日本的雇用慣行がなかなか変わらないのは、それが均衡解として安定しているからだ。でもナッシュ均衡は、いったん成立すると未来永劫変わらないというわけではない。
左側通行と右側通行を変えるのはものすごく大変だ。でも沖縄では、敗戦による占領で交通ルールがアメリカと同じ右側通行になり、本土復帰6年めの1978年7月30日に左側通行に戻された。このときは、わずか8時間ですべての道路標識・標示が変更されたという。
ここに、ナッシュ均衡のもうひとつの特徴がある。それはきわめて頑健だけれど、いったん状況が変わると一瞬のうちにもうひとつの均衡解に移ってしまうのだ(右側通行と左側通行が混在することはない)。
雇用慣行がナッシュ均衡だとすれば、日本的雇用がアメリカ型になったり、アメリカ的雇用が日本型になったりすることも考えられる。どのような条件で、このような変化が起きるのだろう。
面倒な説明は省略するけれど、青木昌彦によれば、雇用慣行がどちらの解に至るかは、期待賃金(労働供給関数)と実質賃金(限界生産性曲線)の関係で決まる。サラリーマンの実質賃金が期待賃金より大きければ、すべての労働者が正社員を目指し日本的雇用に至る。逆に実質賃金が期待賃金よりも低くなれば、サラリーマンはいなくなってアメリカ的雇用という均衡解に達する。このことをもっと簡単にいうと、「サラリーマンなんて割の悪いことやってられねえよ」とみんなが思うようになれば、日本的雇用は崩壊するのだ。
だれもが気づいているように、日本の労働環境にいま大きな変化が生じている。
ひとつはサラリーマンの側の変化で、各社が相次いで大規模なリストラに踏み切ったことで実数が減ったばかりか、賃上げの凍結やボーナス削減、社宅などの福利厚生の廃止、サービス残業に代表される無給労働の常態化で実質賃金が大きく低下した。
もうひとつの変化が、外資系企業の進出だ。彼らがグローバルスタンダードの雇用慣行を持ち込んだことで、サラリーマンにこれまでなかった転職のチャンスが生まれた。
日本企業はそもそも中途採用を受け入れないし、仮に入社できたとしても年功序列のキャリアラインから外れたところでゼロから再出発しなければならない。そうなると、なんらかの理由で会社を離れることになった有能な人材は、自分の知識や技能を市場価格で評価してくれる外資系を選ぶほかない。このようにして、MBAを取得して外資系企業に転職した後、コンサルタントやファンドマネージャーとして独立するのが90年代以降のビジネスキャリアのサクセスストーリーになった。一部のエリートサラリーマンは、外資系に転職すればもっと高い給料をもえらえるはずだ」と考えるようになったのだ(期待賃金が上がった)。
この状態を図示すると、下のようになる。

日本的雇用の側のボールが徐々に上昇し、山の頂点を越えたところで一気に反対側(アメリカ側雇用)に転がり落ちる。それを日本国は、法律による解雇規制や雇用助成金によって必死に押さえつけているのだ。
だがグローバル化した社会では、アメリカ型の雇用制度に明らかに優位性がある。日本社会で「雇用改革」が叫ばれるのに対し、アメリカの労働者は、どれほど失業率が高くなっても、かつてのサラリーマン(オーガニゼーションマン)に戻りたいなどとは考えない。終身雇用によって、同じ会社に一生涯拘束されることなど、彼らには想像だにできないのだ(これは、銃のない社会=日本と銃社会=アメリカの関係とちょうど逆だ。日本人は、どれほど犯罪率が高くなっても、個々人が銃によって武装する社会を選んだりしないだろう)。
日本的雇用からアメリカ型雇用への変化は不可逆的なもので、それを押しとどめる術はない。現在の制度を維持しようとすれば、失業率は際限なく上昇しつづけるだろう。好むと好まざるとにかかわらず、サラリーマンは絶滅する運命にあるのだ。
これはけっして絵空事の未来ではない。
「パパは何でも知っている」は50年代のアメリカ中流家庭を描いたホームドラマで、「パパ」は大きな保険会社のサラリーマン(アメリカでは組織人=オーガニゼーションマン)だった。60年代までは、アメリカでもひとつの会社で生涯を過ごす終身雇用が当たり前だった(親子孫3代が同じ会社で働くことも珍しくなかった)。それが70年代以降、日本メーカーをはじめとする外国企業との競争で業績が悪化すると、家族経営を信条としていたIBMやコダック、AT&Tなどの大企業が次々と大規模なリストラに追い込まれ、終身雇用や年功序列はまたたくまに消滅した。いまではすべての会社がいつでもどこでも交換可能な“汎用仕様”のマニュアルで運用され、労働者の価値観も変わり、自分たちが“サラリーマン”だった時代があったことすら覚えていない――わずか40年ほど前のことなのに。
慣れ親しんでいた日常が、ある日突然、まったく別の世界へと変わってしまう。それと同じことがいま、ぼくたちの世界で起きているのだ。

>本土復帰6年めの1878年7月30日
ってなってますよ。
お話、面白いです。日本人の特性うんぬんの議論もよくされますけど、環境要因の方がはるかに多いんだと気づかされます。日本人の貯蓄癖や贅沢を嫌う性質ってのも、歴史や環境要因が多いんでしょうね。先生の本はまだ一冊しか読んでないので、勉強させて頂きます。
いつも僕が疑問に思うのは、アニメや土建業界なんかで、親会社→子会社→孫会社→曾孫会社→って感じの中抜きが問題になりますが、自由競争化では安くていいものつくる会社が生き残りそうだし、中抜き会社を飛び越して仕事を与えた方が親会社も利益が上がりそうなのにってことです。でも、そうなってなくて、非効率と思える慣行が長く続いているってことはどこかでなにがしかの理由で均衡が(ナッシュ均衡というのか分かりませんが)成立しているってことなんでしょうかね。
和魂と洋才とユダヤの商人
http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_7cef.html
沖縄の交通改正は1978年では?
物理学で言うところの「相転移」ですよね。
分子や原子の集団が環境の変化によって相転移を起こすように、人間の集団も相転移を起こします。人類の歴史とは人間集団の逐次相転移の履歴です。
日本企業がグローバル化ともに日本的な終身雇用制は絶滅します。企業は無駄な人員を囲い込むことは、企業のリスクになります。そして、定年退職金制度も将来的には絶滅します。雇用の安定した労使協調路線は高度経済成長時に始めて成立するもので、パイが将来にわたって小さくなる日本では滅び行くしかないのです。
年功序列という誤解。
年功序列、終身雇用制について、多くの方が誤解しているようです。
そもそも、年功序列制は、製造業における単純作業職群たるラインワーカーを終身雇用するときに、その賃金体系を年齢と共に増加させる勾配を与え、生活費に余裕のある若年層の賃金をカットし寄り負担の大きい中高年齢走に配分することにより生活できる賃金水準を確保した制度です。
従って、新卒採用して、定年までの人員構成と、賃金カーブが比例していれば、一人一人の従業員にとっては、毎年賃金は増加しますが、企業側にとっては、その部分の支払い原資は一定となるシステムです。
どうもこの辺に誤解があって、年功序列制にすると、企業の負担が毎年増加するかの如き論が目立ちます。又、新規事業を立ち上がるなど歴史の浅い企業には、終身雇用制が存在していないかの如くに考えるのも間違いです。
確かに、新規事業を立ち上げて、全員が20代というような企業では、その部分だけ見れば、同一労働、同一賃金が成立します。
ところが、新規立ち上げ時点で、高齢者が同時に採用されるような体制になったらどうでしょうか。
年齢構成に勾配があるとき、其れを恰も年功序列であるかのような賃金勾配を与えれば、より生活負担の大きな中高年層に厚く賃金配分し、その生存を維持できます。つまり、年功序列、終身雇用制は、決して、長い時間軸を想定したものではなくで、同時併存的に新規で後走でないとの如何に関わらず成立する制度なのです。
賃金の低い若年層だけを採用して企業を運営することは出来ません。又、若年層と同じ賃金で中高年者が生活することは出来ません。
或いは、この年功カーブは、製造業の単純工に限らず、大卒の管理職要員や高度専門職要員についても適用できる論理なのです。
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>同様に会社が一般的技能で運営されていれば、労働市場で必要な経験や知識・資格をいつでも調達できる。これは“汎用仕様”の経営戦略だ。
これはその通りだと思いますね。
労働市場で「いつでも」調達できるようになれば会社は社員を抱え込む必要は無くなります。
いつでもクビにできるので就職の「機会」は増えても雇用「年数」は増えないのではないでしょうか。
また選択肢も増えるので無理に高い年収を要求して奴を雇う必要も無いでしょう。
同じ実力なら年収の安い奴を選択すればいいんですよ。
市場で株式を売買した経験があるなら経験があるなら分かりますよね
実力次第だと思うけど現実は厳しいでしょう。
>アメリカの労働者は、どれほど失業率が高くなっても、かつてのサラリーマン(オーガニゼーションマン)に戻りたいなどとは考えない。
今、マックジョブをやっている奴もそう思っているのでしょうか?疑問ですね。
まあ、彼らには選択肢はあまり無いと思いますが。
私が早期退職した会社は2010年から定年退職後の完全再雇用制度を開始した。
以前は、有能な人材(管理職の再雇用は無し)しか再雇用は認められなかったが、今後は希望者ほぼ全員が再雇用されることになった。
今年は、ある部長が再雇用制度の恩恵にあるかることになり、部下だった連中がブーイングをしている。実務担当者の再雇用ならいざ知らず、管理職を再雇用してどんな仕事をやらせるのか、はなはだ疑問。
年収は半分になるとはいえ、1000万円以上もうらう人が役職がなくなってどんな成果を出せるのだろう。単なるお邪魔虫になりそうな様子である。
> 従って、新卒採用して、定年までの人員構成と、賃金カーブが比例していれば、
ここが破綻しているので、どっちにしても年功序列は破綻すると思います。
>1.あお より:
>親会社→子会社→孫会社→曾孫会社→って感じの中抜きが問題
いわゆる多重下請け構造?
これも硬直的な雇用慣行が原因で起こる
端折って言うと、「家族的経営が日本企業の美」だとか「雇用を守れ!」とか言ってる奴がすべての元凶です
個々の意識を変えていかない限り、社会も企業も変わらない
>2.和魂と洋才とユダヤの商人 より:
史実では、マグレブ商人は競争に勝てなくなり、歴史の表舞台から消え去った
後期にはジェノア型に移行しようとしてた跡も見られるようだが、結局無駄だったようだ
彼らの末路は日本の将来を暗示してるね
>6.kamo より:
新規事業立ち上げで中高年も組み込めば若者も安泰になる、って言ってるように聞こえるんだけどなにそれ意味分からない
若者が増え続けないと結局維持できないし
将来何が起こるか分からないんだから、ガチガチ社会より多少コストがかかっても柔軟な方がいいに決まってる
やるべきことは早期退職や整理解雇を推し進めることだけ
若者はどんどん非正規化すればいい
>9.ぺこぽん より:
悲惨すぎるw
とりあえず、お知らせです
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51652260.html
日本企業であっても、自発的に終身雇用を維持しようとは考えていないところが増えて来ています。おっしゃる通り、企業側の旧来の価値観により隷属的服従を強いることは、遠からずなくなると思います。
ただ、日本には整理解雇4要件など、隷属的服従を補強するための社会的制約が強く残っているため、企業側の価値観が変わっただけでは、社会の相移転が起きることはないと思います。
米国でもGMのように古い企業では、組合の問題が足かせとなり経営破綻していきました。しかし、幸い起業率が高く、組合を有さない新しい企業が次々と生まれ社会を牽引しています。
日本の場合、足かせのない新しい企業は楽天やソフトバンクなど数えるほどしななく、相変わらず旧態然とした大企業が中心になっています。旧態然とした企業には例外なく組合があり、組合はその自己防衛的本能から、解雇要件に関する法解釈の改正には反対すると思います。
企業(起業)の在り方自体が変化しないと、抵抗勢力がその拠点を維持し続け、社会の新陳代謝を阻害することになるのではないかと思います。そして、それは思う程容易ではないのではないかと思いますが、如何でしょうか。
終身雇用という誤解
元々、終身雇用という雇用契約はない。終身雇用とは、特段の理由がなければ、終身に亘って不当にその雇用を廃しないという慣行に過ぎない。本人の意志によれば、当然にして何時でも契約は解除できるしその選択は本人の自由意志に委ねられている。
整理解雇4要件などは、単にその不当解雇を禁じている基本原則であるに過ぎない。
で、問題なのは、この雇用形態と年功序列がリンクしていることで、恰も、その形態が、従属邸服従を強いるかの如くに語られるところにそもそもの間違いの発端がある。
年功序列とは、確かに外見上は、年功によって序列をつける制度であるが、其れは見方を変えれば取りも直さず、それぞれの年齢における生活賃金を保証する制度である。
更に、国民の60%は、単純繰り返し労働者であることを考慮し、その生存を維持する制度としての年功序列の必要性を考えれば、年功序列の否定が如何に無意味なことであるかがしれようというものだ。
つまり、生涯同一労働であるような労働者の賃金を、独身者のそれと同じにすれば、より生活負担の大きい中高年の労働者は生活できない。で、同一労働であるからという理由で、若年者の賃金を中高年に合わせたら、経営者は無駄な高給を払うことになってしまう。
終身雇用、年功序列体系は、例えば新規事業を起業するときにも有功に機能する。新規事業で、全ての構成員を若年新卒者で構成できるような例はまれだろう。当然年齢構成は多岐に亘る。20才もいれば40才も50才も同時に存在する。その賃金体系は自ずと年功序列的になるだろうし、設立した早々何時解雇されるわからないような企業では、安心して専念して仕事が出来ない。
年功序列であることは又、同時に、労働力の流動化をも阻害しない。何処の企業に行っても、そこそこの生活賃金が得られるなら、労働者の自由意志で転職することもやりやすくなる。社会全体が、受任できる限度で年功賃金を制度化していれば、其れはむしろ企業にとっても労働者にとっても安心できるものになるだろう。
終身雇用制、年功序列制の否定は、一方では、強者の論理であり、一方では搾取の論理なのだ。
その事をどれだけ理解しているだろうか。
経済学者の池田信夫氏が橘玲先生の間違いを指摘されています。
>14.kamo
企業の収益が悪化したら従業員は即座に切られるべきであり、さらに悪化したらその企業は即座に淘汰されるべきだ
ほとんど価値が無い企業がなぜか維持され、毎日毎日無内容な仕事を作り続け、生産性とはかけ離れた賃金が支払われるという堕落的な年功賃金が維持されてきた
日本は経済の原理原則をずっと歪め続けてきて、企業と労働者は温室でヌルッと温存された結果、壮大な勘違いをしてしまったというわけです
終身雇用は高成長時代に制度化された
その高成長はもう終わって今は低成長の時代なんだから、終身雇用・年功賃金が維持できなくなるのは当たり前です
今や、その硬直的な雇用制度による小回りの利かなさが、企業年金と年功賃金と退職金と企業組織が、まるで内臓の病のように、企業を、社会を、地域を、衰退させ続けている
この国を発展させるべき、発展させてきた、それらの資産が、今になって重荷になったということは、どういうことだろうか?
…という新たな現実を受け入れるしかない
今のところその終身雇用、というネズミ講、というインチキ制度は、若者が未来無き果て無き低賃金労働をすることによって辛うじて維持できているに過ぎない
「終身雇用だから安心して労働できる」というファンタジーストーリーに騙される人間がまだ居るのなら、その反動として就職できない大卒高卒と非正規社員と名ばかり正社員とホームレスがさらに増えるだけだから、社会を組み替えようという機運もより高まるだろうね
一見面白そうな話だけど、「右側通行と左側通行のように、雇用慣行がふたつの解をもつナッシュ均衡だからだ。」というのは、言いすぎ、誇張のしすぎで、間違いだと思う。今の日本はどんどん社員を部品化しているでしょう?日本では社員を徹底的にこき使い、部品が消耗したら捨てる。
私はアメリカでも日本でも働いたことがある。その経験を元に私がこれまで考えてきたのは、ナッシュ均衡の考え方でも、文化的な相違でもない、第3の原因だ。それはコミュニケーションがアメリカ人の方が、もしくは英語のほうが優れているからだ。
1番目に、英語のほうがすばやく正確に書ける。製造業にISO9000というものがあるが、書類をたくさん作らされる。英語で、I go to school. は、たった13回キーボードをたたけば書ける。しかし、日本語では、「私は、学校へ行く」と「WATASHIWA, GAKKOUHE IKU」と23回もキーボードを押す。しかも漢字変換で失敗して書き直しもある。日本人は逆立ちしても英語のネイティブに勝てない。
2番目に、日本は明治の文明開化以来まだ200年そこらしか経っていないせいか、やっぱりコミュニケーション能力が低い。言葉を使って情報を正確に伝達する訓練をしていない。学校の国語教育も心情把握教育のようなものだ。アメリカでは論理的にエッセイや論文を書かされる。アメリカの教科書と日本の教科書を比較すれば、一目瞭然。英語のタイプは日本語の2倍で、正確に記述できる英語を使えば、仕事のマニュアル化が簡単にできる。
だから、日本人も英語をがんがん使えば、簡単に仕事のマニュアル化ができるはずだ。
私は前に「リサイクル」、「再利用」の研究をしたことがある。一番重要なのは「標準化」設計だ。たとえば自動車の部品が共通化されないと、この世は廃車だらけになる。今は、複数の車種で同じ部品を使っているので、こっちの廃車から部品を取って、別の車に使える。転職も一種の人間のリサイクルだ。だから標準化された能力がないと転職しにくい。また、標準化していない部品(社員)を使う車(企業)は値段が高すぎる、品質が下がる、リサイクルができない等の理由で国際競争に敗れていく。まさに、今の日本がじりじりと敗退しているのをみれば、一目瞭然だ。
>16 しにすぎ
終身雇用は高成長時代に制度化された
その高成長はもう終わって今は低成長の時代なんだから、終身雇用・年功賃金が維持できなくなるのは当たり前です
実は此、同一労働同一賃金という誤解の上に成立している。
簡単な話、同一労働というときに、20才である賃金月額20万の労働者と、当然にして、同一労働で、月額賃金、40万の労働者が、年功序列では同時に存在するね。
で、此を、年功序列を外して、同一労働同一賃金という主張をしたときに、月額賃金は幾らになるのかな。経営者は当然にして、20万を主張するだろうね。それで良いのかな。
まさか、同一労働だから40万なんて大甘なことを考えている訳じゃあるマイネ。
実はこの国の国民の60%は、同一労働をしている。つまり其れを同一賃金にすれば、20才の独身者と同じ賃金で働けということだ。それで良いのかね。
年功序列を廃止したって、良いことなど何もない。だって、20才の君は、直に40才になっちゃうんだからね。
その上、終身雇用という約束もなく、解雇4原則もなくなれば、経営者にはやりたい放題だ。うはうは儲かって天国のようだ。其れで国民は、20才の初任給のまま捨て置かれる。
其れで良いのかね。
>14 Kamoさん
「年功序列とは、確かに外見上は、年功によって序列をつける制度であるが、其れは見方を変えれば取りも直さず、それぞれの年齢における生活賃金を保証する制度である。
更に、国民の60%は、単純繰り返し労働者であることを考慮し、その生存を維持する制度としての年功序列の必要性を考えれば、」
生活賃金を保証するのは、企業ではなく政府・自治体ではないでしょうか。
政府・自治体が生活賃金を保証するという新しい考え方として、ベーシック・インカムが議論されています。
以下のHPを参照下さい。
http://d.hatena.ne.jp/Medievalist/
HPを間違えました。正しくはこれです。
>http://d.hatena.ne.jp/Yasuyuki-Iida/20091215
>Medievalist さん
ここでいう、生活賃金とは、「国民の最低限度の生活を保障するため」のベーシックインカムとは少し違います。
ていうより、国民の60%を想定する単純労働者の生活を、bI水準で留め置くことは出来ない相談です。
先ず、ここで言う単純労働者と言う概念が理解戴けていないかも知れません。
わかりやすくしましょう。中学校の成績評価は、最近絶対評価が導入されましたが、以前の相対評価では、成績上位の5%を5で案界評価の5,次の20%を4と評定します。残りは3以下ですね。概ね、大学進学者は、高校を経て、この4と5の領域が該当します。つまり其れで、25%の大学進学率になります。残りの3以下の成績のものの中から優秀なものの一部が、名目だけの大学に進学し、或いは専門学校に進学し中間管理職や、自営業になります。其れを除いた残りは、生涯平社員です。その階層が、おおざっぱに言ってしまえば、全て、同一労働に従事する単純労働者です。
ナッシュ均衡で思い出したが、雇用環境をアメリカ型に変えるには政策立案者が積極的にゲーム理論を応用する必要がある。 日本の政策立案者である政治家、官僚は、もっとゲーム理論を始めとする意思決定理論を勉強するべきだ。
ゲーム理論は、基本的に2人以上の知性を持ったプレーヤー(なにも、コンピューターゲームのプレーヤーとは限らない)が利得を求めて、”相手を出し抜くことを十分考慮に入れた上で”、(必ず存在するとは限らないが)ナッシュ均衡やランダム戦略などを使う「勝負のメカニズム」の学問だ。今の日本の政策は「相手が出し抜くこと」を考慮に入れていない。
ゲーム理論をきちんと理解できれば、たとえば「ナッシュ均衡」に落ちるようなゲームのルール(法律の仕組み)を作ることができる。
たとえば雇用習慣をアメリカのように再雇用が簡単に行われるようにするような「ナッシュ均衡」が生まれる、それが一番得になるような税制を作ればいい。たとえば、同じ会社で働けば働くほど累進課税がかかかるようにするとかである。そうすれば、企業も得をする、政府も得をする、労働者も得をする、3者が皆得をする「ナッシュ均衡」に誘導する仕組みができる。
そういえば、私がアメリカでエンジニアとして働いていたとき、新しい会社で働き始めてわずか2週間後には給与が支払われたのでとても助かった。アメリカでは、月に2回給与が支払われる。しかも、日本のように、4月から働いても給与が5月末に支払われると言う「ドケチ」な仕組みはない。エクセルやERPの時代だから、極端に言えば、RFID(無線ICタグ)とインターネットを使って自動的に転職後の1日目から支払うことも可能なはずだ。
法律で、新しく雇った企業は2週間で給与を払うべきと言う決まりを作れば、転職はずっとらくになるだろう。
しにすぎさんの「今のところその終身雇用、というネズミ講、というインチキ制度は、若者が未来無き果て無き低賃金労働をすることによって辛うじて維持できているに過ぎない」について、そのとおりだと思う。たぶん100%の国民が同意すると思う。しかし、それにもかかわらず日本国民が自分で直せないところが日本の歯がゆいところだ。なぜか?
ゲーム理論でいうところの、プレーヤー(政府、官僚、会社、個人}がすべて自分の利益ばかりを最大化しようとして、結局全体が不幸になるような「ナッシュ均衡」に陥るようなルールに日本はなっているからだ。
今のまま行くと95%以上の確率で日本政府が破綻し、IMF管理下の元で「やっと」使えない、役に立たない、官僚を首にできて、健康保険や消費税の大幅なUPになるだろう。まあ国債が暴落したら、円が暴落して国民の暮らしは阿鼻叫喚になるはずだ。
しかし、もし「今」消費税を20%にして、官僚を首にできれば、苦しむのは、役に立たない官僚だけで、日本国民は救われるだろう。(まだ油断はできないが、破産が10年先に伸びるだろう。それまでに、経済を復興すればいい)
しかし、官僚は日本と言う国を人質に取っていて、絶対に首にならない。日本が財政破綻の危機に瀕していても公務員の給与は民間よりもはるかに高い。イギリスは30%?の公務員をカットすると言っているのに比べると大違いだ。
今の状況は太平洋戦争末期のポツダム会談を受け入れるかどうかを議論した旧日本陸軍の幹部がちょうど官僚(公務員)にあたる。ちょうど陸軍が「一億玉砕」を叫んでいたのと同じように、今の官僚は自分の保身のために、日本国民全員を道連れにしようとしている。恐ろしいことだ。
私は個人的には、もう日本国政府の破綻は99%間違いないと思う。(管首相は優秀であり、決断力があるので、まだ望みはあるが、官僚は)そうなると、日本の雇用環境は阿鼻叫喚になる。
じゃあ、どうするか? 私の答えは「ばくち」だ。
といっても本当にパチンコを始めるわけではない。人生のばくちだ。
基本的にこれまでの前提条件が全部崩れる。だったら、全部崩れてもそれでも生き残れるような人生設計をすればいい。たとえば、全財産を売り払って、アメリカに留学して、アメリカ人と結婚し、アメリカ企業で勤める。全財産を売り払って、中国に移住する。アメリカで農業を始めて、日本へ輸出する。もしくは会社が、人も事務所もまるごと中国に移して、会社が借り上げた安いアパートで中国人と同じ住環境で日本人をそっくりそのまま雇う。日本の事務所とはスカイプを24時間つなげっぱなしにした「バーチャルオフィス」を作るなどだ。
前提条件が全部崩れるんだから、これくらい思い切ったことをしないといけないだろう。もちろん、ばくちなので95%失敗するだろうしかし、5%が生き延びればいい。その成功モデルをみんなで真似・改善すればいい。韓国はそれくらいやっている。日本もやればいい。