宝くじは「愚か者に課せられた税金」 週刊プレイボーイ連載(9)

「1等前後賞合わせて3億円!!」のサマージャンボ宝くじが発売され、人気の売場にはさっそく行列ができています。宝くじの魅力は夢をかなえる一攫千金にあるのでしょうが、その一方で、「宝くじを買うひとはお金持ちにはなれない」ともいわれています。その理由は、小学生でもわかるような単純な期待値の計算ができないからです。

あらゆるギャンブルは、賭け金からショバ代(経費)が差し引かれ、残金の合計を勝者(当せん者)が総取りする仕組みになっています。競馬を開帳するには競馬場や競走馬などが必要になりますから、賭けの参加者が胴元にショバ代を支払うのは仕方のないことです。もちろん、この参加費が安ければ安いほど、勝ったときの払い戻し額が大きくなるという法則も共通です。

ある賭けに100円を投じたとき、平均してそのうちいくら払い戻されるかがギャンブルの期待値で、競馬や競輪など公営ギャンブルの期待値は75円(経費率25パーセント)です。この期待値はゲームの種類によって異なり、ラスベガスのルーレットは約95円、パチンコやスロットは約97円とされています。プロのギャンブラーにバカラ賭博が好まれるのは、ゲームが面白いからではなく、期待値が約99円ときわめて高いからです。

ところで日本の宝くじは、平均的な期待値が47円と恐ろしく低いことが特徴です。サマージャンボを3000円分買ったとすると、その瞬間に1590円が日本宝くじ協会によって差し引かれてしまいます。これほど割に合わないギャンブルはほかにはないので、「宝くじは愚か者に課せられた税金」と呼ばれるのです。

宝くじを買うひとは誰もが1等当せんを期待するでしょうが、その夢がかなうのは交通事故で死ぬ確率よりもはるかに低いのですから、購入者が合理的であれば、大金持ちになる前に交通事故死してしまうと考えて買うのをやめるはずです。それでも膨大な数の宝くじ愛好家がいるのは、自分の人生にはとてつもなく幸運なことが起きるかもしれないが、それほどの不幸はないだろうと楽天的に考えているからです。

宝くじというのは、マトモに考えれば成り立つはずのない賭け事ですが、行動経済学的にいうならば、確率を正しく計算できない不合理性と、天性のポジティブシンキングに支えられて大繁盛しているのです。

宝くじに関するもうひとつの皮肉は、当せんしても幸福になれるとはかぎらない、ということです。アメリカでは、宝くじで何億円も当てると、新聞やテレビに顔写真付きで大きく報道されます。ところがこうした“幸運な”当せん者を追跡調査すると、人生の満足度が大きく下がっているケースが多いことが知られています。

宝くじで大金を手にしたことがわかると、遠い親戚や昔の知人がおこぼれに預かろうとつぎつぎとやってきます。そうした申し出を拒絶していると、親しい友人関係までもいっしょになくしてしまい、放蕩三昧で当せん金を使い果たす頃には、自分にはなにも残っていないことに気づくのです。

それを考えれば、宝くじを買おうと考えるほど楽天的で、やっぱりやめるくらい合理的なのがちょうどいいのかもしれません。

『週刊プレイボーイ』2011年7月4日発売号
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