左右の”コピー戦略”で自民党は消滅する? 週刊プレイボーイ連載(309)

*10月6日執筆10月16日発売号に掲載された記事を、選挙結果を受けて若干加筆しました。

1週間ほど海外にいたら、民進党(衆院)が希望の党に吸収され、「選別」から落ちた議員が立憲民主党を設立して、日本の政治の景色はすっかり変わってしまいました。国内は大騒ぎですが、CNNやBBCなど海外メディアではまったく報じられていませんでした。もはや日本の政治は、国際的なニュースにはならないのでしょう。

以前、このコラムで「自民党支配を終わらせるのは小池東京都知事の“保守vs保守”戦略」と書きましたが、その小池氏が希望の党を立ち上げたことで、民進党の前原党首は、選挙での確実な敗北か、希望の党に救済してもらうかの究極の選択に立たされました。いまは強い批判にさらされていますが、あのまま民進党で選挙に挑んでもなんの可能性もなかったのですから、これは合理的な判断でしょう。

小池都知事が都議会選で自民党を圧倒したのは、安倍政権の「右」に軸足を置き、政策のちがいをほとんどなくし、「よりましな保守」をアピールしたからでした。大都市の有権者は、どちらを選んでもたいしたちがいがないのなら、自民党に投票しようとは思わないのです。

同じ戦略を今回の総選挙でも使う以上、小池都知事が民進党の“リベラル系”議員を排除したのは当然です。その結果、枝野氏を中心にリベラル政党が誕生し、民主党=民進党を悩ませてきた保守系とリベラル系の対立が解消されました。どこまで想定していたのかはわかりませんが、後世、前原氏の決断は、日本の政治地図をすっきり整理させたとして評価されるかもしれません。

希望の党の本質は「ネオリベ右派」で日本維新の会と同じですから、早晩、両者は合併することになるでしょう。小池都知事が今回の選挙に出馬しない以上、その戦略は自民党を過半数以下に追い込み、選挙後の混乱に乗じて党内の反安倍勢力と連立・合併することだったと思われます。

それでは、分裂効果で民進党時代を上回る勢いを獲得した立憲民主党はどのようなポジションをとればいいのでしょうか。

ひとつの道は、共産党と共闘する「左派ポピュリズム」路線ですが、北朝鮮からミサイルが次々と飛んでくるなかで「平和憲法護持」を唱え、きれいごとのばらまきを約束するだけなら、政権交代など夢のまた夢です。

もうひとつの道は、安倍政権の安全保障政策を踏襲し、「女性が活躍できる社会」「一億総活躍」「人づくり革命」などリベラルな政策を徹底させることです。これはいわば、希望の党とは逆に、軸足を自民党のすこし「左」に置いたコピー戦略です。

ここでのポイントは、内閣府の調査で「現在の生活に満足」とこたえたひとが7割を超え過去最高になったという事実です。ひとびとは長期政権にうんざりしていても、現状を大きく変えたいとは思っていないのです。

立憲民主党が“左からのコピー戦略”を採用すれば、日本の政治は「ネオリベ右派」と「愛国リベラル」で二分され、その中間に“イデオロギーなき”自民党が位置することになります。今回は圧勝した自民党ですが、この近未来が現実のものとなれば左右のイデオロギー政党に吸収され、いずれは消滅するとの予想を(当たらぬも八卦で)書いておきましょう。

『週刊プレイボーイ』2017年10月16日発売号 禁・無断転載

第71回 「内部留保で賃上げ」は誤り(橘玲の世界は損得勘定)

日本企業の労働分配率が43.5%に低下し、1971年以来46年ぶりの低水準になったという。その一方で内部留保は増えつづけ、2016年末で375兆円と過去最高を更新した。これを見て、「企業は内部留保を取り崩して賃上げすべきだ」と怒るひとがいまだにいる。

本紙の読者には釈迦に説法だろうが、この理屈はものすごくおかしい。

株式会社は1年間の企業活動を決算し、利益に対して税金を払って、残った純利益を株主に分配する。このやり方には2つあって、ひとつは現金を配当することで、もうひとつは「株主資本」に組み込むことだ。

こうして会社内に留められた純利益が「内部留保」だが、それは本来株主のものだ。しかし日本の経営者のなかには、純利益の半分を株主に配当すれば、残りの半分は会社にもの、すなわち「自分のもの」と思っているひとがものすごく多い。

株式会社の原則からいえば、純利益は全額、(会社の所有者である)株主に配当すべきだ。それを内部留保するとしたら、株主が個人で資産運用するより、経営者が資本金として運用した方が投資利回りが高いという合意があるときだけだ。

マイクロソフトやアップルのようなIT企業がその典型で、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズが「私に資金を預ければもっと儲かる」と株主を説得し、それに納得したからこそ、ずっと無配でも誰も文句をいわなかった。ところが事業が成熟し、投資先がなくなってくると、株主から「だったら自分で運用するから配当してくれ」という要求が出てくる。このようにしてベンチャー企業は、ふつうの会社になっていく。

だとしたら、労働分配率の低下はなぜ起きるのか。これは世界的な現象で経済学者のあいだでもさまざまな意見があるようだが、基本はものすごくシンプルだ。

経営者が人材への投資を増やしたいなら、設備投資と同じく、事業を成長させ株価を上げると株主を説得しなければならない。利益を減らして給料を上げるならボランティアで、株主が納得するならいいが、ふつうは経営者が真っ先に解雇されるだろう。

日本で労働分配率が上がらないのは経営者が強欲だからではなく、労働生産性が先進国で最低だからだ。この問題はずっと指摘されてきたが、まったく改善されない。要は、働き方が非効率で、給料を上げても利益を増やせる自信がないのだ。

それにもかかわらずこの国では、株主のお金であるはずの内部留保を社員に分配するのが正義だという主張がまかり通っている。株主からすれば、これでは強盗にあったような話だ。

もちろん、内部留保が無駄に積みあがっているのも大問題だ。事業の成長に結びつかないなら、全額を株主に配当するのが正しい経営者の態度だ。

株式市場では日経平均株価が2万円を超え「20年ぶりの高値」を目指すのだという。しかしそれでもバブル期の半分で、過去最高値を更新するアメリカ株とは比ぶべくもない。その理由がここにあるのだろう。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.71『日経ヴェリタス』2017年10月8日号掲載
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教育無償化の”不都合な真実” 週刊プレイボーイ連載(308)

「人づくり革命」を打ち出した安倍首相は、消費税の増税分を教育無償化や社会保障制度の充実にあてるとして解散・総選挙に踏み切りました。「コンクリートから人へ」を掲げて高校無償化を実現したのは民主党政権で、「保守・伝統主義」であるはずの安倍政権はますますリベラル化して、もはやかつての民主党と区別がつかなくなっています。

ところで「教育無償化」は、アメリカの経済学者でノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・ヘックマンの研究を根拠にしているとされます。

1960年代に、3歳から4歳の子どもたちに就学前教育を行ない、その結果を40年にわたって追跡するという大規模な実験が行なわれました。ヘックマンはこの実験を詳細に検討し、教育支援を受けたグループは、高校卒業率や持ち家率、平均所得が高く、婚外子をもつ比率や生活保護受給率、逮捕者率が低いことを明らかにしました。社会全体の投資収益率は15~17%で、100万円の投資に対して15万円から17万円が返ってくるのですから、教育に投資することは公共投資と比べてもはるかにリターンが高いのです。

ここまでは素晴らしい話ですが、ヘックマンの議論をちゃんと読んでみると、すこしニュアンスが異なることがわかります。

ヘックマンは、どうしたら子どもたちに公平なチャンスを与えられるかを考え、子どもが小学校に入学する6歳の時点で、認知的到達度(学業成績)の格差はすでに明白だということに気づきます。こうして就学前教育に注目するのですが、それは逆にいえば、「小学校にあがってからでは遅い」ということです。

認知能力の発達について膨大な文献を渉猟したヘックマンは、誕生から5歳までの教育投資の重要性を説き、「認知的スキルは11歳ごろまでに基盤が固まる」といいます。すなわちヘックマンの議論では、中等教育や高等教育に税を投入することは、投資に対してプラスのリターンが見込めないため、政策としては正当化できないのです。

日本では「教育は無条件に素晴らしい」と信じられているため、このもっとも重要なポイントはほとんど言及されません。さらにもうひとつ、ヘックマンを引用するひとたちが(たぶん)意図的に無視しているのは、ベースとなった就学前教育の実験対象が黒人の貧困家庭の子どもたちだったことです。

1960年代のアメリカは人種差別がきびしく、階級格差というよりも国内に新興国(発展途上国)を抱えているようなものでした。途上国の子どもたちに教育投資を行なえば高い収益率が実現できることは中国や東南アジアの経済成長でも実証されていますから、この結果はなんの不思議もないともいえます。

このようにヘックマンは、「すべての幼児教育を無償化すべきだ」と主張しているわけではありません。いまの日本にあてはめるなら、政策として正当化できるのは、母子家庭など貧困層の子どもたちへの支援だけでしょう。

無駄な教育投資をやめれば消費税の増税分を財政再建に回すことができ、いいことだらけですが、なぜこのような真っ当な議論がないのでしょうか。それは……。ここから先は、いちいち説明する必要はありませんね。

参考:ジェームズ・J・ヘックマン『幼児教育の経済学』
『週刊プレイボーイ』2017年10月10日発売号 禁・無断転載