ひきこもりは100万人ではなく500万人? 週刊プレイボーイ連載(381)

秋田県藤里町は人口3200人、65歳以上が43.6%と全国平均(26.6%)を大きく上回る「高齢化した地方」の典型です。そんな町で2010年2月、ひきこもりと長期不就労者の実態調査が行なわれました。

調査を行なったのは町の社会福祉協議会で、それまでは「福祉で町づくり」を掲げて介護予防・支援などの取り組みを行なってきました。ところがその過程で、老人ばかりだと思っていた町に若年層のひきこもりがかなりの数いることがわかり、とりあえずその人数を調べてみようということになったのです。

藤里町社協の調査の特徴は、ひきこもり状態か否かにかかわらず、「18歳以上55歳未満で、(学生や専業主婦などを除いて)定職をもたずに2年以上経過したひとすべて」を把握しようとしたことと、地域からの情報提供を受けてソーシャルワーカーが「あなたのお宅に、ひきこもっているお子さんがいらっしゃいますよね?」と一軒一軒確認したことです。

一人暮らしの老女の家に音信不通だった息子が帰ってくる、認知症になった親の介護のために娘が仕事を辞めたが再就職できない……こうした話はよく聞くものの、調査を率いた社協の事務局長は、その人数を20人か、多くても30人と見込んでいました。ところが1年半におよぶ調査の結果、高齢化が進んだこの小さな町になんと113人もの「ひきこもり(長期無業者)」がいたのです。

対象年齢に占める「ひきこもり」比率は8.74%、男性が女性の約2倍で、40歳以上が半数ちかくにのぼることも明らかになりました。

内閣府が40~64歳までのひきこもりを約61万人と発表し、40歳未満の約54万人と合わせて全国で100万人以上になったことに驚きが広がりました。しかし藤里町の徹底した全数調査は、事態がさらに深刻なことを示唆しています。

18歳以上55歳未満の人口は5703万人(2017年)、その8.74%は498万人です。都市と地方では環境が異なるし、藤里町の調査は精神疾患なども含まれているため単純にあてはめることはできないとしても、この数字は衝撃的です。――内閣府調査は64歳までを対象に「ひきこもり状態になって6カ月以上」の人数を推計していますが、藤里町社協が調べたのはシルバーバンク(高齢者就労支援事業)の対象にならない55歳未満で、なおかつ「2年以上」働いていない町民なのです。

「ひきこもり500万人」なんてありえないと思うかもしれません。しかし藤里町の結果を男女比で見ると、「ひきこもり率」は男が11.6%、女が5.6%です。地域の子どもが集まる公立中学校の40人学級(男女同数)で、男子生徒2人、女子生徒1人が55歳までにひきこもりになると考えれば、これが荒唐無稽な数字とはいえないことがわかるでしょう。

藤里町の訪問調査では、本人は求職準備のために一時的に故郷に戻っていると思っていながら、その期間が5年(あるいは10年!)を超えていたり、「うちの子どもは遊び回っている」と親は思い込んでいても、その「遊び」はガソリンがなくなるまで一人でドライブすることだった、というケースがありました。

全国調査でも、アンケートではなく訪問調査で対象世帯の実態を調べれば驚くような数字が出てくる可能性があります。必要なのはまず、私たちの社会がどうなっているのか、そのほんとうの姿を知ることではないでしょうか。

参考:藤里町社会福祉協議会、秋田魁新報社『ひきこもり町おこしに発つ』(秋田魁新報社)

『週刊プレイボーイ』2019年4月22日発売号 禁・無断転載

令和は団塊の世代に年金を払う時代 週刊プレイボーイ連載(380)

新元号が「令和」になったことで、あらためて「平成」や「昭和」を振り返る機運が盛り上がっています。

第二次世界大戦が終わると、すべての国で出生率が大きく上がるベビーブームが起きました。日本では「団塊の世代」と呼ばれ、1947年から49年までの3年間の合計出産数は800万人を超え、日本の人口ピラミッドのなかで突出したブロックを構成しています。

1960年代後半に青年期を迎えた彼らは、フォークやロックなど欧米の新しい音楽を真っ先に取り入れ、安保闘争などの学生運動にかかわったのち、70年代には「企業戦士」として戦後の高度成長を牽引します。昭和は戦前と戦後に分かれますが、多くのひとがイメージする「昭和」は80年代末のバブル経済で頂点に達するこの時期でしょう。

元号が昭和から平成に変わる頃、団塊の世代は40代前半で、子育てにもっとも経済的負担のかかる時期にさしかかっていました。バブル崩壊は彼らの人生設計を大きく動揺させ、この時期の政治の役割は、巨額の公的資金を投入して団塊の世代の生活を下支えすることになります。建設業での雇用を維持するために、日本全国に採算のとれない橋や道路、豪華な庁舎や公民館などの公共施設があふれたのはその象徴です。

団塊の世代の子どもたちが「団塊ジュニア」で、1971年から73年までの3年間に600万人が生まれました。彼らが大学を卒業する90年代半ばはバブル崩壊後の「就職氷河期」で、正社員として採用されずフリーターや非正規(派遣社員)となる若者が大きく増えました。「ニート(就学・就労・職業訓練のいずれも行なっていない者)」が社会問題になるのもこの頃です。

いまから振り返るならば、この時期の日本経済に起きたのは、「子どもを労働市場から排除することで親の雇用を守る」という現象でした。その結果、自活するだけの収入を得られずに成人してからも実家で暮らす「パラサイトシングル」が登場し、アルバイトで働くことすらできなくなると「ひきこもり」と呼ばれるようになりました。

令和元年には団塊の世代は70代になり、早晩、後期高齢者(75歳以上)として労働市場からかんぜんに退場することになります。70代の金融資産(2人以上世帯)は平均で1780万円ですが、金融資産非保有が28.6%とほぼ3世帯に1世帯で、3000万円以上は18.3%で5世帯に1世帯程度です(2018年)。70歳の平均余命は男性15年、女性20年ですから、団塊の世代の8割は人生終盤のこの期間をほぼ年金に頼って生きていくことになります。

このように考えると、これから始まる令和の姿がおおよそ見えてきます。「平成」が団塊の世代の雇用を守るための30年だったするならば、「令和」は団塊の世代に年金を支給し、医療や介護を提供するための時代になるでしょう。

団塊の世代が90代を迎える2040年には団塊ジュニアが前期高齢者(65歳以上)となって日本の高齢化比率は35%に達し、単純計算では、現役世代1.5人で高齢世代1人を支えることになります。

令和の時代の私たちは、戦後日本の主役となった人口ピラミッドの大きなブロックの動きにともなう、さまざまな政治的・社会的出来事を体験することになるのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2019年4月15日発売号 禁・無断転載

 

テロ事件の犯人に共通するのは「若い男」 週刊プレイボーイ連載(379)

ニュージーランド、クライストチャーチのモスクで礼拝者ら50人が死亡する凄惨なテロが起きました。犯人は28歳のオーストラリア人男性(白人)で、74ページにも及ぶ犯行声明をネットに投稿するとともに、銃撃の様子をフェイスブックにライブ配信したことで世界じゅうに衝撃を与えました。

今回の事件に大きな影響を与えたのは、2011年にノルウェーで10代の若者ら77人を射殺したテロだとされます。こちらの犯人は32歳の白人男性で、「極右思想を持つキリスト教原理主義者」と報じられました。

IS(イスラム国)戦闘員による相次ぐ事件によって、中東からの移民やイスラームがテロと結びつけられましたが、今回の事件は人種や宗教が本質的な要因ではないことを示しています。キリスト教徒の白人もテロを引き起こすからです。

2016年に相模原市の障害者福祉施設に元職員が侵入し、入所者19人を刺殺、職員ら26人に重軽傷を負わせました。戦後最悪の大量殺人となったこの事件の犯人は、当時26歳の男でした。

これらの事件には明瞭な共通点があります。それは犯人が「若い男」であることです。ISのテロも同じで、どれも目的を達成するために周到に準備し、冷静沈着に犯行が行なわれています。「精神錯乱」や「一時の激情」ではとうてい説明できません。

犯人が若い男ばかりなのは偶然ではありません。あらゆる国で凶悪犯罪に占める若い男の比率は際立って高く、女性や子ども、高齢者はめったなことでは殺人を犯しません。

性ホルモンの一種であるテストステロンは睾丸などから分泌され、その濃度は思春期の男性で爆発的に増え、年齢とともに減っていきます。これによって筋肉や骨格が発達しますが、そのもっとも重要な作用は脳の配線を組み替えて性愛への関心を高めるとともに、冒険や競争を好むようにすることです。

多くの哺乳類と同様に、男は思春期になると女の獲得をめぐるきびしい闘いの世界に放り込まれます。私たちはみな何百万年、あるいは何千万年も続いたこの性淘汰に勝ち抜いた男たちの子孫で、思春期から20代にかけて攻撃的・暴力的になるよう進化の過程のなかで「設計」されているのです。

さまざまなテロ事件のもうひとつの共通点は、犯人が自らの凶行をまったく反省していないことです。これは自分が「正義」を体現していると確信しているからでしょう。

男の暴力は集団内の女性獲得競争だけでなく、集団同士の抗争でも発揮され、こちらの方がより激烈・残虐になります。これはチンパンジーも同じで、集団間の抗争に敗れればメスを奪われ、オスは皆殺しにされてしまいます。生き残るためには先に殺すしかないのです。

テロの実行者は、たとえ単独犯であっても、「白人」「イスラーム」「日本人」などの(幻想の)共同体を代表し、「仲間たち」を救うために犯行に及んだと主張します。彼らはみな、妄想のなかでは「救世主」なのです。

しかしそれでもなお疑問は残ります。ほとんどの若い男は、たとえ過激な思想の持ち主でも、女子どもを含む見ず知らずの人間を殺して自分の人生を台無しにしようとは思わないからです。

そうなると最後の共通点は、「彼らの人生はもともと台無しだった」ということになります。そして不吉なことに、世界じゅうで(もちろん日本でも)、社会からも性愛からも排除された若い男は激増しているのです。

参考:リチャード・ランガム、デイル・ピーターソン『 男の凶暴性はどこからきたか』( 三田出版会)

『週刊プレイボーイ』2019年4月15日発売号 禁・無断転載