「日本的雇用が日本人を不幸にしてきた」という不都合な真実 週刊プレイボーイ連載(378)

平成もいよいよ終わろうとしていますが、この30年間を振り返っていちばん大きな変化は、日本がどんどん貧乏くさくなったことです。

国民のゆたかさの指標としては1人当たりGDPを使うのが一般的です。日本はバブル経済の余勢をかって1990年代はベスト5の常連で、2000年にはルクセンブルクに次いで世界2位になったものの、そこからつるべ落としのように順位を下げていきます。

2017年の日本の1人当たりGDPは世界25位で、アジアでもマカオ(3位)、シンガポール(9位)、香港(16位)に大きく水をあけられ、韓国(29位)にも追い越されそうです。訪日観光客が増えて喜んでいますが、これはアジアの庶民にとって日本が「安く手軽に旅行できる国」になったからです。

このていたらくを「グローバリストの陰謀」と怒るひとがいそうですが、これは事実(ファクト)に合致しません。「グローバリストの総本山」であるアメリカ(8位)の1人当たりGDPは5万9792ドルで、日本は3万8449ドルですから、国民のゆたかさは3分の2しかありません。これを単純に解釈すれば、「日本をもっとグローバリズムの国に!」ということになります。

平成の日本のもうひとつの「不都合な事実」は、サラリーマンのエンゲージメント指数が極端に低いことです。「会社への関与の度合いや仕事との感情的なつながり」を評価する基準で、エンゲージメントの強い社員は仕事に対してポジティブで、会社に忠誠心を持っているとされます。

近年になってエンゲージメントの重要性が認識されるようになり、コンサルタント会社を中心にさまざまな機関による国際比較が公表されるようになりました。それぞれ評価方法はちがいますが、衝撃的なのは、どんな基準でも日本のサラリーマンのエンゲージメント指数が最低だということです。

「グローバルスタンダードの働き方を日本にも導入しよう」という話になったとき、右も左もほとんどの知識人は、「終身雇用・年功序列の日本的雇用が日本人を幸福にしてきた」として「雇用破壊の陰謀」を罵倒しました。ところが「ファクト」を見るかぎり、日本のサラリーマンは世界でいちばん会社を憎んでおり、仕事に対してネガティブで、おまけに労働生産性は先進国でいちばん低いのです。これを要約すれば、「日本的雇用が日本人を不幸にしてきた」ということになるでしょう。

会社が大嫌いにもかかわらずサービス残業などで長時間労働させられるため、日本の会社では過労死や過労自殺という悲劇があちこちで起きています。市場が縮小するなかでは昇進の余地は限られ、どんなに頑張っても給料はほとんど上がらず、年金と高齢者医療・介護を守るために保険料は重くなって手取りが減っていきます。国全体がどんどん貧乏になっているのですから、「戦後最長の好景気」を実感できないのも当たり前です。

日本人は「嫌われる勇気」を持って「置かれた場所で咲こう」としますが、現実には置かれた場所で枯れていってしまいます。そんな社会で「幸福」を手にするにはどうすればいいかを『働き方2.0vs4.0』(PHP)で書きました。

「人生100年時代」に、あなたはどんな「働き方」を選びますか?

『週刊プレイボーイ』2019年4月1日発売号 禁・無断転載

第82回 不合理なアパート商法なお(橘玲の世界は損得勘定)

かれこれ20年ちかく前になるが、本紙のコラムで「生命保険の仕組みは宝くじとまったく同じ」と書いたことがある。保険料=賭け金を払い、不幸な出来事が起きると保険金=当せん金を受け取る「不幸の宝くじ」を、保険会社は「愛情」の美名の下に販売しているという、ちょっとした皮肉だ。

この記事には、保険販売員の方から数件の抗議をいただいた。自分たちはお客様の幸福を願って保険を売っているのに、それを「不幸の宝くじ」とはなにごとか、というお叱りだった。

その当時はワンルームマンション投資が流行っていて、「賃料保証で利回り10%」などとさかんに宣伝していた。しかし考えてみると、そんな物件がほんとうにあるなら、不動産会社は銀行からお金を借りて自分で投資するはずだ。それなのになぜ、赤の他人に「うまい話」を教えるのか。それは営利企業が世を忍ぶ仮の姿で、その実態は「慈愛にあふれたボランティア団体」だからだ――とも書いた。

皮肉としてはこっちの方がはるかにキツいと思うのだが、奇妙なことに、不動産業界からは1件の抗議もなかった。

私はその理由を、不動産業に携わるひとたちは懐が深く寛大だからだと思っていたのだが、スルガ銀行やレオパレスなど「アパート商法」の不祥事が続発するに及んで考えを改めた。

いつまでも続くゼロ金利の世の中で、賃料保証で確実に儲かる投資機会があるなら、金融機関は個人にお金を貸したりせず、だぶついた資金を子会社に融資してアパート経営をやらせるだろう。「不動産の有効活用」がほんとうにできるなら、不動産会社は土地を買い取って自分でアパートを建てればいい。

私はこの20年間、「賃料保証の不動産投資は経済合理的に成り立たない」と繰り返し述べてきたが、あいつぐ事件を見ると、その間もネギを背負ったカモが続々とやってきたようだ。だがここでいいたいのは、「(私の)言論になんの影響力もない」ということではない(たぶんそうだろうが)。不動産業者にとっては、影響力があった方がうれしいのかもしれない。

多額の借金を背負ってアパートを建てるよう顧客を説得するには手間も時間もかかる。そんな営業マンにとって最大の悲劇は、さんざん説明させられたあげく、「そんなうまい話ならなんで自分でやらないの?」と訊かれることだろう。このひと言でそれまでの努力は水の泡になり、またゼロからのやり直しだ。

こんな徒労を避けるには、経済合理的な顧客が最初から来ないようにしておくのがいちばんだ。そのように考えると、不動産業者が私の皮肉にまったく腹を立てなかった理由がわかる。

「アパート商法は不合理」という話に「なるほど」と納得したひとは、不動産会社の敷居をまごごうとは思わないだろう。そうなれば、すべての営業資源を「うまい話」を信じる見込み顧客だけに集中することができる。

不動産業界のこころの広いひとたちはこのことを知っていて、私の無礼な文章を喜んで読んでいたのだ、たぶん。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.82『日経ヴェリタス』2019年3月24日号掲載
禁・無断転載

統計の基本を知らない「専門家」が虐待を解決できる? 週刊プレイボーイ連載(377)

このコラムで「あらゆる犯罪統計で幼児への虐待は義父と連れ子のあいだで起こりやすく、両親ともに実親だった場合に比べ、虐待数で10倍程度、幼い子どもが殺される危険性は数百倍とされている」と書いたところ、一部で「非科学的」「似非科学」との批判がありました。

その根拠は厚生労働省所管の社会保障審議会専門委員会による報告(「子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について」第13次報告)で、「主たる加害者」の項目には「平成 27 年度に把握した心中以外の虐待死事例では、「実母」が 26 人(50.0%)と最も多く、次いで「実父」が 12人(23.1%)であった」と書かれています。主たる加害者が実父なら、「継子のリスクがはるかに大きい」ということはできません。

私が参照したのは北米のデータで、進化心理学ではこれを、「長い進化の過程において、ヒトが血のつながらない子どもよりも血縁のある子どもを選り好みするようになったからだ」と説明します。これはきわめて強力なエビデンス(証拠)で、1980年代に提示されたときは(当然のことながら)物議をかもしましたが、現在に至るまで反証されていません。

専門委員会の報告書が述べるように、実父が「主たる加害者」であればこの主張は真っ向から否定されます。「日本人だけが特別で、世界とはまったく別の進化を遂げてきた」ということになりますが、はたしてそんなことがあるのでしょうか。

ここで、1000人からなる集団Aと、10人からなる集団Bを考えてみましょう。統計調査によると、集団Aでは虐待死が10件起こり、集団Bでは1件でした。これは10倍ものちがいですから、「主たる加害者」は集団Aとなります。

さて、これのどこがおかしいかわかるでしょうか。

統計学の初歩の初歩ですが、集団の大きさが異なる場合、それぞれを同じ大きさにしてから比較しなければなりません。これが「標準化」で、1000人あたりで見るならば、集団Bの虐待死は100件になって、集団A(10件)よりはるかに多いことがわかります(「虐待死の割合は集団Aが1%、集団Bは10%」といっても同じです)。

具体的なデータを見ると、「心中以外の虐待死」の3歳以上では、実父による加害が6件に対して、「実母の交際相手」を含む血縁関係のない男性による加害は(疑義事例も入れて)計7件で、実数でも逆転しています。日本では実子と継子の割合は公表されていないようですが、血のつながらない男性と暮らす子どもより、実父と暮らす子どもの人数の方がはるかに多いことは明らかです。この2つの集団を標準化して比較すれば、日本においても、「虐待は義父と連れ子のあいだで起こりやすい」のはまちがいありません。

不思議なのは「専門」委員会が、小学校高学年でも知っていそうな統計の基本を無視して虐待の「主たる加害者」を特定していることです。

ゴミを入れればゴミしか出てこないのは当たり前です。データの分析が間違っているのに、どうやって虐待という深刻な問題を解決できるというのでしょうか。

厚労省の「統計不正」が批判されていますが、「専門家」ですらこのありさまでは問題ははるかに深刻です。一省庁をバッシングすれば済むような話ではなく、この国における「専門」の意味から問い直す必要がありそうです。

参考:子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について(第13次報告)

『週刊プレイボーイ』2019年3月25日発売号 禁・無断転載