専業主婦は2億円をドブに捨てている

11月16日発売の新刊『専業主婦は2億円損をする』のプロローグを、出版社の許可を得て掲載します。

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あなたは「専業主婦」にどんなイメージをもっているでしょうか。

「なりたい!」「あこがれる」「つまらなそう」「楽じゃない?」なんてこたえが返ってきそうです。2016年の調査では、「将来は主婦になりたい」とこたえた若い女性は10人のうち3人もいました。

でも、こんな話を聞いたらどう思うでしょう?

1  専業主婦はお金がない
2  専業主婦は自由がない
3  専業主婦は自己実現できない
4  専業主婦はカッコ悪い
5  専業主婦になりたい女子は賢い男子に選ばれない
6  専業主婦には“愛”がない
7  専業主婦の子育ては報われない
8  専業主婦は幸福になれない
9  専業主婦は最貧困のリスクが高い
10 ぜんぶまとめると、専業主婦にはなにひとついいことがない

この本は、「なんでそんなことになるの?」と興味をもったあなたのために書かれています。

なぜ、専業主婦にはお金がないのか? それは、2億円をドブに捨てているからです。

これは、ものすごく単純な話です。

大学を出た女性が60歳まではたらいたとして、平均的な収入の合計は2億1800万円です(男性は2億6600万円)。これは、退職金は勘定に入っていません。

それにもかかわらず、日本でははたらく女性10人のうち、結婚後も仕事をつづけるひとは7人。出産をきっかけに退職するひとが3人もいます。10人のうち6人は専業主婦になって、40年かけて2億円になる「お金持ちチケット」をぽいと捨ててしまうのです。

「専業主婦になりたい女子は賢い男子に選ばれない」というところで、「なんで!」と思ったひともいるでしょう。日本では、バリバリはたらいてキャリアアップしていく女性(バリキャリ)よりも、男性を立てて家庭を守る「男尊女子(©酒井順子)」のほうがずっとモテるとされているからです。

たしかにそういうこともあるでしょうが、でも、男と女を逆にして考えてみてください。あなたが賢い男の子だとしたら、2億円の「お金持ちチケット」をもっている女の子と、それを捨ててしまった女の子の、どちらをパートナーに選ぼうとするでしょうか。2人でちからを合わせてはたらけば生涯年収は5億円にも6億円にもなるというのに……。

「もっともらしいこといっているけど、みんな、専業主婦になりたくてなってるんじゃない!」というひともいるかもしれません。

子どもを育てながらはたらこうとすると、いろんな苦労があることはたしかです。非婚化や少子化というのは、日本の社会が「結婚して子どもを産んでもロクなことがない」という強烈なメッセージを、若い女性に送っているということです。これはとてもむずかしい問題ですが、でもそれを理由に専業主婦になったところで、問題はなにひとつ解決しません。

理想の社会などどこにもありません。ここで提案しているのは、世の中がまちがっているということを前提としたうえで、どうすればあなたが幸せになれるか、ということです。

少子化と人口減のため日本経済は空前の人手不足になっていて、これからますます深刻化していきます。超高齢社会とは、高齢者の数が(ものすごく)増えて、若者の数が(ものすごく)少ない社会です。「若くてはたらける」女の子の価値はどんどん上がっていくのです。

ここに、「幸福な人生」を手に入れる秘密が隠されています。それは、「自由に生きることを大切にすれば、すべてではないとしても、かなりの問題は解決できる」ということです。これから社会に出て行く女の子にも、キャリアを目指してはたらきはじめた女性にも、子どもが生まれて仕事をつづけようか悩んでいるひとにも、そして(たぶん)専業主婦にも、ここに書いてあることはほぼほぼ役に立つはずです。

この本を手に取った方のなかには、いままさに会社を辞めて専業主婦になろうと考えているひとがいるかもしれません。わたしがいいたいのは、会社を辞めても仕事をやめるな、ということです。これからの長い人生を考えれば、いまのがんばりはかならずむくわれます。

日本ではいまだに、「男は外ではたらき、女は家を守る」という“分業”が主流ですが、このような時代遅れの生き方を選択すると、40歳を過ぎて夫は会社、妻は家庭という“檻”に閉じ込められてしまいます。

家庭生活に満足している女性の割合を国際比較すると、共働きが当たり前のアメリカでは67%、イギリスでは72%の女性が「満足」とこたえているのに、日本はたった46%です。若い女の子の多くが主婦に憧れ、実際に専業主婦になっているにもかかわらず、日本の女性の幸福度はものすごく低いのです。

なぜこんなことになるのか、これからその理由を説明していきましょう。

なお、この本で書いたことは行動経済学、進化心理学、脳科学など、近年のさまざまな研究成果にもとづいていますが、煩瑣になるので、いちいちデータを示したり註をつけたりはしていません。その代わり、巻末により詳しく勉強したいひとのための本を紹介しているので役立ててださい。

不倫疑惑の議員の当選を認めないひとと、選挙結果を認めないひと 週刊プレイボーイ連載(312)

総選挙が終わってから、暗い気分になる話題がつづいています。

ひとつは、不倫疑惑によって民進党を離党した女性議員の当選に対して、「無効票が1万票もあるのに834票差で当選したのはおかしい」として、「選挙をやり直せ」という電話が選挙管理委員会に大量にかかっていることです。なかには2時間半も抗議するものもあるとのことで、ここまでくると常軌を逸しています。

もちろん選管は「開票は公正に行なわれ不正はあり得ない」と述べており、抗議になんの根拠もありません。アメリカでは「ヒラリー・クリントンがかかわる小児性愛者の巣窟」とのフェイクニュースをネットに書かれたピザ店に銃をもった男が押し入り、発砲するという事件が衝撃を与えましたが、日本の民度もアメリカと変わりません。

もうひとつは、自公の与党で3分の2を獲得した選挙結果に対して、「総理の解散権の乱用」だとして、「こんな選挙は認めない」と主張するひとたちがいることです。「憲法で解散権を制限すべきだ」というのは今回の選挙が決まってから出てきた話で、それ以前にこんな改憲論は聞いたことがありません。これでは「安倍政権が勝つような選挙はするな」というのと同じで、かりに野党が政権をとるようなことがあれば自分に不利な“改憲”はすぐに忘れることでしょう。「出口調査では安倍政権を支持しないという回答が多かった」との声もありますが、これだと「選挙などせずに世論調査で政治を決めればいい」ということになってしまいます。

そのなかでもいちばんがっかりしたのは、“リベラル”な新聞が「共闘実現していたら」として、各選挙区の野党候補の得票数を単純合算し、希望の党から共産党までが共闘していれば63選挙区で勝敗が逆転したとの試算を載せていたことです。民進党が分裂したのは共産党との共闘を頑強に拒否する保守系議員がいたからで、右から左までごちゃまぜになった異様な政治組織に有権者が同じ投票をする根拠もありませんが、そんな事実をすべてなかったことにして空想(というか妄想)をわざわざ記事にするのでは“フェイクニュース”といわれても仕方ありません。

「与党圧勝」という有権者の判断を当然と思うなら、女性議員を当選させた有権者の“良識”を認めなければなりません。政治家は公職ですから「不倫」を批判されるのはしかたないとしても、選挙で当選したということは、政治家としての将来に期待する多くの有権者と強固な支援者がいたということです。これによって一定の責任を果たしたとわたしは考えますが、これに同意するなら選挙結果も有権者の判断として尊重すべきでしょう。

これは子どもでもわかるかんたんな理屈ですが、不倫疑惑の議員の当選を認めないひとと、安倍政権を「独裁」と批判して「こんな選挙は認めない」というひとはこのダブルスタンダードに気づかず、自らを“善”、相手を“悪”としてあいかわらずはげしく罵り合っています。

彼らはじつは、ものすごくよく似ています。冷静になってみれば、鏡には自分の醜い姿が映っていることに気づくのに……。

あっ、だからこのひとたちは冷静な議論を拒絶して、いつも怒っているんですね。

『週刊プレイボーイ』2017年11月6日発売号 禁・無断転載

日本は世界でもっとも格差の小さな社会? 週刊プレイボーイ連載(311)

なんのためにやったのかよくわからない総選挙の結果は、事前の予測どおり与党が安定多数を確保し、いささか賞味期限の切れかけた安倍政権で2020年の東京オリンピックを迎えることになりそうです。変化があったとすれば民進党(衆院)が分裂し、小池東京都知事が率いる希望の党が失速、立憲民主党が大きく票を伸ばしたことでしょうか。

今回の選挙で明らかになったのは、ひとびとが“右傾化”しているわけではなさそうだ、ということです。安倍政治にうんざりした有権者は、現状が大きく変わらないのであれば、右(小池新党)でも左(枝野新党)でもどちらでもかまわなかったのです。嫌われていたのは民主党=民進党で、政権党時代のスティグマがこれほど深く刻印されていては解党以外に道はなかったでしょう。

立憲民主党の枝野代表は自らを「リベラル保守」と述べており、日本の政治は“共産党以外ぜんぶ保守”という奇妙な状況になってしまいました。これではなにがなんだかわからないので、どこかに線を引く必要があります。憲法9条についてはすでにいいつくされているので、ここでは「格差」を考えてみましょう。

経済学では、「機会平等」と「結果平等」の2つの平等を考えます。徒競走にたとえれば、機会平等とはすべての選手が同じスタートラインに並ぶことで、結果平等は全員が同時にゴールすることです。

機会平等は自由な市民社会の基本原理で、身分制を理想とする封建主義者でもないかぎり右から左まで異論はないでしょう。ところが結果平等に対しては、深刻な意見の対立があります。

中国(文化大革命)やカンボジア(ポルポト)で死者の山を築き、ソ連が収容所国家と化したことで、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という共産主義の壮大な実験は悲惨な結果に終わりました。こうして90年代以降、「機会が平等なら貧富の格差が拡大しても問題ない」という“ネオリベ”的な論調が主流になっていきます。「改革」を掲げる希望の党や日本維新の会はこの路線です。

それに対して、“ネオリベ化”が極端に進むアメリカで、「これ以上格差が拡大すると社会が崩壊する」との警鐘が鳴らされるようになります。経済学者リチャード・ウィルキンソンは世界各国の膨大な統計データを調査し、平均余命、健康状態、肥満、学業成績、暴力や犯罪など、あらゆる指標で「格差社会」のアメリカが格差の小さな社会に劣っていることを示して大きな衝撃を与えました。

こうして「自由な競争を維持しつつも格差を一定範囲に抑えるべきだ」との主張が勢いを増してきます。これが現代のリベラルで、立憲民主党はこの立場をとることになるでしょう。

とはいえ、アメリカとちがって日本では格差をめぐる論争はいまひとつ盛り上がりません。

ウィルキンソンによれば、日本は北欧とならんで世界でもっとも格差の小さな社会です。そんな“平等主義者の理想郷”では、「みんなもうちょっと競争しようよ」という主張が「リベラル」になってしまうからかもしれません。

所得格差と健康の国際比較 リチャード・ウィルキンソン『平等社会』より

参考:リチャード・ウィルキンソン、 ケイト・ピケット『平等社会』

『週刊プレイボーイ』2017年10月30日発売号 禁・無断転載