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日本の若者が管理職になりたくない理由は「死んでしまう」から 週刊プレイボーイ連載(646)
2022年にパーソル総合研究所が18カ国・地域を対象に「管理職になりたい割合」を調べたところ、日本は19.8%でダントツの最下位でした。日本の会社では、5人の平社員のうち4人が管理職への昇進を望んでいないのです。
この調査で「管理職になりたい国」の上位はインド(90.5%)、ベトナム(87.8%)、フィリピン(80.6%)、中国(78.8%)でした。平均は58.6%、アメリカは54.5%、ドイツは45.1%。日本の上の17位はオーストラリアで、それでも38.0%ですから、日本の会社は異常です。
欧米の研究では、組織のなかでステイタスが高いほど、健康で死亡率も低いことがわかっています。有名なのはイギリスの国家公務員を対象にした大規模調査「ホワイトホール研究」で、「40歳~64歳において、もっとも地位の高い管理職の平均死亡率が全体平均の約半分であるのに対し、もっとも地位の低い事務員の平均死亡率は全体の2倍に達する。両者の差は4倍にもなる」という結果になりました。
国家公務員はイギリスでも社会的地位の高い職業でしょうが、ステイタスは相対的なものなので、すべての組織にステイタスの異なる下位集団がつくられます。そしてどんな場合でも、(相対的に)ステイタスの高い者はより健康で長生きし、ステイタスの低い集団に属すると不健康になってしまうのです。
これが、わたしたちがステイタスをめぐって死に物狂いの競争をする理由です。ステイタスが低いと、文字どおり「死んでしまう」のです。
ところが2019年、東京大学の国際共同研究が、日本と韓国および欧州8カ国(フィンランド、デンマーク、イングランド/ウェールズ、フランス、スイス、イタリア(トリノ)、エストニア、リトアニア)の35~64歳の男性労働者を対象に心疾患などでの死亡率を比較したところ、奇妙な結果が出ました。
それによると、欧州では(ステイタスの低い)「肉体労働系」の死亡率がもっとも高く、(ステイタスの高い)「管理職・専門職」の死亡率がもっとも低くなり、これは先行研究と一致します。ところが日本と韓国は逆に、「管理職・専門職」の死亡率が「農業従事者」に次いでもっと高く、「肉体労働系」や「事務・サービスなど」を上回ったのです。
なぜこんなことになるのでしょうか。それは欧米と異なって、日本の中間管理職が昇進によって、逆にステイタスが低くなると考えれば理解できます。
人口減で国内市場が縮小し、売上も利益も落ちていくなかで、組織をまとめながら業務を回していく責任は中間管理職の肩に重くのしかかっています。ステイタスを誇示するような管理職は若手から嫌われ、やっていけなくなるでしょう。上にも下にも気をつかわなければならないのなら、ストレスで健康を害したとしても不思議はありません。その結果、日本では「下級熟練労働者」つまり平社員の死亡率が、管理職・専門職の約7割でもっとも低くなっているのです。
日本の若者が会社でこの現実を目の当たりにしているとすれば、管理職にならないのが合理的で正しい選択なのです。
参考:マイケル マーモット『ステータス症候群 社会格差という病』鏡森定信、橋本英樹監訳/日本評論社
「日本と韓国では管理職・専門職男性の死亡率が高い 日本・韓国・欧州8カ国を対象とした国際共同研究で明らかに」田中宏和他、東京大学プレスリリース
『週刊プレイボーイ』2025年6月16日発売号 禁・無断転載
職場の「クソ野郎問題」をどうすべきか?
ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2021年7月29日公開の「職場に山ほどいる「クソ野郎」上司を回避し、 自らもならないためのルールとは?」です。(一部改変)

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出版社で働いていた20~30代の頃の話だが、たまに読者から抗議の電話がかかってきた(会社にいきなり乗り込んでくるひともいた)。その多くは、多少面倒でも、説明すればわかってくれたが、なかにはとてつもなく理不尽なクレームもあった。
そこから、どうやら世の中には一定の数の「かかわりあうとヒドい目にあう」人間がいるらしいことに気づいた。その割合は1%から最大5%くらいで(さすがにそれ以上ということはないだろう)、穏やかな気持ちで日々を過ごすいちばんの秘訣は、この「やっかいなひと」とかかわらないようにすることだ。これが、私が自由業(フリーランサー)をしている大きな理由のひとつで、人間関係を選択できるだけで幸福度は大きく上がる。
じつはこのことはみんな気づいていて、英語圏では「asshole(アスホール)問題」と呼ばれる。assholeは「ケツの穴」のことだが、卑語で「クソ野郎」のことだ。
ロバート・I・サットンはスタンフォード大学経営理工学部教授で、2003年にハーバード・ビジネス・レビュー(HBR)の特集「ブレークスルー・アイデア」で、採用や昇進における“no asshole” rule(ノー・アスホール・ルール)を提案した。職場からasshole(クソ野郎)を追放するルールが必要だという、日本語に訳して100字にも満たない短い文章だったが、これがすさまじい反響を引き起こした。
国内のビジネスマンから始まって、やがてイタリアのジャーナリスト、スペインの経営コンサルタント、アメリカ大使館(ロンドン)の経営担当参事官、上海の高級ホテルのマネージャー、アメリカ合衆国最高裁判所の調査員などなど、世界中のあらゆる職種のひとたちから数えきれないほどのメールが送られてきた。みんな自分自身のasshole体験を知ってほしかったのだ。
ここから、世の中にはasshole(クソ野郎)に苦しめられているひとたちがものすごくたくさんいることに気づいたサットンは、「人から聞いた恐怖や絶望にまつわる話をはじめ、彼らがクソ野郎の攻撃を毅然と切り抜けた方法や、思わず笑ってしまうような復讐譚、嫌なやつらに対するささやかな勝利の話」などをまとめることを思いついた。これが『チーム内の低劣人間をデリートせよ クソ野郎撲滅法』(片桐恵理子訳/パンローリング)で、原題は“The No Asshole Rule; Building a Civilized Workplace and Surviving One That Isn’t(ノー・アスホール・ルール 文明的な職場をつくることと、そうでない場合に生き延びること)。 続きを読む →
行動遺伝学によって従来の心理学は書き換えられつつある
ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2020年4月23日公開の「「個人差あるところ、遺伝あり」 行動遺伝学というラディカルな学問によって 従来の心理学は危機を迎えている」です。(一部改変)

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行動遺伝学は一卵性双生児や二卵性双生児など「ふたご」を調べることで、こころが遺伝や環境によってどのように影響されるのかを明らかにする学問だ。なぜふたごかというと、一卵性双生児はすべてのDNAを共有し、二卵性双生児は同じ胎内環境で育ちながらも、ふつうのきょうだいと同様に平均して半分のDNAを共有するため、両者を比較することで遺伝と環境を分離できるからだ。
最初にこのことに気づいたのはダーウィンのいとこで「統計学の祖」でもあるフランシス・ゴルトンだったが、そのゴルトンが優生学を唱えたことで、行動遺伝学はそれ以来、アカデミズムのなかでずっと偏見にさらされつづけることになった。
ゴルトンの生きた19世紀は遺伝と進化の仕組みが徐々に理解され、「神がヒトをつくったわけではない」という“驚くべき事実”が知識層のあいだで広まっていった。それとともに、植物や家畜の交配によって「(人間にとって)よりよい種」をつくるさまざまな試みが大きな成果をあげた。そんな時代背景を考えれば、啓蒙主義時代の大知識人だったゴルトンが「交配によってすぐれた人類をつくる」という「リベラル」な理想を掲げたのは当然だった。
だがこの試みはその後、ナチスによってグロテスクに実践され、第二次世界大戦後、人間に対する遺伝の研究は冬の時代を迎えることになった。そんな逆境のなかでも1960年代になると、双生児を対象とした遺伝の研究が復活する。アメリカのアカデミズムで勃発した「社会生物学論争」というイデオロギー闘争を経て、ヒトゲノム計画が始まった90年代以降は大量の研究論文が発表され、行動遺伝学はいまや分子生物学や進化論、脳科学などと融合して「人文科学(人間や社会についての理解)のパラダイム転換」を牽引している。
私はこれまで『言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)などで行動遺伝学の知見を紹介してきたが、その理由は、この「科学」が従来の心理学を根底から書き換えることを迫っているからだ。たとえば、母と子どもの幼児期の関係が将来に決定的な影響を与えるという「愛着理論」は、近年の心理学のなかでもっとも有名になった学説だが、行動遺伝学の知見に照らすとその科学的基盤はきわめて疑わしい。
そこで今回は、日本における行動遺伝学の第一人者である安藤寿康氏の『「心は遺伝する」とどうして言えるのか ふたご研究のロジックとその先へ』(創元社)から、このラディカルな学問がどのように心理学の常識を覆しつつあるのかを見てみたい。 続きを読む →