

この問題の本質はどこにあるのでしょう? それは現代社会の価値観と、進化の過程でつくられた(無意識の)感情が常に整合的であるとはかぎらないことです。解決困難な社会問題の多くはこの両者の衝突から生じますが、ひとびとの内面に道徳的に介入すること(善意による説教)はなんの解決にもならず、かえって事態を悪化させるだけです。

さて、この寓話はなんのことをいっているのでしょうか。それはみなさん一人ひとりが考えてみてください。

『週刊プレイボーイ』2016年10月31日発売号
禁・無断転載

依存症になるのは理由がある 週刊プレイボーイ連載(263)

ドーパミンはもっとも有名な脳内の神経伝達物質のひとつですが、その発見は偶然でした。

1953年にモントリオールの若い2人の科学者が恐怖反応を再現しようとラットの脳に電極を埋め込んだのですが、ラットは電気ショックを嫌がって逃げ回るどころか、もういちど同じ刺激を欲しているかのように、何度も電気ショックを受けた場所に戻ってしまいます。ラットにとって幸運(もしくは不幸)だったのは、科学者の実験スキルが未熟で、電極を間違って側座核と呼ばれる脳の古い部位に埋め込んでしまったことです。ここは現在では「報酬中枢」として知られており、刺激によってドーパミンが放出されると、ラットは同じ刺激を何度も欲するようになるのです。

その後の実験で、ドーパミンの「快感」がとてつもなく強烈なことが明らかになります。ラットが自分でレバーを押して側座核を刺激できるようにすると、食べることも、水を飲むこともせず、交尾をする機会にも興味を示さずに、1時間(3600秒)に2000回近くもひたすらレバーを押しつづけました。また電流を流した網の両端にレバーを設置し、それぞれのレバーで交互に刺激が得られるようにすると、ラットたちはひるむことなく電流の通った網の上を行き来し、足が火傷で真っ黒になって動けなくなるまでやめようとしなかったのです。

こうした結果を見て1960年代に、同じことを人間の脳で実験しようとする研究者が現われました。現在の人権感覚では考えられませんが、当時は、重度の精神病患者の前頭葉を切断して廃人同然にするロボトミー手術が世界じゅうの病院で当たり前のように行なわれていたのです。

実験対象となったのは長年にわたりひどい抑うつに苦しむ若い男性でしたが、側座核に電流が流れたとたん、「気持ちがよくて、暖かい感じ」がし、自慰や性交をしたいという欲望を感じました。そしてラットと同様に、3時間のセッションで1500回以上も電極のスイッチを押したのです。

研究者たちはドーパミンが抑うつの治療に使えるのではないかと期待しましたが、すぐに不都合な事実が明らかになります。憂うつな気分を晴らす効果は一時的で、すぐに消えてしまうのです。

ドーパミンが生じさせるのは快感ではなく、きわめて強い「快感の予感」でした。即座核を刺激すると、被験者は「頻繁に、ときには気が狂ったように」ボタンを押しますが、そのときの気分を尋ねると、「もうすこしで満足感が得られそうで得られず、焦るばかりですこしも楽しくなかった」とこたえるのです。

報酬中枢の役割は、「あらゆるリスクを冒しても欲しいものを即座に手に入れたい」と思わせることにあります。ヒトが進化の大半をすごした旧石器時代には、食べ物を獲得したり性交をする機会はきわめてまれだったので、生き延びて子孫を残すには強い衝動で死に物狂いにさせる必要があったのです。

ところがゆたかな時代になると、私たちは食べ物、セックス、買い物からゲームまで、ありとあらゆる「報酬の機会」に囲まれて暮らすようになりました。これがさまざまな依存症を引き起こし、人生を困難なものにする理由になっているのです。

参考:エレーヌ ・フォックス『脳科学は人格を変えられるか?』

『週刊プレイボーイ』2016年10月24日発売号
禁・無断転載

二重国籍の日本人はたくさんいる 週刊プレイボーイ連載(262)

民進党の代表選で浮上した蓮舫氏の国籍問題では、「日本国籍と外国籍を共に保有するのは言語道断」という話になっています。国会議員(それも日本国首相を目指す野党第一党の党首)ならそのとおりでしょうが、実は「国籍」の実態はずっと複雑です。

第二次世界大戦後、失業問題の解決のため南米などに多くの移民が送り出されましたが、第一世代(日本生まれの両親と子どもたち)の多くは日本国籍を保持したままで現地の国籍は取得していません。その理由は日本が二重国籍を認めていないからで、国籍法11条に「日本国民は、自己の志望によつて外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う」とあるように、現地の国籍を取得すると(法的には)日本国籍を喪失してしまうのです。

移民第一世代が「日系人」ではなく「日本人」でも、彼らの子どもの世代になると事情が変わります。日本の国籍法は「血統主義」で、日本人の父親もしくは母親から生まれた子どもが日本国民になりますが、アメリカのような「出生地主義」では国内で生まれた子どもに自動的に国籍が与えられます。しかしこれでは、出生によって外国籍を取得した日本人の子どもが日本国籍を持てなくなってしまうので、国籍を留保する届出をすることで、外国籍と日本国籍の両方を持つことができるようになっています。

国籍法では、22歳までにいずれかの国籍を選択して二重国籍を解消することになっています。しかし日本国籍を選択し、外国の国籍を放棄する宣言をしても、「選択の宣言をした日本国民は、外国の国籍の離脱に努めなければならない」との努力義務があるだけで、外国籍を離脱しないと日本国籍を失うわけではありません。出生地主義国のなかでもフィリピンなどは、国籍を放棄する手続きそのものがありません。このため外国に暮らす日本人の二世、三世のなかには、成人後も二重国籍のままというケースは少なくないのです。

外国に住む日本人/日系人が二重国籍になるのは、新興国よりも日本のパスポートの方がはるかに旅行の自由度が高い一方で、現地の国籍を持つことで税金や社会保障などで有利な扱いを受けられるからです。

現地の日本大使館もこうした事情はわかっていますが、国籍法の趣旨に則って外国籍の離脱を求めるようなことはしていません。大使館の重要な役割のひとつに現地の日本人/日系人社会との親睦を深めることがありますが、「外国籍を捨てろ」と迫れば強い反発を受け、日本国籍を放棄させれば現地の日本人社会を破壊するだけで、なにひとついいことはないのです。

多くの日本人は、日本国内で日本人の両親から生まれていますから、「国籍はひとつ」という原則を当たり前のように受け入れています。しかしひとたび周縁(海外)に目をやれば、日本人の二重国籍は珍しいことではないのです。

「国籍」は特別なものではなく、国際社会においてどの国に所属するかのたんなる指標に過ぎません。しかし「中心」しか知らないと、複数の国籍を使い分けるのが当たり前という「周縁」の実態が見えなくなってしまうようです。

『週刊プレイボーイ』2016年10月17日発売号
禁・無断転載