第53回 人は現実を見ないと動けない(橘玲の世界は損得勘定)

中国経済が減速期に入り、過剰な公共投資でとてつもない不動産バブルが起きている、という話は何年も前からいわれていた。ところが去年の暮れあたりから上海市場の株価が上昇しはじめ、2500ポイント前後だった指数はわずか半年で5000ポイントを超えた。

経済が低調なのに株式市場が熱狂するというこの奇妙な現象を、専門家は「不動産市場に投じられていた資金がバブル崩壊で行き場を失って株式市場に流れ込んだからだ」と説明した。だったら株式バブルが早晩はじけるのは当然で、実際、そう予測するひとはたくさんいた。

案の定、6月中旬に高値をつけた上海市場は、そこからわずか3週間で30%ちかくも暴落した。その後は中国政府の介入もあって乱高下を繰り返し、いまでは3000ポイント前後になっている。株式市場の未来を予測することは難しいが、近年、これほど見事にバブル崩壊を的中させた例はない。

ところが不思議なことに、世界じゅうが中国株の暴落で大騒ぎしている。バブルがはじけることがわかっていて、そのとおりのことが起きたのだから、なにひとつ驚くことはないはずだ。新聞の経済面の片隅にでも「中国株、予想通り大幅下落」と1行書いておけばいいだけなのに。

でも実際には、中国市場につられて世界の金融市場が動揺している。なぜこんなことになるかというと、「予想していたこと」と「現実に起きたこと」は別だからだ。バブルが崩壊してみると、元の切り下げのような想定外のことが起きて、どんどん不確実性が増していくのだ。

それでもやはり、疑問は残る。中国市場の未来を見通していた「賢明な投資家」なら、資金をアメリカや日本の国債に変えてリスクヘッジしていたはずだ。これなら上海株が暴落しようが、人民元が切り下げられようが、どうだっていい話だろう。

この話の教訓は、ひとは自分の目で現実を見ないと行動に起こせない、ということだ。そしてこうした非合理性は、株式市場だけではなく、いたるところで見られる。

日本は少子高齢化によって人口構成が激変し、社会保障費の膨張で財政赤字が急拡大している。でも日本のような先進国では、将来人口の推計はほとんど外れないから、これは20年以上前からわかっていたことだ。

社会人としてのスタート地点は同じでも、人生の有為転変でひとは異なる境遇を歩むことになる。最近になって、年金だけで生活できない「老後破産」が社会問題になっているが、高齢化で経済格差が拡大し、老人の貧困層が増えるのは当たり前だ。

高齢者の認知症率から、2025年には認知症患者が700万人を突破すると予測されている。現状では60万人程度しか老人介護保健施設に収容できないのだから、このままでは認知症の老人が街を徘徊することになるだろう。これも、介護関係者なら誰でもわかっていることだ。

でも、どれほど予測が正しくても、ひとは不愉快な問題を直視できない。なぜならそれが、人間の“本性”なのだから。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.53:『日経ヴェリタス』2015年9月27日号掲載
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