新刊『朝日ぎらい』発売のお知らせ

新刊『朝日ぎらい』が朝日新書から発売されます。発売日は6月13日ですが、Amazonでは予約が始まりました。

ジャケットを御覧いただければわかるように、この本のいちばんの“売り”は、当の朝日新聞出版社から出ていることです。

とはいえ、「朝日」を批判したり、あるいは擁護したりすることが目的ではありません。私の興味は、インターネットを中心に急速に広がる“朝日ぎらい”という現象にあります。

詳しくは本を読んでいただきたいのですが、ここでは巷間いわれているのとはまったくちがう視点から「朝日ぎらい」を分析しています。

私の理解では日本は「右傾化」しているのではなく、世界全体が「リベラル化」しています。ネトウヨは右翼(伝統主義)とはなんの関係もない「日本人アイデンティティ主義」です。そして、保守かリベラルかは(ある程度)遺伝によって決まっています。――ついでに、「リベラルがなぜうさん臭いか」もわかります。

なお、『朝日ぎらい』のタイトルは井上章一さんのベストセラー『京都ぎらい』(朝日新書)から拝借しました。この“パロディ”を快諾していただいたばかりか、大いに面白がってくださった井上さんに感謝します。

日本企業は「体育会系」大好き、日本社会は「運動部カルト」 週刊プレイボーイ連載(339)

すこし前のことですが、ヘッドハンティングを仕事にしているひとの話を聞いたことがあります。新しい部署や事業部を任せられる幹部を、年収1000万円から3000万円で探すよう頼まれるのだといいます。

ヘッドハンターによると、日本企業と外資系企業では採用基準がちがうそうです。

外資系企業が評価するのは学歴・資格・職歴・経験、そしてなにより実績で、男女の別や国籍・人種は問いません。それに対して日本企業は「男性」「日本人」が当然の前提で、女性や外国人はそもそも検討の対象にもなりません。

こういうところに日本企業の差別的な体質が現われていますが、それは容易に想像できます。興味深いのは、外資系企業がまったく関心を示さないのに、日本企業にとってきわめて重大な属性があることです。それが「体育会」です。

「いつも不思議に思うんですけど」と、ベテランのヘッドハンターはいいました。「大学の運動部出身というと、どこも大歓迎なんです。“えっ、この程度の実績でいいの”と思うようなひとでも、どんどん採用されていきます」

顧客の再就職が決まると、その年収に応じてヘッドハンターに報酬が支払われます。逆にいえば就活中はタダ働きになってしまいますから、できるだけ早く決めたいと思うのは人情でしょう。そこで日本企業から求人のオファーがあると、大学運動部出身者を優先的に斡旋するのだそうです。

ヘッドハンターが日本企業の経営者や人事部長に「なぜ運動部出身者がいいのか」と訊くと、そのこたえは常に同じで、「組織の文化に合っている」からだそうです。彼らが求めているのは、権力に対して従順で、先輩・後輩の序列を重んじ、「右を向いてろ」といわれたらずっと右を向いて立っているような人材なのです。なぜなら、自分自身がそうだから。

ここまで読んで、あの事件を思い浮かべたひとも多いでしょう。

相手選手に悪質なタックルをした学生が記者会見で述べたように、日大のアメフト部は監督がすべての権力をもつ独裁者で、その指示が絶対であるのはもちろんこと、言葉による指示がなくてもそれを「忖度」できなければ試合に出してもらうことすらできません。選手もコーチたちも監督に気に入られることだけに必死になり、自分たちの言動がどれほど常識と隔絶しているか気づかなくなります。

これはまさに「運動部カルト」で、ここまで極端な例は多くないとは思いますが、体育会の体質はどこも似たようなものでしょう。そしてこれは日本企業の体質であり、日本社会の体質でもあります。

今回の事件にみんな憤激していますが、カルトが生まれるのはそれを容認する土壌があるからです。日本人は「体育会」が大好きなのです。

当たり前の話ですが、根性と気合と浪花節では冷徹で合理的な経営をするグローバル企業に太刀打ちできるはずはありません。

「無能な人材をよろこんで採用してるんだから、日本企業が国際競争から脱落するのは当然ですよ」と、ヘッドハンター氏は他人事のようにいいました。

『週刊プレイボーイ』2018年6月4日発売号 禁・無断転載

裁量労働制の議論が「日本人はバカだ」に行きつく理由 週刊プレイボーイ連載(338)

厚生労働省が、裁量労働制についての調査データに異常値が含まれていたとして約2割の事業所のデータを削除するそうです。全国の労働基準監督署が一般労働者と裁量労働で働く労働者の残業時間を調べたもので、これに基づいて安倍首相が、裁量労働制を導入したほうが残業時間が短くなると答弁したことが問題になりました。

厚労省は資料を開示せずに都合のいい結論を導いており、「誤ったデータに基づいて政策を決めるのはけしからん」との野党の批判はもっともです。こんな醜態をさらすことになったのは、調査や分析をすべて省内で行ない、労働経済学者など外部の専門家を排除しているからでしょう。その結果、「素人仕事」が見破られて立ち往生してしまったのです。

とはいえ、野党のいうように、いったん法案を取り下げて正しいデータを集計し直せばいいというわけではありません。裁量労働制の残業時間が一般労働者より長かったとしても、統計学的には「裁量労働制にすると残業時間が増える」とはいえません。因果関係が逆で、「長時間労働が必要な事業者が裁量労働制を導入している」かもしれないからです(新聞やテレビが裁量労働制なのはこれが理由です)。

どちらが正しいかを知るためには、全国からランダムに事業者を選び、半数を裁量労働制にして残業時間がどのように変わるかを調べる必要があります。これがランダム化対照実験で、現在では、これ以外は恣意的な解釈が可能で政策決定の役には立たないとされています。

ランダム化対照実験で裁量労働制と残業時間の関係がわかったとしても、それで結論が出るわけではありません。裁量労働制によって収入が増えたり、時間を自由に使えるようになった労働者の満足度が上がるかもしれないからです。正しい政策にはこうした要素も考慮に入れなければなりません。

しかし、これで話が終わるわけではありません。裁量労働制に適した仕事とそうでない仕事があるかもしれず、どんな働き方が向いているかを知るには職種ごとのランダム化対照実験が必要になります。年功序列・終身雇用の日本的雇用と、欧米のように同一賃金・同一労働が徹底され、不況時には金銭解雇が一般的なジョブ型の働き方で、裁量労働制の効果が異なることもじゅうぶん考えられるでしょう。

このように「働き方」の議論はものすごく複雑ですが、日本では「長時間労働=悪」「短時間労働=善」という単純な善悪二元論でしか論じられません。サラリーマンの本音は「残業代が減ると家計が苦しくなる」でしょうが、その分は「副業の自由化」で補えということのようです。

これまで何度か指摘しましたが、日本の労働者は長時間労働に苦しむ一方で、先進国でもっとも労働生産性が低く、アメリカの労働者の7割程度しか稼げません。この事実を説明しようとすれば、「日本人はバカだ」というか、「働き方がまちがっているか」のいずれかしかありません。

こうして「働き方改革」が急務になったのですが、それを主導する厚労省のあまりに稚拙な仕事と国会での低レベルの議論をみると、残念ながらもうひとつの説明のほうが正しいような気もしてきます。

『週刊プレイボーイ』2018年5月28日発売号 禁・無断転載