『ONE PIECE』とフランス革命 週刊プレイボーイ連載(7)

いまや「21世紀日本が生み出した聖書」(内田樹)とまでいわれる『ONE PIECE』は、「ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)」を求めて大海原をゆく“海賊”ルフィの冒険を描いています。その壮大な神話的世界をひとことで説明することはとてもできませんが、物語の核にあるのが「仲間」であることは間違いありません。

ところで、仲間とはなんでしょう。

フランス革命で蜂起した民衆は、王政(旧体制)を拒絶し、「自由」「平等」「友愛」の旗を掲げました。とはいえ、近代の「原理」としてあまりにも有名なこの3つのスローガンのうち、自由と平等はだれでもすぐにその意味をつかめるものの、友愛(フラタニティ)という言葉はよくわかりません。日本では「慈善」や「博愛」などとも訳されますが、それが革命とどんな関係があるのでしょう。

フラタニティは、もとは中世のイングランドで流行した民間の宗教団体(結社)のことでした。都市の成立と人口の流動化によって、キリスト教社会のなかに、教区とは別に、自然発生的に信者たちの互助会が生まれました。彼らは貧しいメンバーを経済的に援助するほか、商売仲間が結びついてギルド(職業別組合)と一体化することもありました。

フランス革命では、このフラタニティは宗教的な意味を失い、同じ目的を持つ者同士の「連帯」に変わります。「友愛」とは、自由と平等のためにともにたたかう「仲間」のことだったのです(フリーメイソンは特定の宗教に与しない理神論=自由思想の結社で、フランス革命のリーダーたちの多くがそのメンバーでした)。

ところで、ここでいう「仲間」は、血縁や地縁でがんじがらめにされたムラ社会的な共同体のことではありません。近代的な友愛とは、一人ひとり自立した個人が共通の目的のために集まり、ちからを合わせて理想の実現を目指すことです。ルフィと仲間たちの冒険は、フランス革命に起源を持つ正統的な友愛=友情の物語なのです。

18世紀末の革命家たちが追い求めた「自由」「平等」「仲間(共同体)」という理想は、啓蒙主義によって人工的につくられたものではありません。民主政(デモクラシー)が西欧社会を超えて世界じゅうに広がったのは、それが私たちの「正義感情」と一致する普遍的な価値を提示したからです。

しかしここにひとつ、大きな問題があります。

「自由」「平等」「共同体」はいずれも人間社会にとって大切な価値ですが、これらの「正義」はしばしば対立します。仲間とは本来、敵とたたかうための組織のことで、それは必然的にメンバーの自由を奪い、敵を仲間と平等に扱うこともできません。現代社会のあちこちで起きる政治的な対立は、ほとんどがこうした相異なる正義の軋轢から生まれます。そして残念なことに、この対立は原理的に解決不可能です。

フランス革命が『ONE PIECE』だとすれば、「ひとつなぎの大秘宝」は、「自由」「平等」「共同体」が調和する理想世界のことです。

「ワンピース」はこの世に存在せず、手に入れたと思った瞬間に、蜃気楼のようにむなしく消えてしまいます。これを“奇跡”と呼ぶならば、ルフィと仲間たちはその夢を永遠に生きることで、私たちを魅了してやまないのです。

『週刊プレイボーイ』2011年6月27日発売号
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