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国家がネットワークになる未来 週刊プレイボーイ連載(640)
学校というのは、同じ地域に住む同年齢の子どもたちを強制的にひとつの施設に「収容」し、訓育(訓練と教育)する特殊な権力行使です。近代の成立とともに公教育が整備されたのは、「協力」の重要性がわかったからでしょう。
軍隊や工場は、見ず知らずの他人を集めてチームをつくり、規律ある行動をとらせることで大きなちからを発揮します。ムラ社会だった日本はこの(前期)近代システムに過剰適応し、同期や先輩・後輩の“絆”によって軍隊や会社を効率的に運営し、世界を席捲しました。
ところが社会が流動化すると、この硬直した制度がうまく機能しなくなってきます。
デジタルネイティブの子どもたちにとって、不愉快な相手をブロックし、好きな相手とつながるのは当たり前です。ところが学校では、たまたま一緒のクラスになった子どもと「友だち」になるよう強要されます。
しかしこれでは、「なぜ隣の席にいるいじめっ子をブロックしちゃいけないの?」「ちがう学校(あるいは海外)にいる子となぜつながっちゃいけないの?」という子どもの疑問に答えることはできません。こうして日本でも世界でも、不登校が増えているのでしょう。
これを拡張すると、さらに大きな疑問にぶつかります。
近代的な「国家」というのは、歴史的・政治的に決められた領土に暮らすひとびとに「国民」というレッテルを貼り、統治・管理するシステムです。しかし現実には、誰一人、特定の国家に所属することに同意して生まれてきたひとはいません。
日本のように海に囲まれた島国だとうまく理解できないでしょうが、これは植民地主義によって欧米列強の都合で国境を決められたひとたちにとっては大問題です。中東やアフリカで泥沼化する民族問題は、自分たちを憎んでいる相手と「国民」になり、同じ民族とは国境で隔てられていることから生じているのです。
しかしこれは、発展途上国だけの話ではありません。アメリカではリベラル(民主党支持者)と保守(共和党支持者)が憎みあっていますが、それでも「アメリカ人」として一緒にやっていくことを「強要」されています。
東部や西海岸で暮らすリベラルにとっては、第二次トランプ政権のやることなすことすべてが気にくわず、北のカナダのほうがずっと価値観が一致します。だとしたら、トランプ支持者をブロックしてカナダのリベラルとつながりたいというのは、切実な願望でしょう。
このようにして、子どもたちが学校を拒否するように、国家に対して一体感をもたないひとたちが増えていきます。テクノロジーを使えば、国家の制約から離れて、自分にとってもっとも快適なネットワークに「移住」することは簡単なのです。
だからといって、現在の領域国家がすぐに消滅することはないでしょう。それでも近代的な学校制度が徐々に解体していくように、近代国家は治安や安全保障など最低限のインフラを提供するプラットフォ―ムになっていくのではないでしょうか。
そして、国家がGAFAMのようなプラットフォーマーと競争・競合する未来がやってくると予想しておきましょう。
参考:Balaji Srinivasan (2022) The Network State; How To Start a New Country
『週刊プレイボーイ』2025年4月28日発売号 禁・無断転載
「エイズの原因はウイルスではない」という似非科学は いかに生まれ、陰謀論に変わったのか
ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2014年6月12日公開の「「エイズの原因はHIVウィルスではない」という似非科学は いかに生まれ、不幸を招いたのか」です(一部改変)

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似非科学には、次のような特徴がある。
①一見するともっともらしい理屈を装っている。すくなくとも、専門以外の者が「たしかに一理あるかもしれない」と思う程度の説得力はもっている。
②その主張の背後に「正義」が隠されている。「こうあるべきだ」というイデオロギーが先にあり、それに都合のいいデータだけが選択的に集められる。
③自分に甘くて相手に厳しい。自らの主張を非科学的だと批判されると、「わずかでも可能性があるのなら対等に扱われるべきだ」と強弁する。それに対して相手のミスは絶対に見逃さず、完全無欠の証明を要求する。とりわけ、統計学的な議論はいっさい受け付けない。
④さらに立場が悪くなると、容易に陰謀論に走る。「自分たちの主張が間違っているように見えるのは、権力者が重要なデータを握りつぶしているからだ」などとすぐに言い出す。
⑤言い逃れができないような状況では、感情論を持ち出す。すなわち、「たとえ間違っていたとしても、自分たちの善意には意味があるのだ」などという。
似非科学はなぜ批判されなければならないのか。それを考えるために、「エイズ否認主義」という似非科学を検証したアメリカの臨床心理学者セス・C・カリッチマンの『エイズを弄ぶ人々 疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇』(野中香方子訳/化学同人)を紹介しよう。 続きを読む →
「グローバル資本主義が諸悪の根源」なら、トランプ関税でよりよい世界になる? 週刊プレイボーイ連載(640)
あなたがある町でパン屋をやっているとしましょう。ところが隣の町に新しいパン屋ができて、安くて美味しいパンを売るようになりました。当然、大人気で、あなたの町のひとたちも隣町にパンを買いに行くようになりました。
このとき、町ごとの経済を考えると、あなたの町の富が隣の町に流出しているように見えます。これが「貿易赤字」で、隣町は同じ額の「貿易黒字」を計上しています。
これは「町の経済」を理解するためのたんなる便法ですが、店にお客さんがこなくなったあなたは、ここにはなにかの「陰謀」があるにちがいないと考えます。そして町のひとたちに向かって、隣町の不正に報復すべきだと訴えました――。これがトランプ関税です。
国家は町とはちがって、通貨を発行したり、自国の産業を保護・育成するための措置を講じたりしています。それでも「自由貿易がみんなをゆたかにする」という経済学の常識が広く受け入れられたことで、わたしたちは人類史上空前の繁栄を謳歌できるようになりました。
ところがトランプは、貿易黒字は「得」、貿易赤字は「損」だと信じています。アメリカが中国や日本に対して貿易赤字になっているのは、不正によって損させられているのだというわけです。こうして世界経済は、パン屋の寓話と同じになってしまいました。
じつはこの誤解は、1980年代に入って深刻化した日米貿易摩擦でアメリカ政府が主張してから、半世紀ちかくにわたってずっと続いています。国際経済学の初歩の初歩ですから、トランプ政権の官僚たちも当然、このことは知っているでしょう。それにもかかわらず、これがブードゥー(呪術)経済学であることを大統領に理解させることができず、暴走を許してしまったことは、まさに経済学の敗北です。
高関税は経済活動を委縮させますから、アメリカでも日本でも、世界中で株価が暴落しました。これに対してトランプは、「株価の下落は望まないが、薬を飲まなければならない時もある」と強弁しています。――その後、米国債の価格が急落(金利は高騰)したことで、景気の悪化をおそれて関税の上乗せ分を90日間停止することを決めました。
皮肉なのは、国民のゆたかさの指標である「1人当たり名目GDP(2023年)」では、アメリカは8万2715ドルと7位で、それに対して日本は半分以下の3万3899ドルで34位に沈んでいることです。トランプの妄想とは逆に、貿易赤字のアメリカはゆたかで、貿易黒字の日本は貧乏なのです。
さらなる皮肉は、高関税によってアメリカ人が貧乏になれば、輸入品を買うことができなくなって、貿易赤字が縮小することです。(ほぼ)すべての経済学者が、トランプが唱える「関税による経済回復」を愚行だと批判するのも当然でしょう。
ところで、これまで左派(レフト)やリベラルは、「経済格差」の元凶としてグローバル資本主義を諸悪の根源として批判してきました。今回のドタバタ劇に意味があるとすれば、トランプが関税によってグローバル経済を破壊しようとしたことで、多くの「知識人」が主張してきたように、より公正で平等な世界になるかが事実によって検証できることくらいでしょう。
小宮隆太郎『貿易黒字・赤字の経済 日米摩擦の愚かさ』東洋経済新報社
『週刊プレイボーイ』2025年4月21日発売号 禁・無断転載