第85回 軽減税率、税務署員も困難?(橘玲の世界は損得勘定)

10月1日から消費税率が10%に引き上げられるが、飲食料品と新聞は軽減税率の対象となって税率が据え置かれる。それを受けて国税庁から、「消費税の軽減税率制度に対応した経理・申告ガイド」なる資料が送られてきた。

表紙には、パソコンに向かう白髪のおばあさんと、その横で親切に説明する(税務署員らしき)スーツ姿の若い女性のイラストが描かれている。おばあさんは人差し指でモニターを指さし、「わかったわ」とでもいうように大きな笑みを浮かべている。

しかしこの冊子を読んで、なにをどうすればいいかほんとうに理解できるだろうか?

軽減税率が始まると「これまでの記載事項に税率ごとの区分を追加した請求書等(区分記載請求書等)の発行や記帳などの経理(区分経理)を行う必要があります」と最初に書いてある。

私は税の専門家ではないが、税金の仕組みについて何冊か本を書いたことがあるから、一般のひとよりすこしは詳しいと思う。正直にいうが、それでも、いったいなにをいわれているのかよくわからなかった。

「区分記載」というのは、請求書や領収書に「10%対象」と「8%対象」の品目を区分して記載することだ。この場合、軽減税率対象品目には「*」や「☆」などの記号をつけたうえで、さらに「記号が軽減税率対象品目を示すことを明らかにする」必要があるのだという。

こうした領収書を受け取ったら、次は帳簿に「8%対象(旧税率)」「8%対象(軽減)」「10%対象」を区分して記帳する。「同じ8%なんだからいっしょでかまわないではないか」と思うかもしれないが、軽減税率では消費税率が6.3%から6.24%に下がり、その代わり地方消費税率が1.7%から1.76%に上がるのだという。

このように3種類に区分したうえで、申告書を作成するためにそれぞれ別個に「課税標準額」と「消費税額」を計算する。それをもとに、受け取った消費税の総額から仕入れなどで支払った消費税を差し引いて、納付すべき消費税額と地方消費税額を求めることになる。

このように説明しながらも、私はじつはまだよく理解できていない。あなたはどうだろう?

率直な感想をいわせてもらえば、「軽減税率は納税者に不可能なことをやらせようとしている」ということになる。税務に不慣れな中小の事業者にまで正確な「区分経理」を求めれば大きな混乱に陥るだろう。

税務調査のとき、帳簿を見た職員が「ちゃんと区分してもらわないと困りますねえ」と指摘し、「どうすればいいんですか?」と訊かれて上記の説明をしたら、納税者が「そんなのわかるわけないじゃないか。だったらお前がぜんぶやれよ!」とブチ切れる姿が目に浮かぶ。

こんな面倒なことをやらされる税務署員の困難を考えれば、中小事業者の帳簿は「見て見ぬ振りをする」のがお互いにとっていちばん平和だ。私の知らない秘密の方法があるのかもしれないが、とりあえずはこのような未来を予想しておこう。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.85『日経ヴェリタス』2019年9月8日号掲載
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