素晴らしきベーカムの未来

必然的な“強制労働”

ベーカムを支持するひとたちは、既存の福祉制度にしがみつく政治家や官僚が理想の実現を邪魔しているのだと非難する。たしかにそうした現実はあるだろうが、じつは、福祉国家ですらベーカムに尻込みするのには別の理由がある。

仮に日本にベーカムが導入されたら、次の3つのことが確実に起きるだろう。

  1. 強制労働
  2. 超監視社会
  3. 鎖国

これがベーカムの未来であることを、以下、順に説明していこう。

民主国家がベーカムを導入するためには、いうまでもなく国民の合意が必要だ。

ベーカムを年100万円とすれば、夫婦と子ども2人の無収入の世帯は年400万円の不労所得を得ることができる。それに対して所得1000万円のひとは400万円を納税するのだから手取り600万円になり、同時に自分の家庭とは別に1世帯の生計を支えることになる。ここで日本国は「国家がすべての国民の生活最低保障をするのは正義だ」ということを納税者に納得させなければならない。

もちろん、貧困にはいろいろな事情がある。障害や病気、高齢のために働けないのであれば、なんらかの援助が必要なことは誰もが同意するだろう(「貧乏人は死ねばいい」と主張するひとはほとんどいない)。

だがその貧しいひとが、若くて健康で、ただ働きたくないだけだとしたらどうだろう。自分の納めた税金で赤の他人がパチスロで遊んでいることを、納税者はけっして“正義”とは認めない。ベーカムを導入しようとするならば、国家はこの道徳的批判にこたえなくてはならない。

ベーカムを擁護するひとたちは、このやっかいな問題から意識的に目をそむけている。彼らの理屈では、生活保護をベーカムに切り替えるだけで、これまでパチスロに夢中になっていた無職の若者たちもバリバリ働きはじめることになっているのだ。

維新の会は政権を目指すだけあって、さすがにこんな能天気なことはいわない。彼らの主張は、「就労義務の徹底」だ。

日本ではほとんど知られていないが、アメリカにおけるベーカム(負の所得税)の議論でも、労働が可能な受給者は全員が働くのが当然の前提となっている。仕事をせずにぶらぶらする権利は、(資産から得る所得などで)納税する側に回った者にしか許されない。

ただし負の所得税では、所得申告しないことで受給を断る権利が認められている。しかし、ベーカムでは「強制的」に最低限の所得が保障されるのだから、それにともなう就労義務を逃れる術はない。

つまり、ベーカムの必然的な帰結は、強制労働になるほかないのだ。

超監視社会になる

また、誰でも気づくように、ベーカムでは所得をより少なく申告することで収入を最大化できる。300万円の所得のひとはほんとうなら50万円の税金を納めなければならないが、所得を200万円に減らして申告すれば納税はなくなるし、所得ゼロなら100万円を受け取れる。このようにベーカムは、税金をごまかしたいという強い誘引を納税者に与える。

生活保護というのはある意味きわめて残酷な制度で、働く能力もなければ貯金もなく、助けてくれる家族や親戚もいないことを証明できたひとだけが受給を許される。「自分は無価値な人間だ」と認めることが生活保護の高いハードルになっていて、本来なら受給可能なひとが餓死する悲劇が起こる。ベーカムは行政による貧困認定を不要にしてこの心理的なハードルを一挙に取り去るかわりに、不正受給のモラルハザードを引き起こすのだ。

不正受給をなくしベーカムを公正に機能させるためには、いかなる国民も所得を偽ることができない超効率的な税制が必要になる。維新の会はもちろんこのことにも気づいていて、「国民総背番号制による収入と資産の完全把握」を主張している。しかし、はたしてそんなことが可能なのだろうか。

アメリカはSSN(社会保障番号)を使った国民総背番号制の国で、国民は全員が確定申告し、IRS(内国歳入庁)は世界でもっとも厳しい徴税組織とされている。いわば、維新の会が目指す税制を体現している国だ。

そんなアメリカで、1975年から『勤労税額所得控除』という、ベーカム(負の所得税)によく似た社会保障が行なわれている。これは申告所得が一定以下のひとに補助金を給付するプログラムだが、ケースワーカーとの面談を不要にして所得申告のみで還付が行なわれるため、不正受給率は給付額の20%を超えると推計されている。日本の生活保護の不正受給率が0.3%程度であることを考えれば、これがいかに異常な数値かわかるだろう。米国の税務当局は不正受給防止のさまざまな対策を講じているが、ほとんど効果がないのが現状だ。

アメリカの経験が教えてくれるのは、ひとは手軽にカネが手に入ると思えばどんなことでもするということだ。不正受給を根絶し、正直な納税者を納得させるには、アメリカの税制よりもはるかにきびしい超監視社会にするほかはない。