第64回 不気味なニュースを避けるワケ(橘玲の世界は損得勘定)

来年度予算案の編成が混沌としている。子育てや教育、雇用などで求められている政策は多いが、消費税増税の再延期で財源がなくなり、さらには税収が予想より落ち込んで、逆に予算の減額が必要になったからだ。

年金制度改革では、物価が上がっても賃金が下がった場合、現在は据え置かれている年金額が賃金に合わせて減額されることになった。野党はこれによって、将来の年金が最大3割減になると批判している。

さらに医療費の膨張を抑えるために、一定以上の収入のある高齢者の自己負担を現役世代並みにすると同時に、厚生年金保険料を毎年のように引き上げて、保険料をとりやすいサラリーマンの家計が圧迫されている。

いずれも最近の出来事だが、こうやって並べても「だからなに?」と思うだけかもしれない。なぜなら、これが日本社会の構造的な問題から生じていることをみんな知っているからだ。それはもちろん、少子高齢化だ。

年金も健康保険も、日本の社会保障制度は現役世代が引退世代を支える仕組みでつくられている。若者が多く人口がピラミッド型ならこれでうまくいくが、支えなければならない高齢者が増えてくればいずれは破綻する。

小学生でもわかる理屈で、何十年も前から指摘されてきたが、政治家も官僚も「100年安心」という空虚な寝言を唱えるばかりで、まともな改革はなにひとつできなかった。

さらに影響が大きいのは、国民の寿命が大幅に伸びていることだ。もともと日本の年金制度は、60歳で引退してから5年間の余生を賄えるように設計されていた。

ところが人生100年が珍しくなくなって、制度が土台から崩壊してしまった。20歳から60歳まで40年働いて、その間に積立てたお金で100歳までの40年を生活できるか考えれば、その答えは小学生だってわかるだろう。

イギリスの経済学者2人が書いた『ライフシフト』(東洋経済新報社)で、高齢化時代の資金計画が試算されている。それによると、毎年所得の10%を貯蓄して(けっこう大変だ)、老後の生活資金を最終所得の50%確保しようとするなら(かなりギリギリの生活だ)、平均寿命85歳でも70代前半まで働きつづけなくてはならない。平均寿命が100歳になれば条件はさらに厳しく、80代まで働きつづけるか、それが無理なら引退時の所得の30%という貧困生活に耐えるしかない。

人生の最後をホームレスで終わりたくなければ、生涯現役(できれば生涯共働き)以外の人生設計はなく、定年のある働き方はすでに破綻している。ここまでは理屈として受け入れたとしても、日本のサラリーマンには大きな困難がある。

ひとつは、会社勤めを「苦役」と考えていること。これで定年制が廃止されれば、人生が「無期懲役」になってしまう。そしてもうひとつは、80歳までいったいなんの仕事をすればいいかわからないことだ。

年金や医療の不気味なニュースに見て見ぬふりをつづけるのは、この問いと向き合いたくないからなのだろう、たぶん。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.64:『日経ヴェリタス』2016年12月18日号掲載
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PS これが本年最後の記事になります。よいお年をお迎えください。

著作権者はクレーマー? 週刊プレイボーイ連載(271)

プロ野球球団を保有するインターネットの大手企業が、運用していたキュレーションサイトを一斉に閉鎖したことが大きな波紋を呼んでいます。キュレーションというのは特定のテーマの情報を記事形式にまとめることで、検索サイトで上位に表示されると多くのアクセスを集めることができます。

最初に問題になったのは医療系のキュレーションサイトで、広告収入を稼ぐために信憑性の欠ける情報が大量に掲載されているとの指摘から始まり、ユーザーの投稿とされていた記事が実はライターに謝礼を払って書かせたもので、盗用を隠すためのマニュアルまでつくっていたことがわかって大炎上を起こしたのです。

事件の経過はすでに詳細に報じられていますが、外部ライター向けの「記事作成マニュアル」には「参考サイトの文章を、事実や必要な情報を残して独自表現で書き換えるコツ」や「参考サイトに類似しない本文作成のコツ」などの項目があり、「中見出しごとに複数サイトを参考にして複数意見を寄せ集めれば”どこを参考にしたかすぐ分かる”状態ではなくなり、独自性の高い記事になります」とまで書かれているとのことですから、これでは言い逃れの余地はありません。一部上場の大手企業が組織的な記事の盗用で高収益をあげていたという、前代未聞の不祥事です。

しかし事件の経緯を見ていると、疑問もわいてきます。ふつう違法なビジネスはその行為を隠そうとするものですが、この件ではネット上で大量に集めたライターにマニュアルを配布するなど、あまりに無防備なのです。

そう考えていて、このマニュアルがなにに似ているか気がつきました。それは「クレーマー対策」です。この会社では、著作権者は面倒くさいクレーマーと同じ扱いをされているのです。だからこそライターに、「どうすればクレームを避けられるか」というマニュアルを堂々と提供したのでしょう。

こんなことがなぜ起きるかというと、「ネットの常識は書籍のようなオールドメディアとはちがう」と考えているからです。そこには「ネットに公開されたもの」と「公開されていないもの」という明快な分割線があり、「公開されていないもの」は著作権法で保護されますが、「公開されたもの」は“公共財”なので、著作権を強く主張することは「クレーム」と見なされるのです。

この価値観によれば、単純なコピペは違法ですが、文章を多少書き換えるなどの“配慮”をすればそれで十分ということになります。ネット上の“公共財”を自由に利用することはネチズン(ネット市民)の基本的な権利で、それが嫌ならコンテンツをネットに公開しなければいいのです。

大手企業まで「組織的盗用」に手を染めたということは、いまやこれがネット世界の常識であることを示しています。しかしいうまでもなく、リアルの世界では明らかな違法行為です。

今回の事件を受け、同様の手法でビジネスを行なっていた大手各社は記事に不正がないかすべてチェックすると表明していますが、そもそも取材をいっさいしていないのですから、掲載できるものはほとんどなくなってしまいます。そして、「自由」を自分の都合のいいように解釈するとどのような結末が待っているかの、よい教訓を残すことになるでしょう。

参考:BuzzFeed「DeNAの「WELQ」はどうやって問題記事を大量生産したか」

『週刊プレイボーイ』2016年12月19日発売号
禁・無断転載

「いじめ防止対策」すればいじめが増える? 週刊プレイボーイ連載(270)

いじめがあいかわらず、大きな社会問題になっています。最近も文科省の有識者会議が、「自殺予防、いじめへの対応を最優先の事項に位置付ける」との提言をまとめ、「いじめを小さな段階で幅広く把握するため」いじめの認知件数が少ない都道府県への指導を求めました。

いじめ防止対策推進法は子どもが「心身の苦痛を感じているもの」すべてをいじめと定義するのですが、報道によれば、2014年調査で最多の京都府と最少の佐賀県のあいだに約30倍の開きがあったのだそうです。これは「佐賀県はいじめが少ない」ということではなく、「教師が真剣にいじめと向き合っていない」ということのようです。

しかしそうすると、次のような疑問が湧いてきます。

いじめ認知件数最多の京都府は、小さな段階でいじめの芽がつみとられるのですから、子どもたちはいじめのない学校生活をのびのびと送っているはずです。それに対して佐賀県では、教師と学校の怠慢によって弱肉強食の文化が学校に蔓延し、いじめ自殺が相次いでいることになります。しかし不思議なことに、そんな話は聞いたことがありません。だったらこの政策提言にエビデンス(証拠)はあるのでしょうか。

いじめ対策への違和感は、それが「教師がきびしく指導すれば、子どもは素直に従うはずだ」という貧しい人間観にもとづいていることです。そういう自分は、子ども時代に、なんでも大人にいわれたとおりにしていたのでしょうか。――そんな魂の抜けたようなよい子が“有識者”になるのかもしれませんが。

しかし誰もが知っているように、人間はもっと複雑です。

禁煙を促すために、タバコのパッケージに健康への害を明示することが各国で義務づけられています。これはどこから見てもよい政策に思えますが、心理学の研究者から不都合なデータが出てきました。喫煙者をさらに減らそうと腫瘍や遺体などどぎつい画像をパッケージに載せたところ、逆に喫煙者が増えてしまったというのです。

なぜこんな奇妙なことが起きるのでしょうか。それは次のように説明できます。

喫煙者がタバコを吸いたくなるのは、ストレスを感じたときです。そのため彼らは、強い禁煙メッセージ(このままだと肺がんで死ぬことになる)を受け取ると、その不安を打ち消すためにますますタバコを吸いたくなってしまうのです。

「よいことが悪い結果をもたらす」という不都合な事例は、ほかにいくつも見つかっています。たとえば健康増進のため、マクドナルドがヘルシーなサラダをメニューに加えたところ(健康に悪い)ビッグマックの売上が驚異的に伸びました。

消費者は、サラダを注文したことでビッグマックの高カロリーが帳消しになると誤解しただけではありません。メニューにヘルシーなサラダがあると知っただけでも、目標を達成したような満足感を覚え、いそいそとビッグマックを注文したのです。

だとすれば、文科省のいじめ調査も逆効果になる可能性があります。

「対策」の結果で、学校でものすごい数のいじめが行なわれていることが判明したとしましょう。するとそれを見た子どもは、みんながやっているのだから、自分もいじめていいと思うかもしれないのです。

『週刊プレイボーイ』2016年12月12日発売号
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