「共産主義の犯罪」をめぐる歴史戦の末路

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトでロシアのウクライナ侵攻について書いたものを、全6回で再掲載しています。第4回は歴史家マルレーヌ・ラリュエルの『ファシズムとロシア』(翻訳:浜 由樹子/東京堂出版)の紹介です。(公開は2022年5月13日。一部改変)

左がファシズム、右が共産主義支配を表わす。2014年ハンガリー・ブダペスト  (@Alt Invest Com)

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2014年にハンガリーのブダペストを訪れたとき、歴史展が行なわれていたらしく、街じゅうで「Double Occupation(二重占領)」と書かれたポスターを見かけた。最初はなんのことかわからなかったのだが、その後、ハンガリーの現代史を展示する「恐怖の館(House of Terror)」博物館を訪れて、これが20世紀におけるファシズム(ナチスドイツの傀儡政権である矢十字党=国民統一政府)と、その後の共産主義支配(ソ連の衛星国家)という「民族の悲劇」を表わす言葉だと知った。

5月9日の(第二次世界大戦)戦勝記念日の演説で、ロシアのプーチン大統領は、「世界からナチスらの居場所をなくすために戦っている」とウクライナ侵攻を正当化した。ところがそのプーチン政権を、歴史家ティモシー・スナイダーは「ポストモダンのファシズム」だとする。

[参考記事]●ロシアは巨大なカルト国家なのか

だとしたら、いったいどちらが「ファシズム」なのだろうか。マルレーヌ・ラリュエルの『ファシズムとロシア』はまさにこの問題を扱っている。

ラリュエルはフランス出身の歴史学者で、現在はアメリカのジョージ・ワシントン大学ヨーロッパ・ロシア・ユーラシア研究所長。ロシアおよび旧ソ連地域のイデオロギーとナショナリズムが専門だ。

ただし、本書の主題である「ロシアとファシズム」を論じるためには、その前提として、日本ではあまり知られていない、ロシアと中・東欧やバルト諸国の「記憶をめぐる戦争」について、その概略だけでも理解しておく必要がある。なぜなら、ロシアのウクライナ侵攻はそれ以前の「歴史戦」の延長だから。なお、本稿はロシアの侵略行為に何らかの正当性があると主張するものではない。

「記憶をめぐる戦争」の勃発

2020年1月、ウクライナのゼレンスキー大統領は、アウシュヴィッツ強制収容所解放から75周年の記念行事を受けて、「ポーランドとポーランド国民は、全体主義体制の共謀を最初に体感した。これが第二次世界大戦の勃発につながり、ナチが破壊的なホロコーストを実行することを可能にしたのである」と述べた。

「全体主義体制の共謀」という表現で、ナチズムとスターリニズムを同列に扱うこの発言は、「ロシア国民に大変なショックを与えた」。プーチンは、「ロシアとその前身であるソ連邦に(間接的であっても)ホロコーストの責任を帰そうとする試みを、激しく非難した」とラリュエルは書く。

ゴルバチョフ政権下でソ連が解体をはじめると、1988年から90年にかけてエストニア、ラトヴィア、リトアニアのバルト三国とジョージアが次々と独立を宣言し、91年12月には(ソ連から独立したロシア共和国の)ボリス・エリツィン大統領がウクライナとベラルーシの独立を認め、ソ連に代わる独立国家共同体(CIS)を創設した。

ソ連が解体すると同時に、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーなどの中欧諸国が「民主化」を達成してソ連の影響から離脱した。これらの国々は、ウクライナとベラルーシを除いてEUとNATOに加盟し、「ヨーロッパ」の一員になった。

この大きな動乱が一段落した2000年代はじめから、旧ソ連圏の国のあいだで、これまでとは異なる歴史の語り(ナラティブ)が登場した。それに対してロシアは、これを「歴史修正主義」と見なして強く批判するようになる。

EU創設によって、第二次世界大戦に関していえば、西ヨーロッパは共通の歴史観の構築に成功した。戦後の経済復興(アメリカの援助)と冷戦(ソ連の核の恐怖)という現実の下、フランスと(西)ドイツが勢力圏を競ったり、戦勝国と敗戦国が賠償問題で争う余地がなくなったからだ。イギリスを含め、西ヨーロッパのひとたちは、ソ連の脅威に対抗するには団結するほかないことを当然の前提として受け入れた。こうして、ユダヤ人へのホロコーストを除いて、さまざまな歴史的対立は解決済みとされた。――その後、2014年のユーロ危機のときにギリシアがドイツに対して第二次世界大戦の賠償を求めた。

だがこの「平和」は、中・東欧諸国やバルト三国がEUに加入すると揺らぎはじめる。その事情を、ラリュエルはこう述べている(改行を加えた)。

西欧諸国にとって終戦は、平和な戦後の再建設と30年間の実り多い経済成長に道を拓いた。中・東欧諸国にとっては、強制的な社会主義ブロックへの編入の始まりであり、バルト三国にとっては国家の独立を失うことをも意味した。
ヨーロッパの枠組みの「外側」に置かれた40年間を経験したこれらの国々は、1989年のベルリンの壁崩壊と、その後の2000年代のEUとNATOへの加盟をもって初めて「正常」への回帰を体感した。
だから、中・東欧諸国がEUに入ると、その10年間の後半にロシアとの記憶をめぐる戦争がエスカレートしたのは偶然ではない。彼らにとっては、20世紀のナショナル・ヒストリー、特に第二次世界大戦史を書き直すことは、「ヨーロッパの一員としての運命」を再確認し(略)、「ヨーロッパの記憶を助ける地図」に影響を及ぼすことと、密接につながっている。

第二次世界大戦で米英仏の連合軍とソ連が、ドイツとイタリア・日本のファシズムを打ち倒したというのが、戦後の国際社会を支配した「正統な歴史観」だ。(ドイツではなく)ナチズムを「絶対悪」とすることは、西ヨーロッパ諸国にとっては自国内のナチ協力者を不問に付し、ソ連にとってはスターリンが行なった多くの暴虐行為を隠蔽できるため、すべての当事者にとって都合がよかった。

西側とソ連は冷戦下で対立していたが、「ともにファシズムと戦った」という暗黙の前提を共有していた。だがこの「公式」の歴史観は、ソ連によって独立を奪われたり、衛星国として支配されていた国にとって、とうてい受け入れがたいものだった。

ソ連が解体して冷戦が終わり、こうした国々が独立すると、「歴史の修正」を突きつけられたロシアだけでなく、中・東欧へと「ヨーロッパ」の境界を拡張したEUにとっても、新たな加盟国の「異議申し立て」をどのように取り扱うかが重大な問題になった。これが「記憶をめぐる戦争」の基本的な構図だ。

大飢饉はウクライナへのジェノサイド

「記憶をめぐる戦争」で先行したのはバルト三国で、1991年、リトアニア最高会議は「ソヴィエト連邦がリトアニア共和国とその市民たちに負わせた被害に対する補償について」と題した決議を通過させ、翌92年に、ソ連軍だけでもリトアニアの国民、経済、自然、農業に800億ドル以上相当の損害を負わせたという見積もりをモスクワに示した。それより10年以上遅れたが、エストニアおよびラトヴィアも2004年、ソ連による占領下でもたらされた数億ドルにのぼる損害に対する公式要求をモスクワに出した。

一方、歴史展示で先行したのがラトヴィアで、早くも1993年に「ソ連による違法な占領とみなす1940年から1991年を記念するだけでなく、ナチによる占領経験とも比較する」占領博物館を開館させている。私が訪れたブダペストの「恐怖の館」は2002年開館で、03年にエストニア、06年にはジョージアが独自の占領博物館をオープンした。

リトアニアはソ連占領下の損害賠償請求に続いて、2000年、首都ヴィリニュスで「共産主義の犯罪を評価する国際会議」を開催し(ポーランドの元大統領レフ・ワレサが出席)、「共産主義犯罪の評価に関するヴィリニュス国際法廷」を立ち上げている。そこでは「ジェノサイド」を拡大解釈し、「ナチスドイツとソ連によってリトアニアが占領、併合された間に行われたリトアニア住民の殺害、拷問、強制移住」と定義された。

ラトヴィアとエストニア両国はロシア系住民の比率が高い(ラトヴィア人口の40%、エストニア人口の30%)が、独立を達成した際、1940年6月以降に移住してきた者(その多くがロシア系)に国籍を与えなかったため、膨大な数の「無国籍者」を生み出した。国政選挙の選挙権がなく、パスポートも持てない(ロシアとの往来のみ可能)という無国籍者の存在はEUでも問題視されているが、ロシア系住民に一律に国籍を付与することには反発が強く、いまだ解決できていない。

「自国民ファースト」の政策は、当然のことながら、ロシア人マイノリティとのあいだに緊張を生みだしている。2007年、エストニアでは第二次世界大戦の勝利を記念する「兵士の像」の移転にともなってロシア系住民とエストニア警察の間に暴力的衝突が起き、ロシア人側に1名の死者が出た。

こうした歴史の見直しはバルト三国だけでなく、中・東欧諸国も同様だが、2004年のオレンジ革命を経てウクライナがそこに加わった。焦点になったのはスターリン時代の1932年から33年にかけて、およそ700万人から1000万人が犠牲になったとされるホロドモール(大飢饉)だ。

歴史家の多数意見では、この大飢饉はスターリンが行なった無謀な農業集団化の結果で、その影響はウクライナだけでなく、ロシアを含むソ連の主要な農業生産地域の全域に広がったとされている。だがウクライナの歴史観では、飢饉はウクライナ独立運動を根絶やしにするためにクレムリンが計画したもので、それゆえ殺害の意図によって定義されるジェノサイドに分類されるべきであるとされた。

2006年、ウクライナ議会はホロドモールを故意のジェノサイドと認める法を可決し、「スターリニズムの時代に行われた犯罪を記録し、ウクライナ国民と文化に対する暴力を伝えるための「国民の記憶研究所」」が設立された。さらに、ホロドモールとホロコーストを否定する行為を犯罪とする法案が国家に提出され、ホロドモールを記念するいくつもの記念碑がウクライナの国内外に建てられた。2010年には、ロシア寄りのヤヌコヴィッチ政権下にもかかわらず、キーウ(キエフ)控訴審はスターリンとその他のソ連の政治指導者をジェノサイドの罪で有罪とした。

ポーランドでは2018年、ホロコーストに加担したと主張する、あるいはナチの絶滅収容所を「ポーランドのもの」と描写する者には禁錮刑を科すという新しい法律が施行された。こうした傾向は他の国も同じで、ラリュエルは「ナチ体制との協力者の事例に対して、地元当局や住民がホロコーストで果たした役割を減じるというスタンスを生み出している」と指摘している。

西ヨーロッパは、「ロシア国民」と「スターリニズム」を分離して加害責任を追及しようとしている

「歴史戦」に巻き込まれたEU

2006年、バルト諸国の要請により、欧州評議会議員会議(PACE)は決議1481号「全体主義体制による犯罪を国際的に非難する必要性」を採択した。これは共産主義体制によって行なわれた人権侵害を国際的な委員会が調査することを求めるもので、「共産主義の歴史と自国の過去を再評価し、全体主義的共産主義体制が犯した罪から自らを明確に切り離し、それをいかなる曖昧さも持たずに非難する」とした。

2008年、欧州議会は「ヨーロッパがスターリズムとナチズムの犠牲者を追悼する日」を、ポーランドの分割が決められたモロトフ・リッベントロップ協定が調印された日(8月23日)に制定するという、もう一つの決議を採択した。これは「スターリズムとナチズムによる侵略行為は、戦争犯罪と人道に対する罪のカテゴリーに属する」とし、共産主義全体ではなくスターリズムに特化した罪をナチズムのそれと等値するものだった。だがこの決議は、ロシアの強硬な抗議を受けたことで数か月後、「すべての全体主義的、権威主義的体制の犠牲者を追悼する日」へと変更された。

欧州安全保障協力機構(OSCE)は北米、欧州、中央アジアの57か国が加盟する世界最大の地域安全保障機構で、ロシアも加盟している。2009年、OSCE議会は、「20世紀にヨーロッパ諸国は二つの主要な全体主義体制、ナチズムとスターリズムを経験した。それらはジェノサイド、人権と自由の侵害、戦争犯罪、人道に対する犯罪をもたらした」とし、全OSCE加盟国に「いかなるイデオロギー的背景から生じたものであれ、あらゆる全体主義的支配に対抗する統一した立場」を取り、「ナチやスターリズムの過去を賛美するデモを主宰することを含め、全体主義体制を美化する行為」を非難することを促した。この決議はロシアが全力で阻止しようとしたが、20票の賛成、8票の反対、4票の欠席で採択された。

ラリュエルは言及していないものの、こうした決議を見ると、西ヨーロッパは、「ドイツ」と「ナチス」を分離することでやっかいな歴史問題を抑え込んだ自らの成功体験を、ソ連時代の戦争犯罪や人権侵害にも当てはめようとしたのではないだろうか。すなわち、「悪いのはスターリンとスターリニズムで、ロシア国民はその被害者だが、それでも周辺諸国への“加害責任”を取らなくてはならない」のだ。

だがそもそも、敗戦国のドイツと戦勝国のソ連では立場がまったく異なる。独ソ戦はヒトラーが不可侵条約を破って一方的に侵略を開始したもので、この「絶滅戦争」によってソ連は1億9000万の人口のうち戦闘員・民間人含め2700万人が犠牲になったとされる。そして、この「大祖国戦争」を勝利に導いたのはスターリンなのだ。

ソ連崩壊後のロシアではスターリンの評価は大きく分かれているが、だからといって他国(とりわけ西欧)が、ヒトラーとスターリンを同一視するような「歴史の修正」をすることをロシアが受け入れるはずはなかった。バルト三国が第二次世界大戦時の「犯罪」に対して金銭的な補償を求めている以上、ロシアがソ連時代の犯罪を謝罪すれば、それは賠償請求への扉を開くことにもなる。

ロシアとウクライナのミラーゲーム

中東欧・バルト三国から始まった「記憶をめぐる戦争」がEUにも飛び火したことで、ロシア国内ではそれに対抗する動きが活発化した。

2009年には、ロシアの保守派議員のあいだで「国民の記憶保全を監督し、ナチズムを復権させようとする試み、連合軍に対する批判、ニュルンベルク裁判についての虚説を3年から5年の刑期で罰するために、刑法典を修正する民衆法廷の創設を講じる」法案の提出が模索された。

同年、メドヴェージェフ大統領は、「ロシアの国益を害する歴史の歪曲と戦う委員会」を立ち上げた。14年には刑法354・1条「ナチズムの復権について」が採択され、「ヨーロッパの枢軸国の主要な戦争犯罪に判決を下し、罰した、国際軍事裁判が認めた事実を否定すること」を犯罪的攻撃行為と定めた。この規定は、「第二次世界大戦中のソ連の行動についての虚偽の情報の故意の拡散」と、「ロシアの国防に関係する軍事的、記憶・記念の日に関して明らかに社会に対する敬意を欠くような情報を拡散すること、そして、ロシアの軍事的栄光のシンボルを公の場で冒涜すること」を犯罪と定めた。

この法律が守ろうとしているのは、ナチスドイツの犯罪を裁いたニュルンベルク裁判と、アメリカとソ連の超大国による国際社会の統治を定めたヤルタ会談という「歴史」だった。その枠組みを無視して、ソ連をナチスの戦争犯罪と同列に扱うことは、「犯罪」以外のなにものでもない。とはいえ、国内法でバルト諸国やウクライナの「反動勢力」を処罰することができない以上、こうした法律にほとんど実効性はなかった。

それに対してウクライナは、2015年、70周年の戦勝記念日の直前、「共産主義と国民社会主義(ナチ)の全体主義体制への非難と、そのシンボルのプロパガンダを禁じる」法を採択。ソヴィエト体制全体を正式に犯罪化し、あらゆるソ連時代のシンボルを撤去することを命じ、違反者は10年以下の禁固刑に処せられることになった。「ほとんど気付かないまま、ウクライナは多くの方法で、2か国間のミラー・ゲームのようにロシアが行っているのと同じ検閲ツールを適用している」とラリュエルはいう。

プトラーとラシズム

ロシアの歴史観にとって「喉に刺さった小骨」は、1939年にソ連(スターリン)とドイツ(ヒトラー)がポーランドの分割とソ連によるバルト諸国併合を決めたモロトフ・リッベントロップ協定の存在だった。そのためソ連の公式史観では、第2次世界大戦は1941年のドイツによる侵攻とともに始まったとされた。

だが「記憶をめぐる戦争」では、1939年のこの出来事を無視することはできない。そこでモスクワ(クレムリン)が持ち出したのは、前年(38年)にイギリス、フランス、ドイツ、イタリアの首脳が集まったミュンヘン会談だ。このとき英仏首脳はヒトラーが求めたチェコスロヴァキアのズデーテン地方の領有権を認め、その代わりにドイツはそれ以上の領土要求を行なわないことで合意した。

新たなロシア(モスクワ)史観では、英仏はこのとき、西側(自分たち)へのドイツの脅威を逸らすため、すべての問題を東側に押しつけた。これによってソ連(スターリン)は、ナチスドイツから国土を守るために、ヒトラーと協定を結ぶことを余儀なくされた。「モスクワの論理では、中・東欧諸国は、西欧にもその悲劇的運命の部分的な責任があると考えるべきであり、ロシアを唯一の罪人として描き出すべきではない」のだ。

この歴史観では、「西側諸国こそが先にヒトラーとの戦闘を避けようと試み、ソ連を置き去りにして単独で東方戦線で戦争に直面させた」ことになる。さらには、バルト諸国はナチの侵略からの自衛のためにソ連に自発的に「加わった」ことになっている。

それに加えてロシアは、ペレストロイカ末期にバルト諸国がソ連を平和裏に離脱することを認めたことや、EUやNATOへの加盟を妨害しなかったことに対して「感謝されることもないという、苦い思いを抱いている」という。

ロシアのナショナリズムにとって、大祖国戦争(ファシズムへの勝利)は国家のアイデンティティそのものだ。それを否定しようとする「ヨーロッパの新しい記憶」は、ロシアから見れば、「ソヴィエト体制に対する一種のニュルンベルク裁判」を行なおうとするもので、「ロシアを歴史的他者に、(略)非ヨーロッパの長年の敵に仕立てている」のだ。

それに対して中・東欧では、自分たちをナチズムとスターリズムの「二重の被害者」だとする新しい国家の物語(ナラティブ)が生まれつつある。EUがこの「歴史の修正」に与することは、ロシアにとっては、「西側がヤルタでこの世界秩序を認めたことを無視し、ヨーロッパの分断に対する唯一の、全責任をロシアに押し付けるもの」でしかない。

ロシアのメディアは、ウクライナの(ゼレンスキーの前の)ポリシェンコ政権を「ファシスト」に、その軍隊を「東部ウクライナの民族的ロシア人へのジェノサイドを執行する死の分遣隊」として描いてきた。「ウクライナ人は何世紀にもわたって大国の傀儡であり続け、自分たちの運命さえ決することができず、「真の」ナショナル・アイデンティティを持っていない」のだという。

それに対してウクライナのメディアは、「プトラー(プーチンとヒトラーを合わせた造語)」というニックネームと、ロシアとファシズムを合わせた「ラシズム」という用語を造り出した。

こうした経緯をまとめたうえで、ラリュエルは「記憶は我々に過去よりも現在のことを教えてくれる」という。そしていまわたしたちが目にしているように、「記憶は「本当の」戦争の道具でもある」のだ。

第1回 ロシアは巨大なカルト国家なのか?
第2回 陰謀論とフェイクニュースにまみれた国
第3回 「プーチンの演出家」が書いた奇妙な小説を読んでみた
第5回 ロシアはファシズムではなく「反リベラリズム」
第6回 30年前に予告されていた戦争

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第104回 パート年金拡大のカラクリ(橘玲の世界は損得勘定)

社会保険の適用拡大で、今年10月から従業員数101人以上の事業者に対し、雇用期間2カ月超で週20時間以上勤務のパートも含む従業員への厚生年金・健康保険への加入が義務化される。

「将来の年金受給額が増える」「傷病手当金や出産手当金が受給できる」などよいことばかりが報じられるが、この話はものすごく胡散臭い。

パートの従業員からすると、これまで年収130万円未満なら配偶者の社会保険の被扶養者になっていたのが、10月以降は年収106万円(月額8.8万円)を超えると扶養の範囲から外れ、手取り収入が減額されてしまう。

企業の側からすれば、パート従業員が保険料の天引きを避けるために労働時間を減らすと、人手不足がさらに悪化してしまう。どちらにとっても、まったくいいことはないだろう。

だが、ほんとうの問題は別のところにある。そもそも厚生年金は加入者にとって大幅な損失になっているのだ。

平均的な大卒男性の生涯賃金(退職金を除く)を2億7000万円とし、厚生年金の保険料率18.3%を掛ければ、就職から定年までに収める保険料の総額は約4900万円になる。

それに対して厚生年金の平均受給額は男性で月額約16万5000円、65歳時の平均余命を20年とすると、受給総額は3900万円にしかならない。あくまでも概算だが、それでも1000万円も損しているというのは衝撃的だ。

厚生年金が大損というのはとんでもないスキャンダルだと思うのだが、なぜみんな大騒ぎしないかというと、「ねんきん特別便」の加入記録では、厚生年金の保険料は(会社負担分を含む)総額ではなく、半額の自己負担分しか記載されていないからだ。これだと支払った保険料の総額は2500万円ほどで、4000万円ちかく戻ってくるのだから、なんとなく得に思える。

だがこれは、とんでもない詐術だ。社会保険の保険料は労使折半で、会社負担分も、本来は労働者が支払ったはずのものだからだ。

これをわかりやすくいうと、サラリーマンが収めた年金保険料の半分は国家によって詐取されている。それがどこに行くかというと、いうまでもなく、年金財政の赤字の補填だ。

このカラクリがわかると、なぜ国が社会保険の適用拡大を強引に推し進めるのか理解できる。

年金を破綻させずになんとか維持しようとすれば、現役世代からの保険料収入を増やす以外にない。中小企業のパートにまで社会保険に加入を強制すれば、会社負担分の保険料をさらにぼったくることができる。こんなウマい話があるだろうか。

だが、無から有を生む錬金術がない以上、会社は社会保険料の負担増をどこかで埋め合わせなければならない。そのもっともシンプルな解決法は、人件費を削って帳尻を合わせることだろう。

このようにして、高齢者の年金を守るために現役世代がどんどん貧しくなる。日本の人口構成を考えれば、恐ろしいことに、この負の循環はすくなくともあと20年は続くのだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.104『日経ヴェリタス』2022年8月6日号掲載
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単純な因果論では説明できないこと 週刊プレイボーイ連載(532) 

不気味なことが起きたとき、ひとは無意識のうちに、その原因を探します。なぜなら、理由もなく襲ってくる脅威ほど恐ろしいものはないからです。

科学の知識がなかった時代(人類が生きてきた大半)では、天変地異は神の怒りであり、感染症などの病気は悪霊の仕業でした。そして、神の機嫌を損じたり、呪術をかけた相手を特定し、その「悪」を罰することで世界に秩序をもたらそうとしてきたのです。

大量殺人や要人の暗殺のような異常な事件が起きると、ひとびとは不安になります。そこでメディアは、わかりやすいストーリーを探し出してきて、視聴者や読者の要望に応えようとします。

秋葉原で起きた無差別殺傷事件では「非正規雇用」、京都のアニメ制作会社が放火され70人が死傷した事件では「孤立」、今回の元首相暗殺では「カルト宗教」が事件の原因だとされています。

もちろんこれは、いずれも重要な背景ではあるでしょう。しかし当たり前ですが、非正規雇用の若者や孤立した中高年男性はたくさんいるものの、ほとんどのひとは犯罪とは無縁の生活をしています。「カルト宗教」にしても同じで、信者や、ましてや家族が犯罪にかかわることはきわめて稀でしょう。

報道で気になるのは、特定の宗教を「悪魔化」することで、その信者や関係者までが「悪」のレッテル(スティグマ)を貼られてしまうことです。もちろん建前のうえでは「(洗脳された)信者は被害者」ということにされていますが、これはたんなる方便で、「気味の悪いひとたち」という暗黙のメッセージが連日、大量に流されています。

統一教会は、1990年代はじめに有名芸能人や新体操選手が合同結婚式に参加を表明したことで社会的事件になり、「洗脳」や「カルト」という言葉が広く知られることになりました。その後、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起き、「カルトは恐ろしい」という認識が定着します。

「カルト」が社会からの排斥を意味するようになると、信者の親はなんとしても子どもを取り戻したいと思います。その結果、支援者の協力を得て、信者を強引に拘束して「脱洗脳」する事例が出てきました。それで社会復帰できればいいのですが、現実には人間の心をそう簡単に書き換えられるわけもなく、教団に戻らないように家族が子どもを監禁する事態に至ることもあります。

ジャーナリストの米本和広さんは『我らの不快な隣人 統一教会から「救出」されたある女性信者の悲劇』(情報センター出版局)でこの問題を取り上げ、洗脳によって入信・献金させる宗教団体も問題だが、(主観的には)幸福に暮らしている信者を拉致・監禁して脱洗脳することもまた「人権侵害」であると指摘しました。

この本によって米本さんは、強く批判されることになります。ところが、統一教会を心の底から憎んでいた男が、事件前に自らの心情を訴える手紙を送ったのは、「カルトの悪」と長年戦ってきた(テレビに出ている)ひとたちではなく、「教団のシンパ」だとされている米本さんだったのです。

メディアはそろそろ、単純な因果論では説明できないこの事実(ファクト)をきちんと報じるべきでしょう。

【後記】

その後、週刊文春電子版(8月2日)米本和広さんのインタビューが掲載されました(「彼に本を差し入れたい」山上徹也が手紙を送ったジャーナリストが語る“統一教会とカルトの子”)。

それによると、読売新聞の記者が取材に来る日の前日に、たまたまポストを開けたら山上容疑者の手紙を見つけ、それを好意で記者に見せたというのがスクープの経緯です。

このとき米本さんは、「手紙を受け取った人物として実名を出していいよ」と記者に伝えています(「僕はフリーライターとして実名でやっているわけだから。匿名にされることはあまりありません」)。それにもかかわらず、「実名報道」を原則としている新聞社は、「(山上容疑者が)岡山市内から、安倍氏の殺害を示唆する手紙を中国地方に住む男性に送っていたことがわかった」と、米本さんの名前を伏せたうえで、まったくの無名の人物として第一報を報じました。

読売新聞は翌日以降、実名に変えましたが、「松江市のルポライター」などとするだけで、米本さんの著作やブログの内容は説明していません。これでは、山上容疑者がどのような人物に手紙を送ったのかを読者はまったくわからないでしょう。

読売の報道後、米本さんのところにはマスコミ各社の記者が殺到しますが、「(山上が送った手紙の)宛先は松江市在住の男性。旧統一教会に批判的な記事をブログで発信するフリーライターだった」(8/9朝日新聞)などと、米本さんの名前を伏せるか、実名を出しても経歴や著作などを紹介することなく、手紙の文面だけを報じています。

「僕は「反カルトのカルト性」をずっと追及し続けてきて、今テレビに盛んに出ているような反統一教会の人たちに「お前らも(統一教会と)同じだよ」ということを前から指摘してきました」

「1990年代以降、信者の家族らによって、当時4000人を超える統一教会の信者たちが、拉致・監禁されていた。「こんなことが許されていいのか」と思いました」

米本さんはこのように語っていますが、これがメディアが、山上容疑者が唯一、自らの心情を明かしたジャナーリストについて触れたがらない理由ではないでしょうか。

なお、米本和広さんは1997年、「巨大カルト集団ヤマギシ「超洗脳」ルポ」(VIEWS)で編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞企画部門受賞。『洗脳の楽園 ヤマギシ会という悲劇』が1998年の大宅壮一ノンフィクション賞候補作になっています。

『週刊プレイボーイ』2022年8月8日発売号 禁・無断転載