ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2013年4月公開の記事です。(一部改変)

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キプロスは地中海の東端、「小アジア」とも呼ばれるアナトリア半島の南に位置する風光明媚な島国だ。といっても、2013年に金融危機が起きるまで、紀元前に遡る長い歴史のあるこの国に関心を持つ日本人はほとんどいなかっただろう。
エジプトとメソポタミアを結ぶ海の要衝であるキプロスは、ヒッタイトやアッシリアといった古代オリエント諸国、エジプト王朝、アケメネス朝ペルシアの支配を受けた後、アレサンダー大王に征服され、やがてローマの属州となった。
ローマ帝国の分裂にともないキプロスは東ローマ帝国の所領となるが、1191年、十字軍遠征途上にこの島に立ち寄ったイングランド王リチャード1世がキプロス王国を建国する。当時はイタリアの海洋都市の勃興期で、キプロス王国は十字軍遠征(エルサレム奪還)の最前線であると同時に、レバント(東地中海)貿易の一大拠点となった。その経済はイタリア諸都市に依存し、15世紀末、相続争いの混乱のなかでヴェネチア貴族の娘だった女王が主権を祖国(ヴェネチア共和国)に譲り王国は消滅した。
16世紀、新興のオスマン帝国が小アジアを席巻しヨーロッパに攻め上ると、キプロスはその軍門に下る。その後、第一次世界大戦でイギリスに併合され、第二次世界大戦後にようやく独立を達成した。
だが3000年に及ぶ数奇な歴史を持つこの島では、独立後もギリシア系住民とトルコ系住民が対立し混乱が続いた。
1974年、ギリシアとの合併を求める勢力がクーデターを起こしたことをきっかけにトルコ軍が介入して島の北部を占領、それまで混住していた住民は、ギリシア系は南のキプロス共和国、トルコ系は北のキプロス連邦トルコ人共和国(北キプロス)に分かれることになった。もっとも北キプロスは国際社会の承認を受けていないため、一般にキプロスというと南のキプロス共和国を指す。
南北分断後のキプロス島は実質的な戦時下で、国連によるたび重なる仲介でも両者の隔たりは大きく、1990年代に至っても砲撃や銃撃戦が勃発した。だが97年にキプロス共和国がEU加盟候補になると状況は大きく変わりはじめる。
最貧困の島から裕福なタックスヘイヴンへ
キプロスはもともと漁業と農業しか産業のない島で、そのうえ北キプロス(トルコ)と戦争状態にあったから、ひとびとの暮らしは貧しかった。だが冷戦が終わり、ソ連が崩壊する頃には治安もかなり改善し、欧米諸国から観光客がやってくるようになった。キプロスは温暖な気候に恵まれ、古代ギリシアや古代ローマの素晴らしい遺跡がたくさん残されている。
観光とともに、キプロスが生き延びるために選んだもうひとつの戦略が金融業だ。
キプロス住民のほとんどはギリシア系だが、イギリス統治下にあった歴史から英語がごくふつうに通じる。金融ビジネスの公用語は英語だから、これはキプロスがタックスヘイヴンになるにあたって大きなアドバンテージとなった。
キプロスがオフショア金融センターとして存在感を見せはじめたのは、ロシアからの富の受け皿になったからだ。
東ローマ帝国はギリシア人の国であり、そこではカトリックに対抗する正教(オーソドックス)が信仰されていた。だが1453年、首都コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)がオスマン帝国の手によって陥落し東ローマ帝国は滅亡してしまう。
こうして正教会は旧東ローマ帝国の各地に分裂し、ロシア皇帝(ツァーリ)が正教の正統な後継者を名乗るようになる(ロシア正教)。こうした歴史的経緯からロシアとギリシアには宗教的・文化的なつながりがあり、ロシア人の南(地中海)への憧れもあって、キプロスはロシアの富裕層にとって代表的な避寒地となった(私がキプロスを訪れたのは2年前の冬だが、ホテルの客の大半はロシア人の家族連れだった)。
自由化後のロシアでは、オリガルヒと呼ばれる新興財閥が台頭したが、プーチン政権を批判して逮捕・収監された大富豪ミハイル・ホドルコフスキーや、亡命先のロンドンで零落し自殺したボリス・ベレゾフスキーを見るまでもなく、彼らの政治的立場はきわめて不安定だ。そのため、財を成したロシアの富豪は、その富を守るために海外で蓄財しようとする。その格好の機会を、キプロスの金融機関が提供したのだ。
こうして90年代以降、キプロス経済は観光と金融を両輪に急速に成長していくことになる。キプロスの1人あたりGDPはいまでは3万ドルに達し、欧米の先進国と肩を並べるまでになった。
ロシアからのあやしげな資金の末路
キプロスにロシアの資金が流入するようになった背景は、さほど複雑なものではない。
後発のタックスヘイヴンであるキプロスには、そもそもヨーロッパの富裕層を顧客に獲得することができなかった。いつ戦争が始まるかわからないような国に大金を預けようとするひとはそれほど多くない。
一方、ロシアの企業や富裕層はコンプライアンスに問題があり、欧米の金融機関は資金を受け入れたがらない。すべてがロシアマフィアの裏金ということはないだろうが、正規の業者でも、電信送金では記録が残るため、ロシア国内で闇両替したドルの現金を大量に持ち込もうとするのだ。
キプロスの金融機関は、ロシア人の顧客に対してはコンプライアンスのハードルを大幅に下げて、あやしい資金でも喜んで受け入れた。さらには、通常より高い金利を提示して顧客を引きつけようとした。その結果、GDPの7倍にもなる巨額の預金を保有するようになったのだ。
キプロスの金融機関の預金金利が高い理由もきわめてわかりやすい。彼らは、集めた預金でギリシア国債をせっせと買っていたのだ。
キプロス共和国自体は、信用力がないため国債を発行することができない。キプロスのひとたちは自分がギリシア人だと思っているのだから、日本の銀行が日本国債を買うように、「安全」で高金利なギリシア国債を購入するのは当然だったのだ(おまけにキプロスにはギリシア系金融機関のオフショア子会社もたくさんある)。
ところがそのギリシアが財政破綻してしまい、EU主導でギリシア国債を保有する金融機関などが最大で50%の債権放棄をさせられることになった。キプロス共和国の財政は健全だったとしても、この措置によって国内金融機関が大幅な債務超過に陥り、かといってGDPをはるかに上回る損失を公的資金で救済することもできず、ロシアなどに資金援助を求めたものの万策尽きて、2012年6月、EUに金融支援を仰ぐことになった。
ユーロ危機の解決が難しいのは、財政の悪化に苦しむ南のヨーロッパに対し、ドイツなど北のヨーロッパが支援を行なう正当な理由を有権者に説明できないからだ。
キプロスの経済規模はユーロ圏全体の2%程度に過ぎないが、ギリシアなど他の国々に波及する可能性を考えれば、救済せずにユーロから脱退させる政治的リスクは大きい。だがそうはいっても、100億ユーロもの資金を無償でこの島国に投じるようなことをすれば、最大の出資者であるドイツのメルケル政権は今年9月の総選挙を乗り切れない。このようにして、10%の銀行預金カットという奇策が登場した。
預金者はお金を銀行に貸しているだから、銀行の債権者でもある。株式会社が破綻した場合は、まずは株主が出資金の範囲で有限の責任をとる。それでも債務が残るのなら社債などを購入した大口の債権者が債権を放棄し、それでも足りなければあとは小口の債権者(すなわち預金者)が損失を被るしかない。本来であれば半分以下になってしまう預金がEUの金融支援によって9割も戻ってくるのだから、預金者にとっても悪い話ではないと考えたのだろう。
だがいかんせん、キプロス政府にはこうした事情を国民に説明し納得させる時間も能力もなかった。そのため預金封鎖を強行し、強制的にすべての預金に課税しようとして大混乱を引き起こしたのだ。
預金封鎖はやがて起こる
地中海の小さな島国をめぐる春の椿事は、結局、ヨーロッパ諸国で一般に預金保険が適用される10万ユーロまでの少額預金を全額保護し、10万ユーロ超の大口預金をペイオフ(保護対象外)とすることで決着した。これによってキプロス政府は有権者の同意を得やすくなるが、その代わり大口預金者の負担は大きくなり、最大手のキプロス銀行で預金の最大損失は60%、破綻処理が決まっているライキ銀行に至っては損失割合が80%にのぼるとの試算も出ている。これでは資産没収とほとんど変わらない。
このような極端な措置がキプロス議会を通過したのは、大口預金者の大半がロシア人(個人と法人)で、その多くがグレイなものだから表立って抗議できない、という事情があるからだろう。
キプロスがEUに金融支援を求めてから今回の混乱まで8カ月以上たっている。本来ならその間に安全なところに資金を移してしまえばいいのだが、ロシアに戻すことも、スイスなど信用力の高い金融機関に送金することもせず、キプロス国内に留まったままだったということが、こうした大口資金の性質を示している。キプロスのような透明性の低いタックスヘイヴンの存在を不快に思っていたEUの高級官僚にとっては、預金者に負担を求めるのは犯罪収益の没収のようなものだったにちがいない。
キプロスの抱える特殊な事情を考えれば、今回の騒動がギリシアやスペイン、イタリアへと波及していくことはないだろう。だが欧州(とりわけ南のヨーロッパ)の預金者が、この事態をどのようにとらえているかは別の話だ。
近代国家は立法・司法・行政の三権と、警察や軍隊などの暴力を独占している。キプロス問題は、国家が預金封鎖のような極端な措置を実行できることと、国家破産の危機に瀕すれば国民の資産が優先的に保護されるわけではないことをすべてのひとに知らしめた。
次に財政危機に陥る国が現われたとき、今回の「教訓」に学んだ預金者が大規模な取り付け騒ぎを起こさない保証はない。そしてそのような国は、近い将来、必ず現われる。
これはもちろん、ヨーロッパだけの話ではない。
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