原発と野生動物 週刊プレイボーイ連載(52)

南アフリカのボツァラノ動物保護区域には、かつてはたくさんの豹が棲息していました。しかしいまでは、私たちはその優美な姿を目にすることはできません。

なぜ南アフリカの豹は消えてしまったのでしょうか? それは動物を愛するひとたちが、彼らを「保護」しようとしたからです。

ヘミングウェイが『キリマンジャロの雪』で描いたように、かつてアフリカには、野生動物を目当てに大勢の白人ハンターがやってきました。彼らにとって大型肉食獣は最高の勲章で、地元のガイドは、豹を仕留めて有頂天になったハンターから多額のボーナスをもらうことができました。

ハンティングのガイドはふだんは農民で、牛や羊を飼って暮らしていました。家畜は豹の格好の獲物になっていましたが、農民たちはそれを仕方がないことだと考えていました。白人のハンターは、斑点のついた毛皮や剥製にした豹の頭を持ち帰るためなら金に糸目をつけず、牛や羊が何頭も買えるお金を地元に落としていったからです。

ところがアメリカやイギリスで動物愛護運動が盛り上がると、毛皮や剥製を国に持ち込むことが違法とされ、やがてサファリ(アフリカでの狩猟)は植民地主義の象徴として激しい道徳的批判を浴びるようになりました。

こうして、ハンターたちはアフリカにやってこなくなりました。それでいったいなにが起きたのでしょう。

野生動物と共存していたアフリカの農民たちにとって、いまやライオンや豹やチーターは、一銭のお金にもならないばかりか、大切な家畜を襲う害獣でしかありません。彼らは生活を守るために“害獣駆除”に乗り出し、オスもメスも、子どもや赤ん坊まで、たちまちのうちに殺し尽くしてしまったのです。

この話の教訓はなんでしょう。

ケニアや南アフリカの動物保護区は、いまではサファリツアーの一大観光リゾートになっています。観光客はハンティングではなく、野生動物を観察するために多額のお金を払っています。

もしも私たちに未来を見通すちからがあったとしたら、アフリカの野生動物を保護する方法はまったく別のものになっていたでしょう。彼らの“いのち”を守るもっとも効果的な方法は、ハンティングの料金を引き上げることで地元に経済的利益をもたらし、狩猟頭数を厳密に管理しながら、動物を傷つけないエコ・ツーリズムを普及させていくことでした。そうすればボツァラノの豹も絶滅を免れ、いまも世界じゅうから多くの観光客を集めていたはずです。

しかしこの現実的な改革案は、営利のためにアフリカの動物たちが無慈悲に殺されていくと告発する愛護運動のひとたちにはまったく受け入れられませんでした。彼らはいますぐ「理想」を実現することを要求し、そして、なにかも台無しにしてしまったのです。

この国にはいま、「すべての原発を即座に永久に廃棄せよ」と主張する理想主義者が溢れています。彼らの善意に疑いはなく、原発という技術に未来はないとも思いますが、それでもつい、「理想」によって絶滅した豹たちのことを思い浮かべてしまうのです。

 『週刊プレイボーイ』2012年5月28日発売号
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