子どものときにすぐにマシュマロを食べてしまったら 週刊プレイボーイ連載(291) 

オークションサイトに現金が出品されていることが話題になりました。1万円札3枚が3万6000円、1万円札4枚が4万7300円で落札されたというのです。なぜこんな不思議なことが起きるかというと、一部のひとがクレジットカードで現金を購入しているからのようです。

クレジットカードにはショッピング枠とキャッシング枠が設定されています。キャッシングはATMなどから現金を引き出すことで、ほとんどの場合、利息制限法の上限である年20%(元金10万円未満の場合)の金利が上乗せされます。それに対してショッピング枠では、翌月一括払いであれば、クレジットカード会社に支出を立て替えてもらっても金利はかかりません(なぜこんなウマい話になっているかというと、店からカード会社に手数料が支払われるからです)。

現金を高い値段で買うという非合理的な行動は、カードのショッピング枠とキャッシング枠に大きな差があることから説明できます。

多重債務者対策の規制強化の影響で、クレッジトカードのキャッシング枠はゴールドカードでも10万円程度しかないのがふつうです。その一方でショッピング枠は拡大される傾向にあり、いまや100万~300万円というのも珍しくありません。そうなると、カードローンやキャッシング枠がいっぱいになってしまったひとが、なんとかしてショッピング枠を利用しようと考えるのも無理はありません。このようにして、3万円を3万6000円で買う取引が成立するのです。

クレジットカードの一括払いでは、最長で50日、最短でも20日間支払いを立て替えてもらえます。そこから計算すると、この取引は年利換算で272%から2526%になります。高利貸しの代名詞がトイチ(10日間で1割)で、これは年利3000%に相当しますから、ほぼそれに匹敵する暴利です。逆にいえば、高利での借入に慣れたひとが納得できる絶妙な値付けになっているのでしょう(彼らはクレジットカードの一括払いではなくリボ払いや分割払いを使うでしょうから、実質借入金利はさらに高くなります)。

なにかをガマンするのではなく、いますぐ欲望を満たしたいひとを、経済学では「時間割引率が高い」といいます。逆に「時間割引率が低い」ひとは、いまの欲望をガマンして将来のために貯蓄します。時間割引率が高いか低いかは、遺伝的な影響が大きいことがわかっています。

4歳の子どもが、マシュマロをいますぐ食べるか、ガマンできるかを調べたアメリカの有名な実験があります。15分間ガマンすればマシュマロがもうひとつ手に入るのですが、それができた子どもは全体の3分の1しかいませんでした。実験に参加した子どもたちを追跡調査すると、マシュマロをガマンした子どもは大学進学適性試験(SAT)の成績が高く、社会的にも成功していることがわかりました。現代社会(知識社会)では、時間割引率が低いのは有利で、高いのは不利なのです。

オークションサイトの奇妙な取引は、私たちの社会には、子どもの頃にマシュマロをすぐに食べてしまったひとが思いのほかたくさんいることを示しているようです。

参考:ウォルター・ ミシェル『マシュマロ・テスト』

『週刊プレイボーイ』2017年5月29日発売号 禁・無断転載

日本人は「監視社会」を望んでいる? 週刊プレイボーイ連載(290) 

テロや組織犯罪への対処措置を定めた「国際組織犯罪防止条約(TOC条約)」締結のためとして政府が国会に提出した「テロ等準備罪」の通称は「共謀罪」です。報道各社の世論調査ではおおむね賛成の方が多いようですが、どちらの名称を強調するかによって結果がかなり変わります。「テロ等準備罪」だと「テロ対策に必要ならいいんじゃないの」と思い、「共謀罪」だと「なにもやってないのに“共謀”しただけで犯罪になるのか」と不安になる、というわけです。

「共謀罪」を批判するひとたちは、国家が市民の思想信条を取り締まる「監視社会」になることを危惧します。近代国家はすべての“暴力”を独占する巨大な権力で、その行使を民主的に統制することはきわめて重要ですから、この主張には一理あります。しかしその一方で、「権力は悪だ」と言い募るだけでは、「警察も司法制度も廃止してしまえ」ということになりかねません。

話がややこしくなるのは、「TOC条約締結のために国内法の改正が必要」ということには野党も同意していることです。だとすれば、あとはどこをどう変えるかの技術論で、ほとんどのひとは「専門家同士で決めればいい」と思うでしょう。こうして賛成派が増えることを“リベラル”なメディアは「国民の理解が進んでいない」と嘆きますが、条文の一言一句まで理解しなければ正しい意見がいえないというのでは、ちょっと“上から目線”な気がします。

「テロ等準備罪」に賛成する保守派のひとたちも、これによって監視社会化が強まることを否定しているわけではありません。監視しなければ、組織犯罪を「共謀」している証拠はつかめないのですから。だとすれば問うべきは、「ひとびとはほんとうに監視社会に反対しているのか」ということでしょう。

千葉県松戸市で、登校途中の小3女児が行方不明になり、2日後に排水路脇の草むらで絞殺遺体が発見されました。この事件では当初、誰がどのように女児を連れ去ったのかわかりませんでしたが、これは東京など都心部ではあり得ないことです。いまや駅や商店街だけでなく、マンションや一戸建てでも監視カメラの設置が一般的になり、公道において録画されずに犯罪を行なうことなど不可能だからです。

技術進歩で安価に監視カメラを設置することが可能になって、「治安維持」を名目に警察や自治体が市民を撮影しはじめました。10年ほど前までは、これがプライバシー権の侵害だとの批判がありましたが、監視カメラが爆発的に増えたことでこうした声は消えていきます。

千葉県の女児殺害事件の捜査が難航するのを見て、多くの人は「なぜ通学路に監視カメラがなかったのか」と思ったでしょう。「絶対安全」を求めるようになった日本人は、いまや監視されることを望んでいるのです。だとすれば、「共謀罪」への国民の理解が進まないのも当たり前です。

監視カメラや通学路の見守りは、「外」から犯罪者や異常者が侵入することを防ぐのが目的です。しかし現実には、女児を殺害したのは小学校の保護者会の会長でした。「共謀罪」をめぐる議論から抜け落ちているのは、「おぞましいものは自分(たち)のなかにある」という視点なのかもしれません。

参考:「共謀罪」各社世論調査(朝日新聞2017年4月25日朝刊)

『週刊プレイボーイ』2017年5月22日発売号 禁・無断転載

日本の「リベラル」より、安倍政権の方がリベラル? 週刊プレイボーイ連載(289) 

安倍首相は5月3日の憲法記念日に、読売新聞のインタビューと憲法改正を推進する民間団体へのビデオメッセージで、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」として、憲法9条と高等教育無償化を具体的な検討項目に挙げました。これまで「9条に手をつけられるはずがない」とたかをくくって「お試し改憲」を批判していたひとたちは、腰を抜かんさんばかりに驚愕したのではないでしょうか。

安倍首相はメッセージで「多くの憲法法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が今なお存在する」として、「『自衛隊は違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ』というのは、あまりに無責任だ」と述べました。

無責任と名指しされた“リベラル”な学者や共産党は、この批判に責任をもってこたえなくてはなりません。とはいえ、これまでの主張を見るかぎりこれはなかなか大変です。

共産党委員長は「自衛隊は憲法違反だと思うが、国民の合意がなかったらなくせない」と述べました。これは「人民の支持があれば憲法に反することをやってもいい」ということですから、立憲主義の否定どころか革命の論理そのものです。このひとたちは戦後日本の民主政治になんの価値も認めず、共産革命によって理想社会を建設すべきだといまでも本気で考えているのでしょう。

憲法学者は、「自衛隊は違憲ではなく、個別自衛権は国家の自然権だから“合憲”だ」というでしょうが、これもいまひとつ説得力がありません。「だったらなぜ、それをそのまま書いちゃいけないの?」という“子どもの疑問”にこたえられないからです。

憲法は国家の基本設計図で、市民が国家権力の“暴力”に制約を課すためのものです。近代国家は警察、司法、徴税などすべての“暴力装置”を独占しており、一人ひとりの市民に比べてその権力はとてつもなく強大です。そのなかでも最大の“暴力”は軍隊ですから、その存在を憲法に明記して法の統制の下に置かなければならない、というのが世界標準のリベラリズムです。

安倍首相が悲願の9条改正に向けて、「自衛隊の尊厳」で保守派を満足させるだけでなく、こうした“まっとうなリベラル”を掲げれば国民の多くは納得するでしょう。日本にしか棲息しない希少種である「戦後リベラリズム」は、いよいよ正念場に立たされました。

あまり話題にならない「高等教育無償化」も、9条改正のための目くらましと決めつけることはできません。

北欧の国々は大学を無償にしていますが、なぜこのような仕組みが成立するかというと、(日本ではほとんど報じられませんが)大学の実態が高等職業専門学校だからです。北欧の会社は社員教育を大学にアウトソースし、そこで得た資格が昇進や昇給に反映されます。こうして「能力」の指標を標準化することで、同一労働同一賃金の“リベラル”な労働市場が成立します。

安倍首相が本気で大学無償化を考えているとしたら、その先にあるのは日本を北欧のような「ネオリベ型福祉国家」に改造するビジョンでしょう。9条改正と同様に労働改革においても、「日本的雇用を守れ」と叫ぶしか能のない“リベラル”はすっかり先を越されてしまったのです。

『週刊プレイボーイ』2017年5月15日発売号 禁・無断転載