天皇の“人権”より伝統を優先する保守主義者 週刊プレイボーイ連載(260)

今上天皇が生前退位を希望していることが明らかになり、政府は一代限りの特別措置法の検討をはじめましたが、この出来事は同時に、日本における「保守主義」の本質をくっきりと描き出しました。

世論調査では9割以上の国民が退位に賛成しているように、天皇が「お気持ち」を表明した以上、それを尊重するのは当然というのが圧倒的多数派であるのは間違いありません。それに真っ向から反対し、「天皇は退位できない」と主張するのが保守主義者です。

そもそも天皇というのは「身分」ですから、身分制を廃した憲法の理念に反しますし、天皇・皇族には職業選択の自由もありません。かつてのリベラル派は天皇制を戦争責任で批判しましたが、最近は「天皇は国家によって基本的人権を奪われている」との論調に変わってきています。これはたしかにそのとおりですが、ヨーロッパの民主国家にも立憲君主制の国はあり、「人権侵害」だけで天皇制を否定するのは説得力がありません。

とはいえ、オランダの王室では3代つづけて国王が自らの意思で退位したように、「自己決定権」の原則は皇室にも及ぶことが当然とされています。イギリスのエドワード8世は離婚歴のある平民のアメリカ女性と結婚するために1年に満たない在任期間で王位を放棄しましたが、これは「皇室から離脱する権利」です。王の条件は「身分」でもそれを選択するのは本人の自由、というのが「リベラルな皇室」の価値観で、「やりたくない」というのを無理にやらせるのでは、天皇制廃止論者が主張する「天皇こそが“現代の奴隷”」を認めることになってしまいます。

しかし保守主義者は、この論理を受け入れることができません。じつは彼らの主張にも一理あって、ヨーロッパには皇族のネットワークがあり、跡継ぎを他国の皇室から迎えることもできますが(よく知られているようにイギリス王室のハノーヴァー家はドイツの皇族です)、日本の皇室ではこのようなことができるはずもありません。海外を見れば皇統の断絶はいくらでもあるのですから、「万世一系」は風前のともしびというのが保守主義者に共通の危機感なのです。

保守派の論客のうち、八木秀次氏は「日本の国柄の根幹をなす天皇制度の終わりの始まりになってしまう」と退位を明確に否定し、桜井よしこ氏は「(高齢で公務がつらくなったのは)何とかして差し上げるべきだが、国家の基本は何百年先のことまで考えて作らなければならない」と述べます。さらに日本会議代表委員で外交評論家の加瀬英明氏は、「畏れ多くも、陛下はご存在事態が尊いというお役目を理解されていないのではないか」とまで述べています(いずれも朝日新聞9月10日/11日朝刊より)。

これらの発言からわかるのは、保守主義者にとって重要なのは天皇制という伝統(国体)であって天皇個人ではない、ということです。これは批判ではなく、保守主義では伝統は人権に優先するのですから、当たり前の話です。

しかしこうした古色蒼然の政治的立場は、もはやひとびとの共感を集めることはないでしょう。戦後の日本社会は、天皇の「人権」を常識として認めるところまで成熟したのです。

『週刊プレイボーイ』2016年10月3日発売号
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