『週刊新潮』「橋下徹は日本の救世主か?」コメント修正版

『週刊新潮』9月27日号「橋下徹は日本の救世主か?」で電話取材を受け、上海に向かう機中で送られてきたコメント原稿を修正し、上海空港からメール返信したのですが、すでに時間切れとのことで、現在発売中の号は修正前のコメントが掲載されています。

ベーシックインカムについてのコメントですが、ニュアンスがちょっと違うので、修正版をアップしておきます。

なお、ベーカムについての論評はこちら、欧米の公共経済学や労働経済学において、負の所得税やベーカムの効果は疑問視されており、実証研究でもその効果はネガティブなものだという話はこちらをお読みください。

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最近、隣人がベンツを買った。税金を払ってないはずなのになにかおかしい。だったら税務署で彼の所得を調べてみよう。「個人番号」を打ち込みさえすれば、申告所得は簡単にわかるのだから、私にもあなたにも誰にでも――。

「維新八策」に掲げられている、ベーシックインカム(ベーカム)と国民総背番号制が実現すれば、こうした「監視社会」が到来します。何も取り越し苦労ではありません。高福祉で知られるスウェーデンでは、税務情報が市民に公開され、「密告」が奨励されています。

ベーカムとは、年齢や能力を問わず、日本人である限り、最低限の生活費が保障される政策ですが、その原資は国民の収めた税金以外にはありません。お金持ちのなかにはそれでも構わないという人もいるかもしれませんが、納税者の多くはギリギリの生活を送っています。彼らは、働きもせず、遊びながらベーカムの恩恵を受ける貧困層をぜったいに認めませんから、納税者を納得させるためには、労働を義務化するしかありません。欧米ではニート対策が就労支援から義務的ボランティアへと移行していますが、そこから「強制労働」まではほんの一歩です。

多額の税金を国民から徴収し、それを大量に再分配すると、過少に所得を申告して給付だけ受けようとするモラルハザードが起きます。それを封じて公平性を担保するためには、国民一人ひとりがどれほどの収入を得ているのかを 完全に把握する以外にありません。これが国民総背番号制です。「理想の福祉社会」を実現したスウェーデンが、個人番号を打ち込めば瞬時にして他人の所得や資産が分かる監視社会になったのはこのためです。

生活保護でも同じではないかと思われるかもしれませんが、生活保護は申請した人にしか給付されません。ベーカムは本人の意思にかかわらず強制的に給付されるのですから、その帰結が収容所社会と強制労働になるのは当然です。

それでもスウェーデンは、監視社会の「代償」を払いながら、公平感に基づいた高福祉社会を実現しました。しかしこれは、人口が900万人程度で、しかも首都のストックホルムに一極集中している「小さな国」だからできたことです。ヨーロッパでも北欧以外に高福祉国家を実現できたところがないことを考えれば、歴史も文化も経済条件も何もかも違う日本で同じことをするのはきわめて難しいでしょう。そのスウェーデンですら、ベーカムを導入していない現実を真剣に考えてみるべきです。

また「維新八策」では、ベーカムは新たな財源による給付ではないと明記されています。では、いったいどこからお金を持ってくるのか。年金を廃止したり、健康保険を民営化すれば可能かもしれませんが、そんなことができるはずはありません。

さらに、ベーカムを導入するのであれば生活保護は不要のはずですが、「維新八策」には、生活保護の廃止に関する言及はありません。これでは、政策の整合性が取れていないと言われても仕方ないでしょう。

橋下さんは、地方自治体の首長である限り「無敵」でした。原発再稼動など、面倒な問題はすべて国に責任を押し付けられたからです。しかし国政政党となり、その党首である以上、もはや国のせいにする訳にはいきません。社会保障改革にせよ、労働市場の規制緩和にせよ、既得権を持つマジョリティと真っ向からぶつかることは避けられません。ポピュリズムが通用しなくなったとき、果たして改革を貫けるのか、はじめて真価が問われることになるでしょう。

「維新八策」は、公務員制度改革や統治改革、市場の自由化など、民主党のマニフェストととてもよく似ています。これほど叩かれている民主党も、この国の問題がどこにあるのかは分かっていました。さらにいうならば、日本の「構造問題」は1980年代にアメリカからすでに指摘されていて、その後の「改革」はすべてアメリカの提言の焼き直しです。処方箋を出すのは簡単ですが、それを実行するとなると、前途多難だと思います。