第81回 ダウと日経平均、株価に陰謀?(橘玲の世界は損得勘定)

久しぶりに田舎に帰って同窓会に出たのだが、その二次会で、私が金融についての本を書いていることを知っている友人から質問を受けた。日経平均とダウ平均(ニューヨーク株価)で、なぜこれほど株価がちがうのか、というのだ。

日経平均が2万円、ダウ平均が2万ドルとして、1ドル=100円で円換算すると200万円になる。友人の疑問は、アメリカの株価がなぜ日本の100倍にもなるのか、というものだった。

「株式指数を円換算して比較しても意味はないよ」と答えたのだが、「でも日経平均は225社の、ダウ平均は30社の株価の平均でしょ」という。これはたしかにそのとおりだ。

「いまの株価を単純平均してるわけじゃないから」と説明しようとして、はたと困った。株式の分割や合併、銘柄の入れ替えによって指数は繰り返し調整されてきているが、どのような経緯で現在の株価になったのか知らないのだ。

そこで、「株価が高いか安いかは重要な問題ではないよ」と話を変えてみた。株式を10分割すれば株価は10分の1になるが、会社の価値は変わらない。株価1000円の会社より1万円の会社の方が規模が大きいということにはならないのだ。

だがこの作戦も、さしたる効果はないようだった。彼は日本とアメリカの会社を比較して、どちらの株価が高いかを問題にしているのではなく、なぜアメリカ市場の平均株価が日本市場の100倍なのか知りたがっているのだ。

そこで、アメリカと日本の株式市場の時価総額を持ち出して、「米国市場は世界の約半分、日本市場は1割を切っているけど、その差はせいぜい6倍くらいだよ」と答えた。しかしそうなると、株式市場の時価総額が6倍なのに「平均株価」がなぜ100倍なのか訊かれることになり、やはり答えに窮してしまう。

ことここに至って、降参するほかなくなった(うまく説明できるひといますか?)。そこで、なぜそんなことに疑問を持つのか逆に訊いてみた。

私は根本的に勘違いしていた。株価指数についてのテクニカルな質問だと思っていたのだが、彼がいいたかったのは、日本に比べてアメリカの株価が「100倍」も高いのは、なにかの「陰謀」にちがいないということだった。隠された秘密がなければ、こんな極端なことが起きるわけがないというのだ。

世の中には、あらゆるところに「陰謀」を見つけるひとがいる。一時期は「TPP(環太平洋パートナーシップ)協定はアメリカの陰謀」と大合唱していた「知識人」たちがいたが、トランプは「TPPはアメリカにとってなにひとついいことがない」としてさっさと脱退してしまった。なぜこんなことになるかというと、実態が明らかでないなら、どんな陰謀論も(なんとなく)合理化できるからだ。

なるほど、こうして「陰謀論」が生まれるのかと驚いたが、彼が納得するような回答をするのは私の力量では無理だと思い知らされて、あいまいな笑いとともにその場を去るしかなかった。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.81『日経ヴェリタス』2019年1月27日号掲載
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厚労省が失態を繰り返すのは「素人」だから 週刊プレイボーイ連載(369)

雇用保険や労災保険の算出にも使われる「毎月勤労統計」の不適切調査で、厚生労働省がふたたび大きく揺れています。ただし報道を見るかぎりでは、事件の本質は半年ほど前に起きた裁量労働制についての調査データの不正とまったく同じです。

なぜこんな失態を何度も繰り返すのでしょうか? その理由はきわめて単純です。素人がやっているから。

日本の会社の際立った特徴はスペシャリスト(専門家)をつくらないことで、「ゼネラリストを養成する」という建前のもと、数年単位でまったく異なる部署に異動させていきます。

総務部から営業部への異動や、経理部から地方支店への転勤など、日本の会社で当たり前のように行なわれている人事を聞くと、海外のビジネスパーソンは腰が抜けるほど驚きます。世界標準の働き方では、学歴・資格で仕事の内容が(おおよそ)決まり、専門外の分野に移ることはないからです。

世界でも特異な日本的雇用慣行は役所も同じで、上司や部下が専門とはまったく関係のない部署から異動してくることは日常茶飯事です。――私の知人は、芸術文化振興の部署から自治体病院の事務局長に異動しました。厚労省の統計部門の詳細はわかりませんが、大学や大学院で統計学の専門教育を受けたスタッフはほとんどいなかったのではないでしょうか。

今回の不祥事は、統計の基礎すら知らない素人が集まっていると考えるとすっきり理解できます。

不正のきっかけは2004年に東京都から「全数調査が大変だから抽出に変更したい」と相談されたからのようですが、法律に違反するにもかかわらずあっさり認めてしまったのは、全数調査と抽出調査のちがいが理解できなかったからでしょう。

その後、一部の職員が不適切な調査に気づき、全数調査の結果に近づける補正を行なうのですが、こんなことを気軽にやるのは、統計を自分たちの都合で勝手にいじっていいと思っていたからです。

不正が明らかになっても過去の経緯が不明なのは、組織的に隠蔽しているというより、担当者が何人も代わって誰がなにをしたのかわからなくなっているのでしょう。

過去の統計資料を廃棄していたことも明るみに出ましたが、これも悪気があるのではなく、「どうでもいい」と思った担当者が独断で捨てていたと考えるのが自然です。

野党はこれから「統計不正」を追求するようですが、その際は、2004年以降、統計を担当した者の専門性(法学部の学士などがたくさんいるのでは)を調べてはどうでしょう。厚労省職員は相次ぐ不始末の原因に「多忙」をあげるようですが、なぜ長時間労働になるかというと、能力を超えたことをやらされているからです。

ではどうすればいいのか。問題の本質が専門性の欠如なのですから、解決策はかんたんです。

まず、統計を扱う部門をすべての省庁から切り離し、イギリスの国家統計局のような議会直属の独立機関に統合して、職員は統計の専門家を外部から採用します。そのうえでデータを公開し、世界じゅうの専門家が利用・検証できるようにすれば、今回のようなくだらない出来事は根絶できるでしょう。

ただし、このような改革を進めるとほとんどの官僚は仕事がなくなってしまいそうですが。

参考:「働き方国会」が紛糾する”恥ずかしい”理由 

『週刊プレイボーイ』2019年1月28日発売号 禁・無断転載

日本人の3分の1は日本語が読めない? 週刊プレイボーイ連載(368)

先進国の学習到達度調査PISA(ピサ)はその順位が大きく報じられることもあってよく知られていますが、PIAAC(ピアック)はその大人版で、16歳から65歳の成人を対象として、仕事に必要な読解力、数的思考能力、ITを活用した問題解決能力を測定したものです。24カ国・地域において約15万7000人を対象に実施され、日本では「国際成人力調査」として2016年にその概要がまとめられています。

ヨーロッパでは若者を中心に高い失業率が問題になっていますが、その一方で経営者からは、「どれだけ募集しても必要なスキルをもつ人材が見つからない」との声が寄せられていました。プログラマーを募集したのに、初歩的なプログラミングの知識すらない志望者しかいなかったら採用のしようがありません。そこで、失業の背景には仕事とスキルのミスマッチがあるのではないかということになり、実際に調べてみたのです。

このテストは日本でも行なわれていて、その結果をまとめると以下のようになります。

  1. 日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない。
  2.  日本人の3分の1以上が小学校3~4年生の数的思考力しかない。
  3. パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない。
  4. 65歳以下の日本の労働力人口のうち、3人に1人がそもそもパソコンを使えない。

「そんなバカな!」と思うでしょうが、これはAI(人工知能)に東大の入学試験を受けさせる「東ロボくん」で知られる新井紀子氏が、全国2万5000人の中高生の「基礎的読解力」を調査し、3人に1人がかんたんな問題文が読めないと指摘したことと整合的です(『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』)。これを疑わしいと感じるのは、あなたが知能が高いひとたちの集団のなかで生活しているからにすぎません。

さらに驚くのは、日本人の成績がこんなに悪いにもかかわらず、先進国のなかでほぼすべての分野で1位であることです。だったら他の国はどうなっているのかというと、平均は次のようになります。

  1. 先進国の成人の約半分(48.8%)はかんたんな文章が読めない。
  2. 先進国の成人の半分以上(52%)は小学校3~4年生の数的思考力しかない。
  3. 先進国の成人のうち、パソコンを使った基本的な仕事ができるのは20人に1人(5.8%)しかいない。

ヨーロッパの国を見ると、PIAACの結果は南が低く北に行くほど高くなります。ユーロ危機のときにPIGS(ポルトガル、イタリア、ギリシア、スペイン)と呼ばれ、財政が悪化し失業率が高く、右派や左派のポピュリズムに翻弄される「南」に対して、北欧など得点の高い国は、排外主義的な政党が勢力を伸ばしてはいるものの失業率は低く社会は安定しています。

「仕事に必要な問題解決能力(≒知能)」は個人によってばらつきがあると同時に、国によって大きく異なります。これが、私たちが直面している「事実(ファクト)」です。それをどう理解すればいいかを、新刊『もっと言ってはいけない』(新潮新書)で書きました。さまざまなご意見があるでしょうが、ご批判もふくめ、みなさまの評価を聞かせていただければ幸いです。

*PIAASの問題例や国際比較など、より詳しい説明は『文庫改訂版 事実vs本能 目を背けたいファクトにも理由がある』でしています。

『週刊プレイボーイ』2019年1月21日発売号 禁・無断転載