秘密暴かれるUBS、揺れる富裕層 『日経ヴェリタス』2009年3月15日号

顧客情報流出

まるでハリウッド映画のような、としか形容しようのない事態の展開で、世界最大の金融機関のひとつが窮地に陥っている。

2008年2月14日、ドイツ司法当局は脱税の容疑でドイツポストのツムウィンケル会長の自宅・事務所を強制捜査した。その4日後、ドイツ連邦情報局BNDはリヒテンシュタインの皇室が経営する大手プライベートバンクLGTの顧客情報1,400件を460万ユーロで購入したと発表した。

LGTで顧客情報の電子データへの移管作業に従事していたハインリッヒ・キーバーHeinrich Kieberは、スペインで不動産の不正取引に関与していたことが発覚し、2002年にリヒテンシュタインで刑事告発される。その直後、キーバーはDVD3枚に顧客情報を保存してLGTを退社し、元首のハンス・アダムス2世に恩赦を求める手紙を送りつけた。いったんは懲役4年の実刑を宣告されたキーバーだが、2004年の高裁判決で懲役1年執行猶予3年に減刑され、このとき顧客データを収めたDVDはLGTに返却・破棄されたことになっていた。だが彼はデータのコピーを保持しており、それをドイツ情報局に売りつけたのだ。

キーバーのリストには約1,000人のドイツ人のほかアメリカ、イギリス、フランス、イタリアなどの顧客情報が含まれており、それらは各国の関連機関に無償で提供された。米国税務当局は2008年2月、LGTに口座を保有する100人以上のアメリカ人に対して税務調査を行っていると発表した。

リヒテンシュタインの司法当局から国際手配されたキーバーは、ドイツ政府から新しい身分とパスポートを与えられ、現在はオーストラリアで暮らしているという。

ロシア生まれの大富豪

イゴール・オレニコフIgor Olenicoffは共産ソビエトを逃れてイランに移住した旧ロシア皇族の末裔で、15歳の時に4個のスーツケースと800ドルの現金を持って一家でアメリカに渡った。カリフォルニアの大学を卒業した後、不動産業で財をなし、資産17億ドルのビリオネアとなった。

アメリカンドリームを体現するオレニコフは、IRS(米国国税庁)との長い確執をつづけていた。彼は1990年にバハマに投資銀行を設立し、不動産会社の所有権を移転してほとんど納税してこなかったのだ(その豪勢な生活にもかかわらず彼の年収はわずか1万5,000ドルだった)。オレニコフの主張によれば、彼はロシアコネクションの一部で、バハマの銀行は当時のロシア大統領エリツィンのオフショア投資会社だった。

ブラッドレイ・バーケンフェルドBradley Birkenfeldはボストン育ちのプライベートバンカーで、アメリカの大富豪を主要な顧客にしていた。2001年にUBSに移籍したバーケンフェルドは、バハマの資金を税務当局に追及されていたオレニコフに、UBSを介してリヒテンシュタインに信託を設立するスキームを提案した。オレニコフは、2億ドルの資を架空の法人や信託名義でUBSに送金した。

2005年末、UBSを退職することになったバーケンフェルドは、全資産をより守秘性の高いLGTに移すようオレニコフにアドバイスした。だがそのときすでに、巧緻に仕組まれた租税回避スキームの全容は税務当局によって解明されつつあった。

2007年12月、懲役と米国市民権剥奪の瀬戸際に追い詰められたオレニコフは、オフショアを利用した2億ドルの資産隠しを認め、5,200万ドルの追徴課税に応じた。

オレニコフがIRSと和解したことで、バーケンフェルドは自分の身に危機が迫っていることを悟った。オレニコフはUBSから提供されたさまざまな脱税の手口をIRSに暴露し、執行猶予を手に入れたのだ。